I LOVE CELICA XX!〈gooブログ版〉

81年に登場した2代目CELICA XX。愛車となって39年になるパーク号との関わり合いを綴ってみました。

CELICA XX 29thANNIVERSARY

2010-10-23 17:06:55 | MY CELICA XX
納車されて最初の日曜日に日光までドライブ。これは日光今市有料道路(当時)のSAで。



翌82年にドア・ミラーが認可されフェンダー・ミラーからドア・ミラーに交換。この時からモディファイに着手。2010年の今も乗っているとは思いもしなかったです。



84年2月に当時流行していたボルトオン・ターボを搭載。本格的にチューンドの道を歩み始めました。
これがその頃のE/gルーム。ビデオからの画像ですので画質が悪いです。
HKSバイパスストリートターボSYSTEMⅡ。インタークーラー、オイルクーラー、ウェストゲートその他でタービンはギャレットのTO-4(A/R0.70)で240PS仕様でした。



当時のHKS千葉サービス。HKSサービスセンター第1号店でした。
この頃は毎週日曜日となると遊びに行っていました。ピレリーP6 205/60 15インチ。ホイールはリネアスポーツのオトモスティー。円盤タイプのディッシュホイールの流行り始めでした。



1984年春修善寺サイクルセンター XXオーナーズクラブの合同ミーティングで。





この頃はミッションをA/TからM/T化してタイヤも16インチ化しホイールはアウトストラーダMK8。タイヤはF:205/55 16 R:225/50 16 。P7→P 700Z→P ZEROと変わりました。ショックは現在までビルシュタインをずっと愛用しています。サスは当時リジェでした。86年 東関道を法定速度で(笑)



その頃組んだTD-07+レーシングウエストゲート+ステンタコ足。オイルクーラーも容量をあげインタークーラーも3層のSPLにしました。 E/gにも手を入れ鍛造ピストン、272°ハイカムなどで380PS。



これが現在のE/gルーム。89年からギャレットのTO-4S(A/R0.84)に変わっています。 445PS。



90年5月 テレ東『所さんのクルマはえらい!』の0-200大会の収録で。
タイヤサイズは同じですがホイールがボルグレーシングのGr-AVに変わっています。



予選スタート前。となりのファニー・カーはパラシュートで止まっていました。
結果はOSトリプルプレートクラッチが滑って不本意な成績でした。(T_T)



2001年 改修前の富士での走行会に参加した時の1枚。



これからも乗れるだけ乗り続けてやりたいそんなクルマです。


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