🔹♦️ぽんぽん🐈⬛暮らし♦️🔸
(その45)
【猫との暮らし・日常雑話など】
プラス🔻「歩き🚶♀️➡️のお勉強」🔻
〜歩いて 調べて その記録〜
************
🐈⬛ポン太郎
おかあさんが
はしって かえってきた
ぼくのことが
しんぱいだったんだって
あついからなぁ
るすのあいだ
ぼくのまわりに
たくさんの でんきせいひんをおいて
だいじょうぶ だったのか・・
エアコンのおんどは
よかったのか・・・
しんぱいばかりなんだ
ちょっと しんぱいしすぎだよ
まだ 6がつだよ
なつは これからだよ

★
家事はズボラ。
でも、猫のことは別だ。
たくさんの暑さ対策をした。
ところが、今度は
出かけた先で
安全対策が気になり、
心配で落ち込んでしまった。
「もう、帰れば!」
と、周りは呆れ顔。
帰宅したら、
部屋は、涼しくて快適。
明日は冷風扇をやめようと思う。
電気製品、並べすぎだ。
ポン太郎のつらそうな表情を見てからは
ケチな私が「電気代!」と
言わなくなった。
でも、酷暑対策には
リスクを増大させることもある、と聞いて
「ポン太郎の気持ちが知りたい」と、
思ってしまう。
、、、、、、、、、、、、、、、
〜歩いて 調べて その記録〜
★ちょっと 広尾歩き★
患者会有志で「大使館巡り」をすること
になった。病院に近い場所でありながら
行く機会はなかなかない場所だ。
「こんなチャンスは二度とない」と
私も急遽、参加することにした。

◉コース:
広尾駅〜❶有栖川記念公園〜
❷スイス大使館〜
❸ボスニア・ヘルツェゴヴィナ大使館
〜❹カタール大使館〜❺マダガスカル
大使館〜❻アルジェリア大使館〜
❼パキスタン大使館〜❽フィンランド
大使館〜❾パレスチナ大使館〜
➓韓国大使館〜●オーストラリア大使館
〜自由解散
★
❶【有栖川記念公園】
・台地から低地に向かう起伏に富んだ
地形を活かした公園。

*公園の「騎馬像」って?
*1896(明治29)年、有栖川宮威仁
(たけひと)親王の栽仁(たねひと)王
新邸造成の御用地へ。しかしながら、
熾仁(たるひと)親王はここに住むこと
なく亡くなった。
熾仁親王の騎馬像:1903(明治36)年
千代田区三宅坂の旧参謀本部構内に建立。
大正時代に有栖川宮が廃絶。
この地は高松宮殿下に譲られた。
故有栖川宮威仁親王の没後20年目
の1934(昭和9)年東京市(当時)に
賜与(しよ)。騎馬像は1962(昭和37)年
に首都高速環状線の拡張工事などにより
公園に移設。
1975(昭和50)年港区に移管(区立公園)へ。
(参考:「R100tokyo 」のコメント要約)
・有栖川記念公園では「都立中央図書館」
の案内が目立った。日比谷図書館の蔵書
を引き継いで開館。
蔵書数は、国内の公立図書館では最大級
の約229万冊。このうち、新しい図書を
中心に約35万冊を開架。
広尾駅から徒歩約8分。
❷【駐日スイス大使館】
(駐日ノルウェー王国大使館の向かい)

茶色い洗練された印象の建物
スイス国民は正直・堅実・勤勉・実直・
真面目だと言われており、その国民性を
表しているような雰囲気。
❸【ボスニア
・ヘルツェゴヴィナ大使館】
普通のマンション風。

ネームプレートは探さないとわからない。
(南東ヨーロッパ バルカン半島にある国)
❹【カタール大使館】
1971年 カタール独立宣言。
1973年 大使館開設
(アラビア半島の国)
❺【マダガスカル大使館】
1969年 大使館開設。

(アフリカ南東部沖に浮かぶ巨大な島国)
❻【アルジェリア大使公邸】


白地にブルーの模様が美しい
❼【パレスチナ大使館】
(西アジア 地中海東岸)

➓【韓国大使館】
警備厳しく遠くから見ただけ。
(仙台坂 南側)
★〜坂と歴史がある街〜
広尾の地形は、谷地形や高台地形が
入り混じり、起伏に富み、歴史ある
坂道が点在している。
・低地 :「広尾原」と呼ばれた荒野。
・昔 :「阿佐布」(漢字)
・旧町名:麻布広尾町
・延宝年間(1673〜81)の頃、
百姓家・町屋の集落
武家地と畑が点在

【南部坂】⬇️公園に沿うように美しい形
公園南側に西に下る
有栖川記念公園は陸奥盛岡藩南部
美濃守20万石の大名屋敷(下屋敷)
だった場所→坂の名

公園内の坂や階段は、南部坂の傾斜
と地続き。
有栖川記念公園とドイツ大使館の
間を通るこの坂は坂下で広尾駅へ
とつながっている。
周辺に大使館が多い。
坂下には外国人向けのスーパーなど。
国際的な雰囲気もあるが、一方では
庶民的な温かい雰囲気の店もあり、
混在一体の地でもある。
【木下坂】愛育病院前交差点から
有栖川記念公園の脇を下る坂。
公園の北西側に南西に下りる坂道。
坂の北側に大名家の木下家の屋敷があった。


備中(岡山県西部)足守藩木下家2万5千石
(江戸末期の蘭医,大阪適塾設立
緒方洪庵は備中藩から出た)
屋敷の遺構は何もないが名は残っている。
【新坂】明治通りから有栖川記念公園
まで続く坂道。光林寺交差点近く

明治時代に新しくできた坂ということ
が由来。明治維新前は備後福山藩
阿部家の敷地。
江戸時代には外堀があり、外堀と溜池
の埋め立てにより新しく道路ができた。
★★コメント・感想★
●このあたりに大使館がいっぱい
あるのはなぜだろう。
かっての大名屋敷が並ぶ*武家地に、
明治政府は諸外国の大使館開設地に
選んだ。
いまでは、その数も約40数か国に
なるという。
そのため、広尾は外国人が多く、
インターナショナルな街となり、
また、セレブが住む街となっている。
その地名の由来や歴史を知りたいと
思った。
★[地名]
・検索①:広尾という地名は、
主に地形に由来するものと考えらる。
江戸時代に麻布村の一部分として記録
された広尾はもともと「樋蘢(ひろう)」
と書かれていた。
これが後に、広野のように広大な原野
だったことから「広尾」と書かれるよう
になったとされている。
・検索② :昔はこの地に多くのツクシ
(土筆)が生えていて「土筆ヶ原
(つくしがはら)」と呼ばれていたが、
広大な原野だったこの地は後に
「広野」となった。
また、「広尾原(ひろおのはら)」とも
呼ばれ、やがて「広尾」となったという
説がある。
・検索③:江戸時代、広尾原は渋谷村の
一部で、鷹狩りをする鷹場だった。
また、1668年(寛文8年)にこの地の
一部に町屋が建設され、渋谷広尾町が
発足したとの情報がある。
その後、この原野は「広野」と呼ばれ、
さらに元禄検地(1688年~1703年)の
頃から「広尾」と呼ばれるようになった
と言われているそうだ。
・ついでに「麻布」の地名の由来だが、
検索すると(1)麻布地区では、古くから
麻を栽培し、それを織って布を生産する
活動が行われていた。
(2)江戸時代(明暦元年頃)に、この地域
で麻を栽培・生産する活動が一般的に
なり、「麻布」という地名が定着し始めた。
(3)以前:「阿佐布」などの表記も存在した
が次第に「麻布」に統一されていった?
(4)麻布山善福寺の伝承によると、昔、
この地に麻が降ったことから「麻布留山」
と呼ばれたのが由来という説。
(5)浅い草が生えていた土地を「浅生」
と呼び、それが転じて「麻布」になった
という説などが出てくる。
しかし、地名に関して調べると、
「崩れやすい崖池を意味するアズと
その周辺を示すべ(辺)のアズべがアザブ
に訛ったもの。
麻布台地を巡る坂道や崖池の多い麻布
界隈の地形をあらわしている。」
ちなみに六本木辺りは「スリバチ地形」
の宝庫なのだそうだ。ますます、涎が
出てきそうだ。
以前、ある知り合いの学芸員さんが、
「地名は地形に関係することが多い」
と、小さく呟いていたことを思い出す。
だから、調べるのはおもしろいんだなぁ。
《参考資料: ①山内和幸著
「地形由来でみる東京の地名」まつお出版
②酒井茂之著「江戸・東京坂道ものがたり」
明治書院》
★江戸時代、広尾は江戸の近郊の農村地帯。
郊外ではあったが、甲州街道・大山道・
目黒道などの幹線道路に近いことから
大名の下屋敷が点在。
《参考資料: tokyorent》
・「武家地」とは?
江戸の土地全ては幕府の所有地で、
「武家地」(初期は90%、末期70%くらい)、
「町地」「寺社地」に大別。身分別に居住。
大名屋敷には上屋敷、中屋敷、下屋敷、
蔵屋敷などの種類。
「下屋敷」とは、火災の避難所・別荘・
保養所、野菜の自給場所として利用。
《参考資料: 鈴木理生・鈴木浩三著
「江戸・東京の地理と歴史」
日本実業出版社》
★南麻布に大使館が多いのは旧大名家
から没収した屋敷の跡地を明治政府が
各国に提供したから。そして
「・それらに適した広い土地や大きな寺院、
大名屋敷がたくさんあったこと
・外国人たちが港や江戸城、東海道、
横浜に近い土地を望んだこと
・公使館が集まっていたほうが警備
をしやすいと政府が判断したこと」
が大きな要因なのだそうだ。
《資料:「TOKYO坂道散歩なび」
坂の街研究会編より抜粋》
・「大きな寺院」
新しいおしゃれな街並みの中に時折、
古そうな黒い瓦の建物を見つけたが、
近づいてみると、それは寺院だった。
新しいものと古いものが混在している
感じだった。
(古地図:寺院の位置がハッキリ見られる)
・東京で広大な面積を残す場所は、
ほぼ大名屋敷で、庭園や公園として
現代に残っているそうだ。
★[番外編]
そういえば、何も知らずに池袋から
ウオーキングでウロウロしながら急な
坂を下ると、大きな庭園があった。
肥後細川庭園で細川家下屋敷だった
場所だった。
(神田川の北岸から武蔵野台地の傾斜を
活かした庭園)
下屋敷でもあのように広いのだなぁ。
★
広尾の古地図では
確かに下屋敷が多い。上屋敷もあった。
さらによく見ると「小役人」と書かれた
屋敷が多数ある。
下級旗本が暮らし、内職で糊口を
凌いでいた。地域ごとに得意な内職。
(麻布は草花の栽培)
(他地域では鈴虫飼育、傘張り、
金魚養殖など)
《資料》「古地図で歩く江戸・東京」
江戸楽編集部著 メイツ出版
★
[感想など]
現在の街並み、おしゃれで高級な住宅
やマンションが建ち並び、ガレージには
高級外車がきれいに整然と並んでいる。
私たちが歩いた道は全く自分が住む環境
とは違っていた。
でも、駅近くに庶民的なお店もあった。
高級住宅街と下町の両面を持ち、
インターナショナルな雰囲気と落ち着いた
環境が特徴がある街のようだ。
・なお、大使館は、もっとお国らしさ
が見られるのかと期待していたが、
思っていたよりもシンプルで
「静かにある」という印象のものが
多かった。警備もたいへんだし、
仕方がないのかな。
観光地ではないことがよくわかった。
・歩き始めは、駐日スイス大使館など
目の前で写真を撮っていく人も多く、
自由な雰囲気でカメラを構えていた。
しかし、大使館によっては門に
警備員が居て、緊張感が漂っていた。
中には、はっきりと
「撮影はNG」の大使館もあった。
それ以後、だんだんとカメラを控える
ことになり、一番楽しみにしていた韓国
大使館は遠くから眺めるだけになった。
韓国風の文化をもっと近くから感じ取り
たかった。
●広尾あたりの地形は、坂・階段・暗渠
など、涎が出そうな魅力がいっぱいの
ようだったが、今回は集団行動である
ため、サラリと通るだけであった。
調べてみたら、寺院の石碑などおもしろ
そうなものもたくさんあるようだった。
●この歩きで感じたこと、それは自分が
「多摩歩き」を好む理由だ。
23区内の「歩き」用のガイドブック
も幾つも購入してきたが心が向くのは
そして行きたいのは多摩地区なのだ。
人混みの多さ、地下鉄の長いエスカ
レーター、連絡通路の長さ、これら
から自分は離れていたいのだ。
「緑の中を歩きたい」しみじみと思って
しまう。そんな思いに駆られている時に
電話が鳴った。
「次は・・青山を歩くよ!!」
……………次号へ………
…………………………