通院が終わってから、思い切って電車に乗りました。
大丸の場所がよく分からなくなっていて、聞きながら行きました。💦
今年は、尾崎豊の没後30年、10年ごとに催しをしていることを
偶然聞いたラジオで、10日ほど前に知りました。
プロデューサーの須藤晃さんという人は、高校の同級生です。
尾崎さんとは、東京で一緒に仕事をしていたわけですが、
今は、生まれた家(富山県)に戻って暮らしているそうです。
尾崎さんの16歳から、亡くなるまでの10年間を一緒に
過ごしたというわけです。
尾崎さんの曲ができるまで、とか、レコードのジャケットのできるまでとか、
愛用のキター、ピアノ、机、手帳、時計・・・などなど、たくさん展示され、
曲が流れ、動画も映っていて、尾崎豊ワールドに浸れました。
中でも良かったのは、ふたりのやりとりした手紙があったことです。
図録には載っていなかったので、あの場でなければ読めませんでした。
小説も書くような才能があった、尾崎豊。
とても生き急いでいたんだなぁと思います。
今も人々の心を掴むのは、その真っ直ぐさゆえなのだろうと思います。
残された言葉のひとつひとつを、また味わってみようと思いました。
西へ向かう飛行機がたくさん上空を通ります。
きょうの潮流
「帰ってくるよ」。20年前の当日の朝、夫の横田滋さんは、にこにこ顔で喜んでいました。一方、妻の早紀江さんは
期待と不安が入り交じった複雑な心境だったといいます。
▼2002年9月17日。日本の小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳会談が行われ、
日朝平壌宣言が交わされました。北朝鮮は拉致の事実を初めて認め謝罪しましたが、政府が認定した被害者17人のう
ち、帰国できたのはわずか5人。横田めぐみさんは「死亡」と告げられました。
▼あまりにも残酷―。積年の思いと悔しさが爆発した拉致被害者家族の会見。朝から一転、涙にくれた滋さんの姿もあり
ました。怒りがこみ上げてきたという早紀江さんは、信じることはできない、これからもたたかっていくとマイクに向か
って叫びました。
▼以来20年、救出活動の先頭に立ってきた二人。滋さんは娘との再会を果たせないまま2年前に亡くなりました。86
歳になる早紀江さんも最近、急速に体の衰えを感じているといいます。
▼一刻も早い帰国を願いながら進まない交渉。再調査をはじめ、問題解決の道筋をつけてほしい。もどかしい思いととも
に家族たちは日朝会談の再開を政府に求めつづけています。
▼先日放映されたNHKクローズアップ現代「日朝首脳会談20年」のなかで、いまの心境を語っていた早紀江さん。が
んばって倒れまいと栄養をとり、歩き、懸命に生きている日々。ねがいはただ一つ。ついにめぐみが帰ってきた、待ちに
待った日がやってきた―その時を。
(しんぶん赤旗より)
安倍政治の8年あまりで、拉致問題はなんの進展も
していません。
それだけでも、国葬に値する人とはとても思えません。
ただただ自分の欲望のままに政治を利用しただけの
人ではないでしょうか、118回も嘘をついて……。
めぐみさんも恵子さんも帰らない 待てずに親は亡くなつていく
尾崎さんのファンなんですね!
>思いっきり見逃しておりました😅
ええ~、それはザンネンです!
次は、西の方へ行くのかな?
あっ、でも神戸の開催は中止になったと書いてありましたね。
また何かで偲びましょう!
龍です🐉
尾崎豊、
好きだったので懐かしいです。
私は『ダンスホール』が一番好きでした。
調べてみたら、
春に東京でも開催されていたのですね💦
思いっきり見逃しておりました😅
お返事が遅くなってごめんなさい。
須藤さんは、幅広くいろんな方と仕事をされたんですね。
村下孝蔵さんは、わたしも好きな歌手です。
澄んだ声の人だなぁと、聞いていました。
息子さん、Tomi Yoさんですね。
尾崎裕哉さんともお仕事をされていますね。
今回、いろいろなことを知ることができて良かったです。
故尾崎豊や浜田省吾・玉置浩二・故村下武蔵等で有名ですね。
息子さんも音楽プロデューサーですね。
超大型台風の進路が気になります。
被害出ない事祈りたいです。
9月も後半よろしくお願いします。