きょうは起きた時から晴天で、それだけでも気持ちが良かったです。
新聞のチラシに、クリーニング店の値引き券がついていたので、
さっそく5着、持って行きました。
きょうまで待ってて良かったと思います。
ニセアカシア
そこからぐるっと散歩しながら帰りました。
3月の終わり頃に、生協の近くのニセアカシアが5本も伐られていて悲しくなりました。
上の写真は、生協から100㍍くらい離れたところのものです。
人々に呼ばれる名など知らぬままニセアカシアは陽に匂ひたつ
ユリノキ この区の木です。
王冠のような花がたくさん咲いていました。
シラン
「この花の名前知ってる?」
「知らん」
「当たり!」
って、子どもたちと遊んだものです。
ツツジもあちこちで満開です。
2時頃から4時頃まで、苗を植木鉢に植え替えることをしました。
先輩からいただいた、アオバナ、ホタルブクロ、ハナズオウなど
広い所に植え替えました。
近所の友だちにあげる約束をしていたので、
その分をポットに植え、メールをしました。
夕方、渡すことができました。
きょうの潮流
この歌を行進曲風に改作してほしい―。労働者や民衆のたたかいを励ます曲をつくっていた荒木栄の元にきた依頼。そ
れが「沖縄を返せ」でした。
▼日本から切り離された沖縄の復帰をもとめる声がわき起こっていた頃。「民族の怒りをたたきこむつもりで歌ってもら
えれば力強いものになると思う」。荒木の返還への思いもこめた歌は、鹿児島から東京へと向かう最初の沖縄行進で全国
にひろがっていきました。
▼時をへて、この歌が「国境の海」によみがえりました。かつて、鹿児島の与論島と沖縄の国頭村の間で境界とされた北
緯27度線上で復帰を誓いあった海上集会。沖縄がみすてられた「屈辱の日」から70年にあたる28日、再現された集
会で参加者の合唱が海原に響きました。
▼当時の集会にも加わった浦添市の青山恵昭さんは「今回は今の沖縄、日本を問い直す」集いだったと。悲惨な時代に思
いをはせながら、いまだ米軍の横暴に苦しめられている現状を訴えて。
▼同じ日、岸田政権は辺野古新基地の設計変更を承認し建設を受け入れるよう沖縄県に強要。国会では過去の反省も基地
の縮小もなく、県民の命とくらしを脅かしている日米地位協定の見直しもない本土復帰50年決議が可決されました。
▼いま「沖縄を返せ」は、少しずつ歌詞をかえて歌われているといいます。「民族の怒りに燃ゆる島」は「県民の~」
に。最後の「沖縄を返せ」は「沖縄へ返せ」と。歴史の波にもまれながら継がれてきた歌。基地のない平和な沖縄が訪れ
る日まで。
(しんぶん赤旗より)