讃喫茶室

珈琲屋のおやじのぐだぐだ

かってに恩人

2010年08月31日 | 日記
  自分を徹底的に珈琲にのめり込ましてくれた人がいる
   
  もしその方がいなければここまで珈琲屋を続けてくることが出来たかどうか  

  それ以前に珈琲そのものに目を向けることとが出来たかどうか甚だ疑問だ
   
  もう30年も前になると思うのが柴田書店の珈琲だけに焦点をあてた 
  
  おそらく最初(ぼくがかってにそう思っている)の雑誌

  “Blend”が発刊された

  大変な名著でその後の珈琲関係の雑誌に少なからず

  影響を与えたのではないかと考えている  

  当時あまり一般的ではなかった珈琲の生豆や

  産地事情をカラー写真で掲載 

  ヴィジュアルで読者に徹底的にアピールし

  恥ずかしい話私などは 

  “Blend”をもってして植物分類としての珈琲

  焙煎工程における珈琲の変化(色彩・形状など)を知る事になった 

  おお真面目に珈琲はあの褐色のまま木に成っているのか 

  はたまた畑で取れるのか
   
  そんなことも定かではなかったバーテン(私)が
    
  何百杯もの珈琲をお客様に提供している現実
  
  本当に何も知らないままプロを気取っていた自分がはずかしく 
  
  当時けっこう落ち込んだことを覚えている

  その“Blend”の編集長

  山内秀文氏
  
  当事彼にとってみればこのような人間がいることは

  むろんあずかり知らないことではある
  
  だが私にとっては大きなターニングポイントになった  

  山内秀文氏に感謝

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