苦しかった。
母親役の石原さとみ
演技中、苦しかっただろう、これは。
私にとっては泣ける映画ってより
怖さだった。
母としての感情が、
私も、
こうして自分を失うであろうという恐怖心に
観るに辛すぎた。
以下、ネタバレありです。
事故や事件にまきこまれると
人、それぞれの
「たられば」がそこにあって
みながそこで苦しむことになる。
それは逃げ場がなくて
責められても、また背けられても
ずっと追い詰めていく自身で。
誰かのせいにしたら救われますか?
苛立ちをぶつけたら落ち着きますか。
そうでなくて
ずっと
苦しい。
劇中にあった
テレビ記者役、中村倫也の
報道に関する
【‘考えすぎ’ていいくらい考えなくちゃならないこと】
この言葉も重みがあった。
‘なんでもないようなことが’
楽しいと思えることも
笑い方をも忘れていく。
心が、失われていくということ。
どんな声をかけても
納得できるものはなく
言葉を選ばれながら接される。
でも
それでも
時間は同じように経過し
感情を抑えられない自分に
気づいてるんだけど。
ただただ
苦しいんだよ。
誰か、助けてよ。
母の姿にもだが、
弟が涙するシーンには泣けた。
愛しさを伝えても
「だったら何故」がそこにはあって
口にすることさえできない。
不器用すぎる生き方をしてるとこに
見てて辛かった。
虎舞龍って言われたっていいじゃん
その
「なんでもないようなことが幸せ」
そこに、気付けない日常があるんだよ。
父親も
決して温度差があるんじゃない
自分だけは抑えなくちゃと、
守るべき者がいるという、
前に向かう強さがある。
映画「ミッシング」
苦しい
明けない
わたしにとって、
心が重くなる映画でした。