「号泣」とともに脳がリセットされる感覚。思い出した。「自己啓発セミナー」。僕は縁があって一回「自己啓発セミナー」を受けさせられたことがある。
セミナーの内容の詳細は何とも書きにくい面があるが、自己分析や禅問答のようなことを、人(トレーナーと呼ばれる人)との対話を通して繰り返す、あるいは単に大声を出す、自分の常識を超えるような声を出すだけで、やり方によって極端な感動体験が得られる、というもの。自己啓発セミナーについては、おおよその感じは『洗脳体験』(二沢 雅喜著 島田 裕巳著 1991年 JICC出版局)あたりを読めばつかめると思う。僕が体験したものとは少し違ったけれども。
この感動体験は、自分自身の常識や思い込みが取り払われる時に感じられるものだと思った。人間が生物として、こういう機能を持っているのだと思う。ひょっとすると、ある種の宗教的な体験というものも、この感覚と同じものかもしれない、とも思った。
『感動(頭の中が真っ白)』 → 『リセット』 → 『再設定』 という機能は、人間が環境変化に適用するために本来的に備わっている機能なのだと思う。
この番組の中で、一点、非常に気になる解説があった。
「納得のいく内容で泣こう。」
テレビの説明では、納得がいかないとそのことが気になり、逆にストレスになるから納得する内容でとの事だったけれども、違う側面もあるはず。僕が受けた自己啓発セミナーでは、セミナーの後半、「感謝の気持ちを持って」「目標を立てる」ということを行った。感動した体験に意味(理屈)をつけ、それを定着させるような。リセットした後に、再設定して保存する感覚。「再設定して保存」というとアブナイ感じがするけれども、リセット後に何もしないと、不安定で危ないような気もした。
実は自己啓発セミナーで体験した対応とよく似た体験を、商品先物の勧誘で受けたことがある。(詳細は書かないけど当事、週刊ダイヤモンドの格付けは非常に高かったはず。今はもう営業していない。)そこの担当者は、セミナーのトレーナーと非常によく似た独特な、一般的には非常識な対応をされた。僕は以前に体験してたし、その会社に「宗教じみた勧誘」といううわさを聞いていたので、何とか逃げ出せた。エレベーターでプチ監禁じみたこともやられたけど。
ある種の業界では、今でも特殊な感動体験を利用した営業行為が実際に行われているとおもう。でも、その体験を知っている人は少ない。もし僕が、先物会社の勧誘に精根尽き果てた挙句に大金を損させられた場合、おそらく、契約したのは「自己責任」、損させられたのは「自業自得」としか扱われなかったはず。そういう、既に実用されている人間に備わった機能をもっと公開していくべきだ、と思うよ。
そういう意味で、『世界一受けたい授業』で『「号泣」パワーで脳内リセット!』という話題を扱ったのは、とても重要な第一歩になる、んじゃないかな。