飯舘村を後にして、南相馬市の鹿島地区へと向かいました。
その後、海岸にそって原町区小高区と移動します。
最終的には、原発まで20キロ圏内に入る、旧警戒区域まで行きました。
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●南相馬市(みなみそうまし)
南相馬市は、日本の太平洋沿岸北部、福島県に所在する市である。 いわゆる「平成の大合併」における原町市・小高町・鹿島町の3市町の合併によって2006年に誕生した。同県いわき市と宮城県仙台市の中間に位置する。

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とりあえず、復幸商店街で腹ごしらえ。
津波で店舗を失った商店がコチラでお店を開いています。


この野球場は津波に襲われ、バックネットによじ登った方だけが生き残ったそうです。
ガラスが割れ、荒れ果てたままで時が止まっています。

かつて住宅地だった場所も、雑草に覆われ広い草原のようです。
遠くに見えるお家は、鉄骨だったので残っていますが、木は半分立ち枯れ状態です。

田んぼだったところなのか、住宅地だったところなのか、道路の脇にはまだ海水が残っています。

左側の瓦礫の山もこのままで雑草に覆われてます。
震災から半年後に行った石巻のようです。

ここに沢山住宅が立っていたとは思えません。

左側に見えるのは下水管です。津波で掘られ、むき出しになっています。

原町区の海岸に着きました。
もともと広い砂浜だったように見えますが、実は、遠くに見える松の木の3倍もの高さの津波によって、住宅が全て跡形もなく流されたのです。



防波堤はちぎれ崩れたままです。

よく見ると、花筒がいたるところにあります。
ここに住んでいた方のためなのか、ここに流れつき発見されたご遺体のためなのか、足を踏み入れていることに罪悪感を覚え、思わず手を合わせます。

松の木は、まるでサルスベリのように皮が向けツルツルに。
波だけではなく、流された様々なものがここにぶつかり、削っていったのか…見上げると、ずっと先までズル剥けになっている様子が、異様な状況を感じさせるのです。

齊藤さんのお話では、津波で流された方たちは水で溺れたのではなく、色んな物にぶつかり、泥を飲み、発見された時には顔が紫色に腫れ上がっていたそうです。

海岸を後にして、小高地区に向かいます。
コチラは、原発まで20キロを切る旧警戒区域です。
それはどうゆう意味なのか、今までアタシも知らなかったので、参考までに書いておきます。
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●南相馬市HPより
警戒区域、避難指示区域等の見直しに関する市からのお知らせ
平成24年3月30日付けで、国の原子力災害対策本部において、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴い設定された警戒区域及び避難指示区域(計画的避難区域含む)の見直しを行うことが決定されました。
今回の見直しについては、住民の安全・安心の確保を最優先にした年間積算線量の区分に応じて、年間20ミリシーベルト以下の「避難指示解除準備区域」、年間20ミリシ-ベルト超50ミリシーベルト以下の「居住制限区域」、年間50ミリシーベルト超の「帰還困難区域」の3つの区域に再編されるものです。
なお、今回の見直しに伴い、4月16日(月曜日)から区域への出入り等が一部緩和されるようになりますが、引き続き避難指示が継続されることになります。
立入りについて
立入りは自由にできますが、宿泊は禁止です。
防犯のため、出入りゲートは、現在と同じ3ヶ所の検問ゲートとなります。
(1) 国道6号(原町区大甕地内)
(2) 旧国道・県道浪江鹿島線(原町区鶴谷地内)
(3) 山麓線・県道相馬浪江線(原町区片倉地内)
現在、設置されているバリケードはそのままとなります。
区域内では、多くの警察官が巡回しており、職務質問されることも予想されますが、防犯のためですので、ご理解願います。
浪江町では、警戒区域の指定が継続されていますので、立ち入ることはできません。南相馬市と浪江町の境界にバリケードが設置されています。
貴重品等は、防犯上、できるだけ自宅に置かないようにしてください。
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小高地区は、津波で建物の中を全部持って行かれた壊れた住宅がそのままになっています。



この家は別の場所からながされ、2階部分だけここに引っかかって残ったそうです。
危険な感じがするけど、手つかずです。

道路も傷んでいて、半分削り取られたままのところも沢山あります。
船が流されたまま、道路脇にあります。



危険を感じる地割した道路は、いつ治すのでしょう。




そしてここから先は立ち入り禁止区域です。

壊れた家も、崩れた道も、そのままなのには理由があります。
一度でも、警戒区域に指定された土地の物は、その地域から持ち出すことはできないのです。
瓦礫でも、家の中のものでも、たとえ線量を測っても、ダメなのだそうです。
荒れ果てていくこんな土地や我が家を見て、ここに住んでいた方たちはどんな気持ちになるのでしょう。
南相馬市で、地震で亡くなった方の人数は1,067人。そのうち関連死の人数は431人。
福島が最も関連死が多いと聞きます。関連死とは、どうゆう意味かわかりますか?
さて、この後はもう一度原町区に戻り、仮設住宅にご挨拶に伺いました。
でも、南相馬市には30もの応急仮設住宅があり、2783戸のご家族が避難されています。
全てを訪ね、全員に行き渡る物資はとても難しいのが現状です。
今回は、寺内第一応急仮設住宅へお邪魔しました。


コチラで井戸端会議中。仲間に入れてもらいました。

最後に、きみこさんにお茶をいただきました。

またお邪魔します!約束をして、南相馬市社会福祉協議会、鹿島区福祉サービスセンターへ向かいました。
所長の堀内さんにも、「齊藤さん、いつもありがとう!」と挨拶され、アタシたちも紹介していただきました。
詳しい現状について、資料をいただき、お話を聞くことができました。
ボランティアで訪ねてくる方たちのために、いろんな手配をしてくださるのもここです。

配りきれなかった手編み品とふきんと石鹸のセットは、コチラにお願いしました。

今回お渡しした物品には、一つ一つにこのカードを添えました。

最後に、暗くなるまで付き合っていただいた齊藤さん、お茶を出して下さったきみこさん、所長の堀内さん、その他優しく迎えてくださった地元の皆さん、そして、無理を言って急に品物を注文したのにかかわらず、親切に対応して下さったサンベルム(株)東さん、ありがとうございました!!
東さんからの丁寧なお手紙を、紹介させていただきます。

その後、海岸にそって原町区小高区と移動します。
最終的には、原発まで20キロ圏内に入る、旧警戒区域まで行きました。
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●南相馬市(みなみそうまし)
南相馬市は、日本の太平洋沿岸北部、福島県に所在する市である。 いわゆる「平成の大合併」における原町市・小高町・鹿島町の3市町の合併によって2006年に誕生した。同県いわき市と宮城県仙台市の中間に位置する。

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とりあえず、復幸商店街で腹ごしらえ。
津波で店舗を失った商店がコチラでお店を開いています。


この野球場は津波に襲われ、バックネットによじ登った方だけが生き残ったそうです。
ガラスが割れ、荒れ果てたままで時が止まっています。

かつて住宅地だった場所も、雑草に覆われ広い草原のようです。
遠くに見えるお家は、鉄骨だったので残っていますが、木は半分立ち枯れ状態です。

田んぼだったところなのか、住宅地だったところなのか、道路の脇にはまだ海水が残っています。

左側の瓦礫の山もこのままで雑草に覆われてます。
震災から半年後に行った石巻のようです。

ここに沢山住宅が立っていたとは思えません。

左側に見えるのは下水管です。津波で掘られ、むき出しになっています。

原町区の海岸に着きました。
もともと広い砂浜だったように見えますが、実は、遠くに見える松の木の3倍もの高さの津波によって、住宅が全て跡形もなく流されたのです。



防波堤はちぎれ崩れたままです。

よく見ると、花筒がいたるところにあります。
ここに住んでいた方のためなのか、ここに流れつき発見されたご遺体のためなのか、足を踏み入れていることに罪悪感を覚え、思わず手を合わせます。

松の木は、まるでサルスベリのように皮が向けツルツルに。
波だけではなく、流された様々なものがここにぶつかり、削っていったのか…見上げると、ずっと先までズル剥けになっている様子が、異様な状況を感じさせるのです。

齊藤さんのお話では、津波で流された方たちは水で溺れたのではなく、色んな物にぶつかり、泥を飲み、発見された時には顔が紫色に腫れ上がっていたそうです。

海岸を後にして、小高地区に向かいます。
コチラは、原発まで20キロを切る旧警戒区域です。
それはどうゆう意味なのか、今までアタシも知らなかったので、参考までに書いておきます。
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●南相馬市HPより
警戒区域、避難指示区域等の見直しに関する市からのお知らせ
平成24年3月30日付けで、国の原子力災害対策本部において、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴い設定された警戒区域及び避難指示区域(計画的避難区域含む)の見直しを行うことが決定されました。
今回の見直しについては、住民の安全・安心の確保を最優先にした年間積算線量の区分に応じて、年間20ミリシーベルト以下の「避難指示解除準備区域」、年間20ミリシ-ベルト超50ミリシーベルト以下の「居住制限区域」、年間50ミリシーベルト超の「帰還困難区域」の3つの区域に再編されるものです。
なお、今回の見直しに伴い、4月16日(月曜日)から区域への出入り等が一部緩和されるようになりますが、引き続き避難指示が継続されることになります。
立入りについて
立入りは自由にできますが、宿泊は禁止です。
防犯のため、出入りゲートは、現在と同じ3ヶ所の検問ゲートとなります。
(1) 国道6号(原町区大甕地内)
(2) 旧国道・県道浪江鹿島線(原町区鶴谷地内)
(3) 山麓線・県道相馬浪江線(原町区片倉地内)
現在、設置されているバリケードはそのままとなります。
区域内では、多くの警察官が巡回しており、職務質問されることも予想されますが、防犯のためですので、ご理解願います。
浪江町では、警戒区域の指定が継続されていますので、立ち入ることはできません。南相馬市と浪江町の境界にバリケードが設置されています。
貴重品等は、防犯上、できるだけ自宅に置かないようにしてください。
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小高地区は、津波で建物の中を全部持って行かれた壊れた住宅がそのままになっています。



この家は別の場所からながされ、2階部分だけここに引っかかって残ったそうです。
危険な感じがするけど、手つかずです。

道路も傷んでいて、半分削り取られたままのところも沢山あります。
船が流されたまま、道路脇にあります。



危険を感じる地割した道路は、いつ治すのでしょう。




そしてここから先は立ち入り禁止区域です。

壊れた家も、崩れた道も、そのままなのには理由があります。
一度でも、警戒区域に指定された土地の物は、その地域から持ち出すことはできないのです。
瓦礫でも、家の中のものでも、たとえ線量を測っても、ダメなのだそうです。
荒れ果てていくこんな土地や我が家を見て、ここに住んでいた方たちはどんな気持ちになるのでしょう。
南相馬市で、地震で亡くなった方の人数は1,067人。そのうち関連死の人数は431人。
福島が最も関連死が多いと聞きます。関連死とは、どうゆう意味かわかりますか?
さて、この後はもう一度原町区に戻り、仮設住宅にご挨拶に伺いました。
でも、南相馬市には30もの応急仮設住宅があり、2783戸のご家族が避難されています。
全てを訪ね、全員に行き渡る物資はとても難しいのが現状です。
今回は、寺内第一応急仮設住宅へお邪魔しました。


コチラで井戸端会議中。仲間に入れてもらいました。

最後に、きみこさんにお茶をいただきました。

またお邪魔します!約束をして、南相馬市社会福祉協議会、鹿島区福祉サービスセンターへ向かいました。
所長の堀内さんにも、「齊藤さん、いつもありがとう!」と挨拶され、アタシたちも紹介していただきました。
詳しい現状について、資料をいただき、お話を聞くことができました。
ボランティアで訪ねてくる方たちのために、いろんな手配をしてくださるのもここです。

配りきれなかった手編み品とふきんと石鹸のセットは、コチラにお願いしました。

今回お渡しした物品には、一つ一つにこのカードを添えました。

最後に、暗くなるまで付き合っていただいた齊藤さん、お茶を出して下さったきみこさん、所長の堀内さん、その他優しく迎えてくださった地元の皆さん、そして、無理を言って急に品物を注文したのにかかわらず、親切に対応して下さったサンベルム(株)東さん、ありがとうございました!!
東さんからの丁寧なお手紙を、紹介させていただきます。

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