こぶとりオヤジの人生リセット大作戦!

このブログは、人に読んでもらうため…というよりは、自分の記録のためのブログです。

1970年5月3日

2015-04-30 21:34:19 | 列車の旅

 当時非常に珍しかった祭日を含めた三連休の初日。5月3日(土)は憲法記念日、4日は日曜日、5日(月)は子どもの日であった。現在のように土曜日は休日ではなく、半ドン。振替休日制度もなく、三連休そのものが珍しかった。

 だから三連休を利用してどこかに出かけようと考えることが普通で、我が家も栃木県の父の実家(黒磯)へ出かけることになった。しかし列車の指定席はとれず、黒磯までの列車利用は、出たとこ勝負。当時の時刻表を入手したので記憶をたどると、次のようになる。

 上野駅7時53分発の急行「日光2号」に乗車、しかし自由席利用で混雑の中、列車内で立つことになる。目的地の黒磯までは行かないので、小山(8時49分到着)で降りて、次の列車を待つ。高崎から両毛線経由で来た小山9時38分発の臨時列車宇都宮行きが、この日は黒磯まで延長運転をする日になっていて、これに乗車。普通列車でありながら停車駅が宇都宮、矢板、西那須野、黒磯と、急行列車並みの列車であった。車両は湘南電車の配色の電車で、三つ扉の車両。いわゆる急行列車などに使用されるような上等な車両ではなかったが、かなり空席があり家族みんな座れて黒磯まで行くことができた。

 時刻表を眺めていたら、実はこの日は上野から現在では考えられないような臨時列車が出ていた。上野発午前1時30分の福島行き普通列車(上野駅18番ホームに0時55分に入線)。列車番号は8131で、客車列車である。黒磯からは定期運行する(黒磯発6時23分で列車番号は131)列車であるが、この日、すなわち三連休の初日だけは上野発の列車になっていた。

 この日、この列車の前は上野発0時15分の夜行急行臨時列車「ばんだい55号」会津若松行(全車自由席)であり、それから1時間15分後の真夜中に上野を出発する普通列車というのも、どれほどの利用客がいたのか興味深い。


子どもたちの顔と名前を覚え始める…

2015-04-29 05:33:19 | 中学校の先生という仕事

 子どもたちの顔と名前を少しずつ覚え始めてきた。よく発言する子、授業中にちょっと目立つ行動をする子から覚えるのは自然である。顔と名前を覚えると親近感も増える。学校内ですれ違うと、挨拶や言葉を交わせるようになる。

 一方で、前の職場の子どもたちへの愛着も少しずつ小さくなっていくのも宿命か…。昨日の夕方はわりと仕事に余裕があったので、去年つくった学級通信を何度も見返してしまった…。

 この間の日曜日の夕方には、前の職場の剣道部の保護者の方、子どもたちが歓送迎会をひらいてくれた。

 私たちの関わりは、これで終わりじゃないという気持ちをお互いに確認できたと思っている。前の職場では、子どもたちと、保護者の方々と本当に素晴らしい関係が築けていたと思う。今の職場でも、担任こそしていないけれどそれなりに築いていきたい。


新しい学校で

2015-04-19 12:26:54 | 中学校の先生という仕事

 まず、先生方の名前がわからない。顔と名前が一致しない。当然、生徒たちの顔と名前がわからない‥。つい、前勤務していた学校の生徒たちの面影を、今の生徒たちに求めてしまう…、などという状況の中で仕事が始まった。

 コピー機の使い方にとまどい、シュレッダーする場所、かくだい君の使い方を一から学ぶ。それでも授業が一巡して、少しだけ生徒たちの名前を覚えられるようになってきた。

 二年生には、すでに化学実験を二つ(炭酸水素ナトリウム、水の分解)行ったが、印象として「実験慣れ」していない。だから「試験管を割る」「水酸化ナトリウム水溶液を床にこぼす」などのトラブルが続く。レポートを読むと「初めて水素をつくった」生徒が多く、火を近づけることを皆恐々と行っていた。ということは、1年生の時は水素をつくっていない=もしかすると水上置換すらやったことがない子たちなのかもしれない。

 それでも、好きになれそうな職場である期待もある。頑張ろう。


前任校の離任式で…

2015-04-07 21:40:01 | 中学校の先生という仕事

  今日4月7日(火)は、市内の殆どの学校で離任式(退職者、転勤者による挨拶)が行われた。

 私も挨拶するメンバーの一人で、順番は9人中の7番目。この業界、基本的に挨拶は格の上の人からスタートするが、今回は一番格上の人が負傷により、その人は一番最後の挨拶に回った。ほかの人たちは5年~6年間勤務しての異動なのに、私の場合はわずか2年で異動。

 観察していたら、9人中4人の職員はいわゆる節目=前年度3年生所属により、卒業生を送り出してからの異動であったものの、一番関わった肝心の生徒たちがあまりいない状態…。私の場合は逆で、これまで関わった生徒たちが今なお、三年生、二年生としていてくれた…。だから、挨拶にも心をこめることができた。新二年生、新三年生に対して、関わった剣道部に対して、放送委員会に対して、具体的なメッセージを送ることができた。

 社交辞令かどうかわからぬが、後で校長先生や近くの先生たちから「スピーチが面白かった」と褒められた。

 生徒代表からのスピーチは、こちらで指名した、一番手のかかった男子生徒。内容はともかく、彼が考えた抜いたスピーチの内容に感動。

 それから花束を渡してくれた女子生徒も、こちらで指名した。一年生、二年生とも学級で関わった女子生徒で、学年の切り札的存在だが、これまであまり前面に出させなかった生徒だ。 

 花道を戻る中、二年生の学級担任だったときの保護者たちから急遽花束をいただいて、またまた感動。メッセージカードには「温かい、暖かい、心が伝わるモリゾー先生。たくさん、ありがとうございました。お元気で‼」と書かれていました。(感謝‼)


子ども達との別れ際

2015-04-01 08:07:56 | 中学校の先生という仕事

 昨日(3月31日)、剣道部の子たちに「明日から」異動することを伝えた。教員の異動は、3月31日の朝刊に記事掲載されるからで、それで初めて公にできる。といっても掲載されるのは正規の教職員だけであって、私のような臨時教員には影響のない話でもある。

 学校によっては、非常勤講師や臨時教員に対して、3月25日の修了式の日に「お別れの挨拶」をさせる学校もある。

 臨時教員として最初勤務した学校はまさしくそれで、翌年度も同じ学校に居残ることがわかっていても、修了式の日に別れの挨拶をさせられた。あまりに迫真の演技をしすぎて、当時顧問をしていたバレーボール部の部長だった子が慌てて泣きついてきた挙句、次は4月の着任式でまたもやご対面~なんていう「子どもたちからの信用を失うようなこと」をやってしまった。

 昨日まで勤務した学校はそのようなことはなく、4月6日の離任式で挨拶をすることになっている。寂しい気持ちは子ども達よりも自分に多くある場合、挨拶の内容が「自己陶酔型」になりやすく、その点は気をつける。関わった放送委員会、顧問をした剣道部、授業で関わった旧1年生、旧2年生、そして担任として関わった学級の子どもたちに対して、お礼の気持ちを淡々と述べることにしよう。

 わずか二年間だけの勤務ということに「?」の保護者や子どもたちもいるかもしれないが、正規のフリをして今日まできているので、根本の理由である臨時教員の身分をいまさら暴露するのもどうかと思う。「私の力を求めている学校があるので…」ぐらいの説明にしておこう。

 臨時教員の身分で「学級担任」の仕事にハマり、子どもたちや保護者の方々との関係に深入りするのも良くないとも思っている。