当時非常に珍しかった祭日を含めた三連休の初日。5月3日(土)は憲法記念日、4日は日曜日、5日(月)は子どもの日であった。現在のように土曜日は休日ではなく、半ドン。振替休日制度もなく、三連休そのものが珍しかった。
だから三連休を利用してどこかに出かけようと考えることが普通で、我が家も栃木県の父の実家(黒磯)へ出かけることになった。しかし列車の指定席はとれず、黒磯までの列車利用は、出たとこ勝負。当時の時刻表を入手したので記憶をたどると、次のようになる。
上野駅7時53分発の急行「日光2号」に乗車、しかし自由席利用で混雑の中、列車内で立つことになる。目的地の黒磯までは行かないので、小山(8時49分到着)で降りて、次の列車を待つ。高崎から両毛線経由で来た小山9時38分発の臨時列車宇都宮行きが、この日は黒磯まで延長運転をする日になっていて、これに乗車。普通列車でありながら停車駅が宇都宮、矢板、西那須野、黒磯と、急行列車並みの列車であった。車両は湘南電車の配色の電車で、三つ扉の車両。いわゆる急行列車などに使用されるような上等な車両ではなかったが、かなり空席があり家族みんな座れて黒磯まで行くことができた。
時刻表を眺めていたら、実はこの日は上野から現在では考えられないような臨時列車が出ていた。上野発午前1時30分の福島行き普通列車(上野駅18番ホームに0時55分に入線)。列車番号は8131で、客車列車である。黒磯からは定期運行する(黒磯発6時23分で列車番号は131)列車であるが、この日、すなわち三連休の初日だけは上野発の列車になっていた。
この日、この列車の前は上野発0時15分の夜行急行臨時列車「ばんだい55号」会津若松行(全車自由席)であり、それから1時間15分後の真夜中に上野を出発する普通列車というのも、どれほどの利用客がいたのか興味深い。