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じじい、無駄な抵抗はよせ!

無駄な抵抗はよせ! 
だが、一度きりの人生じゃ
映画のタイトルに触発されて、じじいの抵抗はいかに??

NY3

2019-12-30 08:24:29 | 行きたい旅先
NYはお上りさんだらけ、それも世界中からお上りさん
がやってくる。どこに行っても観光客で溢れかえってい
て、田舎丸出しの言動もご当人達はいたって気にしてい
ない。無論、私自身も田舎もんには違いない。私なんぞ
「世界の田舎モン」だ。オープントップの2階建て観光
バスの上から通りに向かって大騒ぎしている。

日本人を外国人は、無口、怖い、何を考えているか分か
らない、などと評価されているようだ。国民性だから仕
方が無いのだが、シャイで黙った居ては気持ちを通わせ
ることはできない。ましてや、凄い美人が隣に座ってい
るのに声を掛けない手はないハズだ。
交差点で信号待ちの時、紫色のワンピースを素敵に羽織
る黒人女性を褒めたことがあった。すると、いろいろな
ポーズを自分に見せてくれた。

私は完璧に英語が話せる訳では無い。しかし、長い時間
聞き耳をたてているとリズムに乗って相手の言っている
ことが分かることも多い。それに、間髪いれずに何かの
反応をすることがコミュニケーションの始まりだろう。
見事なスタイルを褒めたり、微妙なジョークを話す人に
凄い、素敵、もっと教えてなど、言葉を返すだけで近づ
けるものだ。

宿泊中のホテルのバーに行ってカウンターで飲んでいる
と、仕事帰りのヤッピーが数人隣で盛り上がり始めた。
どうも女の子のハナシのようだった。何かの拍子にハナ
シを挟むと会話に入れてくれた。全部は理解できなかっ
たが、もっと話せと言われ、デタラメな言い方にも理解
をしようと努めてくれた。ネイティブの彼等は言葉を補
足してくれた。正確な言葉は時には必要ではなく、二の
次でいいのだ。彼等が去った後、バーテンダーが私の所
へやって来て、場を盛り上げたからだと言って一杯おご
ってくれた。トムクルーズのカクテルを思い出した。

ブロードウェイには、観光客向けのお土産やが軒を連ね
ている。日が落ちると、電飾や看板サインが何とはなし
に気分を盛り上げてくれる。信号が変わると南北に走る
大通りをイエローキャブがビュンビュン飛ばして通過す
る。その大通りを袈裟切りにしたように少し斜めに走っ
ているのがブロードウェイで、最南端まで走っているの
だ。ニューヨークは朝まで眠らない街だ。賑やかなのは
セントラルパークの南からタイムススクエアあたりまで
だろうか。時間があれば日が落ちた後のエンパイアステ
ートビルに上ってみるといい。南北にマンハッタンを一
望できる。その息を呑むほどの美しさには圧倒される。

トムハンクスとメグライアンのめぐり逢えたらのラスト
シーンを思い出す。


ここへ行く時は、出来れば二人連れがイイ、けどネ。

つづく

NY2

2019-12-28 11:57:01 | 行きたい旅先
ブロードウェイはミュージカルが沢山掛かっている。
94年には、ウィンターガーデンでCAT’Sをやって
いた。その小屋はそれほど大きくない。沢山のミュージ
カルを見たが、劇場は他の出し物と少し違っていた。
CAT’Sは猫の物語だから、コーラの缶や自動車のタ
イヤなどは俳優にくらべて大きく作られている。

舞台は猫のたまり場のハナシ。沢山の猫が登場する。
最初、暗天の舞台に光る目をもつ猫が次々に登場する。
一部は壁をつたい、一部は客席から現れる。それは、真
夜中の猫の集い、ダンスと共に次々と歌われる。そして
一番汚い老婆の猫が昔を懐かしむようにあの名曲を歌い
出す。(何度聞いても感動してしまう・・・)


  メモリー


私が見た舞台には、丁度、白猫ビクトリア役で日本人が
が出ていた。オーディションをパスしてブロードウェイ
で役をもらえるのは大変なのだ。その女性の記事がフラ
イデーだったかに掲載された。ミュージカルは最前列が
オーケストラといい、かぶり付になる。このCAT’S
の場合、客席と舞台の境目が無い。


国内では劇団四季が日本人のみの配役で行っているが、
本家の方は英国>米国でロングランを重ねたが、惜しま
れながらも16年前に終わってしまった。
それが、この度、実写版ミュージカルとして改めて発表
されるようだが、一足早く上映された米国での評価があ
まり良くない。日本では2020年1月24日からロー
ドショーとなる。やはり、舞台は舞台の生がいい。

ブロードウェイのミュージカルにはランキングがある。
そして、毎年発表されるミュージカルのアカデミー賞は
トニー賞で、米国で最も権威のある演劇賞である。舞台
から映画になった作品も多い。サウンドオブミュージッ
ク、ウェストサイド物語、オペラ座の怪人、タイタニッ
ク、などがある。他にミスサイゴン、蜘蛛女のキス、タ
イタニックなどを観てきた。

同時多発テロにあった貿易センタービルには、観劇用の
チケット売り場があった。列ができていたので、同ビル
の入場チケット売り場と思って並んでいたら、これはミ
ュージカルチケットの列だよと言われた。それにしても
あのビルが吹き飛んでしまうなどとは想像もできなかっ
た。ちなみに、貿易センターが狙われてのは(航空機に
よるものではないが)ビル地下で爆発騒ぎがあったこと
があるのだ。貿易センタービルが一般に公開されている
のは片側のビルだけだ。下から見上げると首が委託なる
ので、ベンチに寝そべって眺めた。

ミッドタウンのホテルから近いところにブロードウェイ
の劇場が沢山点在している。そして、観劇の前や後には
食事を楽しむことができる。高級店もあればリーズナブ
ルな店もある。どちらの店も同じ事がひとつだけある。
米国人はよく食べる。ポンドTボーンステーキには、て
んこ盛りのフレンチフライドポテトが普通付いてくる。
ドンブリ二つ分くらいあったと思う。それらを平らげた
後に両手を合せた位の大きさで、真っ赤なあまーいイチ
ゴシロップの掛かったケーキもペロリなのだ。

キングサイズの人が多い理由はコレなのだろう。

                     つづく

NYの旅

2019-12-26 12:14:35 | 行きたい旅先
1994年、サッカーワールドカップ米国大会が開催中
であった。今ほどサッカーは人気が無かったせいか
米国・ニューヨークへ行くまで知らなかった。
町の中では玩具の自由の女神の玩具の冠を被ってい
る人に出合った。

ニューヨークは商業の町だが、遊ぶところも沢山あ
る。絵の好きな私は現代美術の美術館などを中心に
見てあるった。MOMA、ホイットニー、グッケン
ハイムなどなど。そして、SOHOのギャラリー巡
り。当時は画廊ができ始まったばかりの頃だったが
がらんとして大きな空間でポップアートなども見応
えがあった。

そして、定番のエンパイアステートビルディング、
自由の女神、そのころまあ有った、貿易センターの
ツインビル。このツインビルは片側だけが一般に開
放されていた。

野球などのスポーツシーンでは、国旗に対して米国
人は敬意を払う。学校で国歌を唄わせないなどとい
うことは無いようだ。そして、国旗をいかに映えさ
せるか、自由の女神が立っている島へ行くとよく分
かる。自由の女神は当然に立派だが、となりに巨大
な国旗が掲揚されている。そして、晴れた日などに
はたなびく星条旗の後ろに世界に誇るマンハッタン
のビル群が望める。米国人でなくても、そのゴージ
ャスな演出には感動させられてしまう。

NYの友人は地下鉄に乗らないという。セントラル
パークからマンハッタンの最南端にあるバッテリー
パークまで地下鉄に乗ると言ったら、自分はもう二
年以上も乗っていないよと言われた。それだけ地下
鉄の治安が良くないのだろう。怖い目にあった訳で
はないけれど、夕方、外れの駅から地下鉄に乗った。
その時五・六人の乗客が居たのだが、自分以外は全
員が黒人だったことがあった。何とはなしに不気味
な感じがした。


旅の選択肢7

2019-12-21 11:23:53 | 行きたい旅先
クロズリーデリラというパリのカフェ

ずいぶん昔、高村光太郎記念会の事務局長・北川太一さんから、
今年の連翹忌はパリのクロズリーデリラというカフェでやりま
すと伺ったことがある。連翹忌(れんぎょうき)は毎年、光太
郎の命日である4月2日に開催されている。
 その年の暮れにパリのカフェを訪ねることにした。本来なら
「花のパリ」と言われるくらいだから季節の良い初夏に訪れた
いところだが、自分の懐はいつも涼しいので12月の旅になっ
た。クリスマスを除いて冬のパリを訪れる人は少ない。従って
旅費も安い。


光太郎は、いわゆる良いところの息子で(父は日本屈指の木彫
作家・高村光雲)父の援助で3年ほど遊学するときには大勢の
門弟達が横浜港まで見送ったという。
光太郎はパリ滞在中に同じ彫刻家であるロダンの作品を見て衝
撃を受けることになる。日本人には無い、図太く豪快な作風に
圧倒され「俺はやはり一人のモンゴロイドに過ぎない」と滞在
日記に書き残したという。


クロズリーデリラはリュクサンブール公園を南に下がった辺り
にあり、モンパルナス駅からは歩いても400米位だ。巴里派
の文人や画家が集まった有名なカフェで、モンマルトルから物
価の安いモンパルナスに集まってきたのだという。その中には、
ヘミングウェイやピカソ、藤田嗣治らも居た。写真は店でもら
った立派なパンフレットの部分だが、もしもこのカフェが無け
れば、キュビズムは生まれなかったかも知れないという。

少し歩いて、アンバリド宮(ナポレオンの墓所)を訪ねた後に
隣のロダン美術館にも行ってみた。ロダン美術館はロダンのア
トリエであった館で、作品を数千点を収蔵している。収蔵品に
は接吻、カレー市民、地獄門などがある。展示品は館内と中庭
に置かれている。
                    つづく

旅の選択肢6

2019-12-18 07:36:51 | 行きたい旅先
10歳上の従兄弟が大好きだった歌がある。
映画「慕情」のテーマソングはマットモンローの
 love is a many splendoerd thing だが
映画の中で丘の上から見おろす香港の空気は澄み
切っている。
 従兄弟は太いのバリトンで、酒席で盛り上がる
と自慢のこの歌を言語で披露していた。

香港島海岸沿の絵はがき専門店で百万ドルの夜景と
言われた頃の少し大きめの写真を買った。撮影され
たのはもう二十年も前のことという。
今では特徴ある中国銀行ビルのギザギザの電飾も少
し陰っているようだ。その金融街には香港一高い貿
易センタービルがあり、地下には空港行のMTR駅
でシティチェックインもできる。香港を発つ日、い
つも早めに荷物を預けてから町へくりだした。


ブルースリー主演の映画「死亡遊戯」のファストシ
ーンでは、ビルの間をギリギリに航空機が降りてく
る。その啓徳空港に代わり市内から25分ほどの乗
車で1998年開港の巨大で近代的なアジアのハブ
空港に着くことができる。この空港は昨年からフェ
リーではなくバスで澳門や中国の珠海にも行くこと
ができるスカイピアも完成。香港に隣接する深圳、
澳門に隣接する珠海の近代化の早さには訪ねる度に
驚かされる。土地は国家のモノ、社会インフラが必
要とあれば、国民の居住権よりそちらを優先できる。
アミーバのように、香港は訪ねる旅に増殖している。
好景気と巧みな海外資本を受け入れる中国人は侮れ
ない!


最初に香港を訪ねたのは1973年のことだ。台湾船籍
の研修船で横浜から香港~マニラを2週間かけて訪
ねる旅だった。丁度、米国の航空母艦が入港してい
た。二日間の停泊で香港のネイザンロード、ビクト
リアピークなどに行った。英国式の2階建てバスや
市内を走るトラムも当時はノンビリした感じだった。
しかし、現在の市内の混雑度合は比較にならない。
エレベーター速度は速いし、信号待ちするベルのよ
うな音も何となく忙しい。

バッタ物で有名な女人街は薄汚れた建物の谷間を所
狭しと品物で埋められ、観光客が通路に溢れている。
旅行記作家・沢木耕太郎の「深夜特急便」には薄暗
く不気味な雰囲気を確かに感じとることができる。
香港には地震が無い。高層アパートがハンパなく接
近して建築されている。大通りから一歩裏通りへ入
れば庶民の生活を底から支えている飲食店、衣料品
店などが混在密集しており、行き交う車や人の多さ
もすさまじい。

この町を中国本土はどうしようとしているのだろう。
英国人により資本主義の先兵として突き進んできた
香港だが、それに共産主義のタガをはめようとして
いるようだが、はたしてできるだろうか。

しかし、
本土から電車を直接乗り入れ、海峡をまたぐとてつ
もなく長い橋で澳門や珠海と直結するなど準備は着
々と進んでいる。
澳門一のマカオタワーは2年前まで最も高い建築物
であったが、隣の珠海の高層建物群に。抜かれた

確実に本土統制に向かっている。   つづく