禁パチ親父の日記

家族持ち中年サラリーマン親父です。借金、ギャンブル依存症からの脱出!

人が死ぬということ。

2009-07-29 23:47:59 | Weblog
禁パチ249日目。

少し宗教じみた話をすると、人の寿命というのは予め決まっていて、死ぬというのは、その人が人生において完遂すべき事を終えたからなのだろうと思う。

もちろん寿命の長短ではない。

「神はその人が乗り越えられない試練は与えない。」という言葉がある。
逆に言えば、死ぬというのは全てを乗り越え、目的を達成したことになるのではないか?

会社で同世代の課長が亡くなった。40歳だった。

会社の後輩の女の子が鬱で自殺した。22歳だった。

父と母は相次いで亡くなった。75歳だった。

兄は生まれて数時間で亡くなった。

もちろん志し半ばで逝った人もいる。

両親も孫の成長を見たかったと思う。

でも、彼らは逝き、私は生きている。

私はまだ何も乗り越えていないし、何も完成させていないんだろう。

だから生かされている。
身近な人が亡くなった時はそう考える。

「逝った人は成し遂げたのだ。我々は何も作り上げてはいない。だから生き残ったのだ。」と。

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