mardi brabo

手作りとおやつと雑貨とフランスを愛する日々。
火曜(mardi)は休日、何しよう。

できたてのほやほや

2006年11月29日 | coudre(縫う)
 たった今完成したばかりの、冬のコースターです。

 ギリギリセーフで、12月に間に合いました。
 秋は本当に短いです。と言っても、地球温暖化のせいか、今のところまだ、ブーツにコートや毛糸の帽子の人を見ると「頑張ってんなぁ」って思ってしまうのですが。

 でも、街がクリスマスイルミネーションで飾られ始めると、やっぱり赤いホッペをして、白い息を吐いてるのが似合います。
 そんな日は、窓がくもるような、温かい室内で、牛乳だけで練ったココアを頂きたい。それに似合うイメージで作ってみました。

 ベースはコーデュロイです。コーデュロイはもともと厚みがある生地なので、いつもみたいにタオルを中に入れなくても良いかなあと思ったのですが、入れてみるとやっぱりシャンとして「あらブラボーのコースター」っていう仕上がりになりました。
 裏にはちゃんと忘れずに、451のタグも付けました。こちらはこちらで、シンプルでいい感じなので、裏表どちらもお使い頂けると思います。
   

 でも分厚いからって、土鍋などを置くのはやめて下さいね。夢がないから。

ちなみにこちらは去年の冬のコースターです。
                         「フラノ」に凝っていた事が伺えます。

かぎ針のモチーフ編み

2006年11月27日 | coudre(縫う)

 かぎ針のモチーフ編み、流行っていますね。

 ブラボーは、編み物は得意ではありません。何しろ根性がないのです。
 洋裁だったら、布に型紙を置いて切るだけで、前見頃、後ろ見頃、袖などがバンバンと出来上がっています。
 なのに、編み物と来たら、その見頃や袖の一つ一つを編み上げて行かなければなりません。やっとパーツが出来上がっても、それをはぎ合わせ、更に襟ぐりの始末などをしなければなりません。気が遠くなります。
 「着たい時が作りたいとき!」なので、思い立ってから出来上がるまでが長いと、その情熱を保ち続ける事が出来ないのです。
 ちなみに、同じ理由で、お菓子は作れてもパンは作れません。発酵を待つ事が出来ないのです。

 でも、モチーフ編みの持つ、その野暮ったさ、暖かみ、懐かしい感じはずっと好きな世界です。だから、本屋さんに行って、かぎ針編みで作る小物の本が山ほど出ているのを見ると、何となくやってみたくなりました。

 やってみると、結構ハマります。
 何しろ、あっと言う間に出来る。何しろ、小物ですから。
 それに、洋裁のように場所が要りません。道具も毛糸と針だけです。
 温かいミルクティーを横に置いて、テレビでも観ながら手を動かしていても出来上がってしまいます。
 
 でもきっと、味をしめて「コレを何十個もつなぎ合わせて膝掛けを作ろう!」なんていう無謀な計画を立てたとしたら、恐らく情熱は、長くは続かないに違いありません。

ハチミツ漬け作りました

2006年11月25日 | quotidien(日々)

 11月も終わりに近づき、いよいよ寒くなって来ましたので、ショウガとレモンをハチミツに漬けました。
 コレは、ハチミツに漬けたレモンやショウガを頂くのではなく、レモンやショウガの汁がしみ出たハチミツ液を頂くのが目的です。
 カフェの時から作っていて、夏は炭酸で割って、自家製ジンジャーエールとレモンソーダ。冬はホットジンジャーとホットレモンとしてメニューに登場していました。
 ジンジャーエールはちょっと冷やしアメを思い出させますが、ショウガがビリビリして爽やかです。お湯割りにしたホットジンジャーの方は飲んだ後に身体がポカポカして来て、寒い冬の日にピッタリなのです。
 レモンの方は、生のレモンを搾ったものへの甘味付けとして使っていましたが、家で飲む時は、レモンハチミツだけでしっかり甘いのを頂きます。ちょっとノドがヒリリとして、もしや風邪?とイヤーな予感を感じた時などにあると、とっても助かります。
 
 作り方は至って簡単。
 瓶などの容器を煮沸消毒したら、その中にスライスしたレモン、またはショウガを入れて行きます。
 レモンは無農薬で皮も安心なものであっても、白い所を漬け込むとエグ味が出て来てしまうので、実の部分だけにする事をお勧めします。
 ショウガは家庭で飲む分であれば、皮付きのままでも構いません。
 スライサーでスパスパとスライスするか、漬け込んだショウガも頂くなら包丁で出来る限り薄くスライスすると良いでしょう。
 量は、容器に「フワッと入れる程度」です。押し込まずに入れて行って、容器の口まで来たら、今度はハチミツをゆるゆると流し込んで行きます。
 ハチミツがショウガやレモンの間に入り込んで、容器にいっぱいになったら蓋を閉じてしばらく置いておきます。
 特にショウガはみるみるショウガ汁がハチミツに流れ出て、シオシオに縮み上がって来ます。何度か容器を上下にひっくり返したりしてハチミツと汁をなじませ、全体がサラサラとした液になったら出来上がりです。
 冷蔵庫なら2週間くらいは保存できます。

 レモンハチミツの方は、マヨネーズをこれでのばして、コールスローを作るのに使ったり、もちろん紅茶に入れても美味しいし、作っておくと便利な一品です。

 この冬もハチミツ漬けで風邪知らず。心も身体もあったかあったか。

復刻版ブックカバー

2006年11月22日 | coudre(縫う)

 秋のブックカバーをセッセと作り続けていて、ふと気付くと冬。
 
 「機能性」からすると、薄手の布のカバーの方が、かさ張らなくて良いのですが、「季節感」を楽しむとしたら、やっぱり冬の布に目が行ってしまいます。

 実はこれは、昨年の復刻版です。今年も新しいパターンは一応考えてはいるのですが、なかなかバッチリと形に出来ず、でも季節が追いかけて来るので、焦って仕上げました。
   
 昨年は店を始めたばかりで、そんなに沢山の人の目にふれていないし、まあ良いか。なんて、言い訳ばっかりするようになったらおしまいですぜ、ダンナ。

 とはいえ、有り難い事なんですが、出したとたんにお買い上げ頂き、もう既に、在庫は一つ。細々すぎますー。お尻に火がつきっぱなしですー。
 
 近々「この冬の新作登場」という文章を書けるように、頑張る所存でございます。

ピカシェットの家

2006年11月20日 | voyage(旅)
 シャルトルの街をさまよって時間を潰していたのにはワケがありました。
 ブラボーがシャルトルにやって来た本当の目的が、ここ「ピカシェットの家」に行く事だったからです。
 ピカシェットの家へ行く事こそが、ブラボーのこの旅での3つの決心の最後の一つです。モネの庭同様、ここも冬は公開されていません。
 このピカシェットの家を知ったのは、もう10年以上前だと思います。雑誌で見た、たった一枚の写真だったのですが、とても印象的で、本物をこの目で見てみたいとずっと思っていました。
 最近「雅姫」の本でも紹介されて「ヤラレタ」って感じですが、ブラボーはミーハーで行ったんじゃないよ。と敢えて主張。

 ピカシェットの家は、駅から大聖堂に向かう大通りのバス停から市バスに乗って15分ほどの所にあります。
 バスを降りて、住宅街の山の手を上がって行くと、小さな看板があって普通の家と家との間の細い路地を入って行くと、そこに不思議ワールドが現れるのです。

 この家のモザイクは、全て食器などの破片で出来ています。
 今から80年近く前、貧しい墓守だったレイモンドさんは、その貧しい生活の中で、奥さんを楽しませるためだけに、このモザイクを始めたのだという事です。
 30歳の時から25年も掛けて、たった一人で。それを裏付けるように、家は2畳ほどの小さな部屋が4つ。床上がりもなく冬は寒そうです。
 お墓のお供えのお皿や花瓶の割れた破片を集めて、最初にどこから始めたのかは分かりませんが、次第にエスカレートして、家具も調理ストーブも全て埋め尽くしました。
 壁一面にマリア像などをモザイクで描いた礼拝堂も作りました。奥さんと二人の肖像画も描きました。大聖堂とシャルトルの町並みも描きました。
 ここには本当にレイモンドさんの愛した全てが埋め尽くされているのです。
 毎日4時間2万9千時間の作品です。この家の事は、レイモンドさんが生きている間に有名になり、彼は芸術家、建築家として認められたという事ですが、決してこの家を離れなかったそうです。
 人に認められる為ではないから、この家は清いんですね。とにかくこの家は、説明よりも見なければ分かりません。ですから、できるだけ写真を載せたいと思うのですが・・・。

 本当に嬉しくて、楽しくて、興奮して写真を撮りまくってから、気持ちを落ち着けて、入口にあった説明を読んでいたら「撮影禁止」と書かれていました~。
まあ良いか。

ベルツ王妃のらせん階段

2006年11月17日 | voyage(旅)
 この写真は「ベルツ王妃のらせん階段」です。

 シャルトル大聖堂の周辺は、シャルトルで最も古い町並みが残っていて、その特徴的な様式の建物などの名前が地図に示され、見所となっているので撮ってみました。
 写真の腕にも定評のある451店長が、この写真を褒めてくれました。

 しかし、コレを見るとブラボーはイヤぁな思い出が蘇ります。
 旅も8日目で、ずっと卵を食べていなかったので、無性に卵が食べたいと思っていました。
 大聖堂の周りには、観光客を目当てにした洒落たレストランも幾つかあったのですが、「オムレツ」を食べるには、ちょっと気が引ける感じでした。
 そこで、このらせん階段を降りた所にある小さなカフェに入る事にしたのです。 メニューには「ダブルオムレツ」ってのがあって、ブラボーは、卵を二つ使ったフクフクのオムレツが出て来る事をイメージして、それを注文しました。
 
 しかし運ばれて来たのは、焼き過ぎて乾燥した様な薄っぺらいオムレツで、上に一本の黒髪が落ちていました。
 一瞬考えましたが、「まあ良い、見なかった事にしよう」とよけてフォークを入れました。すると中にもう一本。
 さすがに文句を言おうかと思いましたが、その時、厨房からバーン!と荒っぽい感じで長い黒髪の女性が出て来ました。とても「調理をする」服装ではありません。が、彼女が作っているようです。
 それを見て、「コレじゃ、何度作り直しても同じ事だ」と思って、その部分を大きくよけて目をつぶって食べる事にしました。
 気を取り直す為にカフェ・オレを一口飲みました。そこでまた「ウッ!マズい!」。
 カフェ・オレとしてマズいのではなく、腐ったものを食べたときの様なイヤな感じなのです。

 この旅に出かける直前、死ぬほどマズいご飯を食べました。スーパーで買ったお弁当で、一口食べた瞬間に「マズ!」と思ったのですが、ブラボーは「おやつ日記」を書くようになって以来、味を分析し、表現しようとする「クセ」がついているらしく、「えーっとこのマズさは例えていうなら…」と考える為に食べてしまったのです。「そう!一日置いた冷やご飯。しかもソレを器に広げる為にシャモジを濡らし過ぎてベタベタになった感じ!」との答えが出たのは、最後の一口を食べた瞬間で、と同時に胸がムカムカしてきました。食べなきゃ良かった。

 その反省があったので、このカフェ・オレをふた口目飲みかけて「例えていうなら残飯の…」という言葉が頭をよぎった瞬間に、もう飲むのをやめました。
 旅先でお腹を壊すわけには行きません。
 この街の水が下水の臭いがするのか、それとも何かの意地悪なのか全く分かりませんが。オムレツについてくるパンだけを食べて(コレももう信用できませんが)、早々に店を出ました。
 
 例によっての、地方の昼休みなので、食べ物屋以外は開いていません。このカフェでお茶を飲みながら時間をつぶそうと思っていたのに、それも叶わず、街をウロウロとさまよう事となりました。
 ベルツ王妃のらせん階段を再び上がると、ここには実は犬のウ○チがいっぱい落ちていて、人が通るたびに一斉に両脇でハエが舞い上がるのです。
 シャルトルのみなさん、もう少し街と仕事に誇りを持って頑張ってください。

シャルトルへ行く

2006年11月15日 | voyage(旅)
シャルトルはパリから列車で約一時間の小さな街で、日帰り旅行にはもってこいの場所です。
 ゴシック様式のシャルトル大聖堂があって、ステンドグラスが有名です。
「シャルトルの青」と呼ばれる美しさなのです。
 
 駅で切符を買う時には、まず切符を使う日付と行き先を言いますが、必ず聞かれる事は、1.片道か往復か 2.一等車か二等車か 3.喫煙か禁煙か 4.割引対象であるか という事です。
 別に、いちいち答えたって良いんだけど、聞かれるに決まっている事なので、ブラボーはあらかじめ箇条書きにした紙を書いておいて、ソレを渡します。
 4の割引対象とは、子供、学生、老人、その他のハンデキャップなどの条件があるか、という事で、該当する場合は身分証などを見せます。
 ブラボーはどれにも当てはまらないので「割引無し」と書けば良いのですが、単語を覚えていないので、いつも「私は30歳です」と書く事にしています。何年経っても、です。
 この微妙な年齢の告白に、窓口の人は必ずと言っていいほど、ウケます。
 隣の窓口の人にわざわざ紙を見せたり、箇条書きを真面目に読み上げてから、ニヤリと笑ってこちらを見たり。その反応も楽しみのひとつだったりします。

 こうして切符を手に列車に乗り込むと「幾つ目の駅で降りる」という様な事を頭に描くのですが、4つくらい過ぎると数が分からなくなって来て、人が多めに降りる駅があったりすると「ここか!?」と不安になったりします。
 
 「誰かに聞いてみよう」と思ったのですが、一番近くの席に居るのは、お行儀の良くない少年達3人組です。悪そー、恐そー。
 でも、彼らをわざわざ避けて向こーうのマダムに聞いたら感じが悪いんじゃないだろうか。そう思って、思い切って、彼らに尋ねてみました。
 「パルドン、ムッシュ。シャルトルはここですか?」するとちゃんと答えてくれました。「違うよ、次の駅だよ。」
 そして、次の駅に着いた時再びこちらを向いて「ここだよ。大聖堂が見えるだろう」と教えてくれました。良いヤツらじゃん。
 「ふ、旅って良いよな。」なんてつぶやきながら、列車はシャルトルへ到着したのでした。

魔女のサロン・ド・テ

2006年11月12日 | おやつ日記
 「自分のスタイルを貫く店」があります。こういう店は、世間に迎合しないので、しばしば「商売っ気がない」と言われたりします。しかしそれはイコール「やる気がない」ではありません。お客さんが来ようが来まいが、自らの価値基準に見合った状態をキープしていくのですから。

 「la charlotto de l'isle」はまさにそういうサロン・ド・テです。
 オーナーのシャルロットさんは、魔女の様なマダムです。
 ベルティヨンのアイスクリームを食べながら歩いている観光客であふれたサンルイ島のメイン通りにあって、そこだけが、異空間への扉のように不思議な存在感なのです。

 ワクワクした気持で、その扉を開けました。
「スリランカから来て、もう20年もここでケーキを作っているのよ」と話してくれた女性が迎えてくれました。
 ここら辺りからもう、パリなんだか中近東なんだか、アジアなんだか、分からない雰囲気になって来るのです。店の中は「取り敢えずそこへ置いたままになっている」としか思えない様な置き方の、国籍不明の雑貨や道具が至る所にあって、「天然?それとも計算?」と何度も自問してしまう感じ、なのに妙に落ち着きが良くて
 「ああ、コレがシャルロットワールド?」っていう結論に落ち着くのです。
  
 シャルロットさんは絵本作家なんだそうで、だからメニューも手書きで彼女の描いた絵が添えられていますが、コレが読みにくい読みにくい。
 これだけのメニューを手書きで書くのは大変でしょう、根性入ってます。
 だけども、全体に右上がり。ソレはオッケーなんだ。
 そう、これがシャルロットワールド。力が入ってるのか入っていないのか。
 

 シャルロットさん、自らケーキも運んで来て下さいました。
ここはケーキもそんな感じ。

 ブラボーが選んだのは「ショウガのケーキ」なんですが、色んなスパイスが入ったケーキに砂糖漬けのショウガがごろごろ入っていて、グォリグォリと噛み締めながら食べます。そして底にはチョコが薄く敷いてあって、ブルーベリージャムを落として焼いてあって、それらがスパイスケーキと合うのです。
 
 大ざっぱに見えて、凝っている。凝っているのかと思えば、タルトの造形などは大ざっぱ。こういう、力の入れ加減、抜き加減というのは、本当に個性であって、真似して出来るものではないのです。他のケーキも食べてみたい。

 ついでに言えば、外の印象的なピンクのペンキも大ざっぱなのです、近くで見ると。もしや自分たちで塗ったのでは?と思うくらい。
 でもこのピンク色、本当に素敵です。ピンクなのに甘くない。フランスにはこんな色のペンキがあるんでしょうか。
 イヤきっと、魔法使いの様なマダムシャルロットなら「てきとーに」混ぜ合わせても、この色を作り上げるに違いありません

ルーアンも行く

2006年11月09日 | voyage(旅)
 モネの睡蓮と共に「ルーアン大聖堂」のシリーズも有名です。

 ルーアンは、モネの庭のあるジベルニーから列車で更に北へ25分の所にあります。モネは大聖堂を描く為に、毎日この列車に乗って通ったそうです。
 モネと同じ道を辿ってみたくて、そのままルーアンまで足を伸ばす事にしました。

 駅まで戻ってみると、交渉成立したらしく、ストは解消されていました。
 朝、パリの駅で待っている時に、同じ列車を待っていた日本人の母子と話をしました。
 この母子、旅行は何度もしているらしいのですが、スリとか囲まれてお金を取られるとか、恐ろしい目に何度も遭っているのです。
 ですから、一人で居るブラボーをたいへん心配して下さって、「早く早く!こっちよこっちよ!」と声を掛けて下さる。時間にも周りの状況にも下調べにも、異様に神経質で、常にガイドブックにかぶりつき。
 ジベルニーの村を散歩して、何か食べて帰ろうかと思っていたのですが「駅に行くバスが出るわよ!!」と強制連行されるように駅まで連れて来られました。
 彼女達は再びパリに戻り、ブラボーは逆方向のルーアン行きの列車に乗るので駅でお別れ。
 生まれも育ちも東京というお二人に「あなたは地方にお住まいだから、緊張感が足りないけれど、本当に恐いんだからお気をつけなさいよ!」と何度も念を押されてお別れしました。「そんなにガチガチで初心者みたいだから狙われるんだぞー」と心の中で言いながら手を振りました。

 しかしお腹が空きました。
 ジベルニーに露店があって、りんごのお酒の横に手作りのカップケーキが売られていました。それを買おうとした時も、「まあ、そんな露店のものを買うなんて!」という母子の雰囲気に負けて、遠慮がちに一個だけ購入。
 仕方がないので、コレで空腹を紛らわし、ルーアンに着いてから何か食べる事にしました。 

 ところが、地方都市。ランチの時間が終わったら夕方まで店が開かないのです。
 ノルマンディーらしいものを何か食べたかったけれど、仕方がないからカフェでサンドイッチでも良いやと思っても「飲み物以外はない」と言われる始末です。

 ルーアンはジャンヌ・ダルクの処刑の地であったり、美術館も立派で見所も多いし、もちろん、大聖堂はすごい迫力で感動しました。
 でも、何だか思い出すと「腹ぺこで街をさまよった」という記憶ばかりが出て来る場所となってしまったのでした。

ジベルニー モネの庭へ行く

2006年11月07日 | voyage(旅)
 初夏の旅行が決まった時にブラボーがした3つの決心のうちの2つめがコレ。
「モネの庭へ行く」事です。もちろん、花の季節という事もありますが、ソレ以前に、冬にはこの庭は開放されていないのです。
 
 ジベルニーはパリから国鉄に乗って北へ約50分のところにあります。
 列車での移動を計画した時には、いつもフランス国鉄SNCFで大まかな時間や金額を研究してから行きます。
 ガイドブックに「朝8時台に出る列車に乗ると、観光バスが来る前にモネの庭に着く事が出来てゆっくりと見られます」という裏技が書いてあったので、その時間を確認しようとしたのですが、どうしてもその日の分の時間が出て来ませんでした。
 不安に感じながら、駅まで行ってみたら、なんと、スト。「なるほど、そういう事か」と納得はしたものの、とにかく待つしかありません。1時間半待って、ようやく9時台の列車が一本走らされる事になりました。
 しかし、そんなわけで、その列車は、待ってる間に溜まったモネの庭行きの観光客で溢れ、「観光バスを避ける」どころか、観光列車に乗って、ゾロゾロと全員でモネの庭を目指すハメになったのです。
 チケット窓口もトイレも長蛇の列。
 途中、突然暗雲が立ち込めたかと思うと、通り雨が降り出したのですが、その時なんて、庭に居た人達が一斉に「モネの家」の中に雨宿りしようと押し寄せました。
 モネの暮らした家。可愛い絵やお皿が飾られていたりして、モネの生活ぶりを保存してある小さな家。なのに、ただの避難所と化していました。「満員よ!ここまでよ!」と入場制限するスタッフの叫び声。まるで地獄絵図。

 それでもやっぱり、「あの絵の中の太鼓橋」に実際に立ったという感動は格別だったし、改めて、モネの人気を思い知らされた、うーん、色々複雑な、でも幸せなひとときでした。