〔写真1:表紙;情報処理学会誌 6月号の表紙〕
情報処理学会の月刊学会誌の巻頭コラムに、ミュージシャン・作家のサンプラザ中野くんが登場した。
いったい何が起こったのかと思い巻頭コラムを読んだ。以下のような内容であり、情報処理学会誌のトップを飾るにふさわしい出来事だと納得した。この記事では、巻頭コラムのほとんどを引用して紹介する。
サンプラザ中野くんが、東日本大震災で被災された皆さまにお見舞いを申し上げ、御冥福のお祈りをする挨拶をしている。そして、ミュージシャンとして「TOMOSHIBI -地震が来たら-」という歌をつくった。
その経緯を次のように語って(書いて)いる。
この歌は地震の二日後(13日)に完成した。そして、その二日後(15日)にラジオとユーストリームで演奏された。
その放送をフュージョンバンド・カシオペアの向谷実氏が視聴していて、「録音しよう」とツィッターで連絡してきた。
三日後の18日の昼から、インターネットライブ放送の生放送をしながら仮レコーディングを行った。そこで、ボランティアで参加してくれるミュージシャンと無償で使えるスタジオをツィッターで募った。その結果、川崎市のオアシスというスタジオから連絡があり、翌日の夜からのレコーディングが決まった。
19日の夜、ボランティアの人々がスタジオに集合し、夜を徹してのレコーディングが始まった。この模様もすべてユーストリームで生中継。同時にツィッターで視聴者との意見交換などもしつつ進行した。翌20日の朝9時30分に完成した。
レコーディングの最中に、ジャケットの製作者(バンクーバーにいた)と連絡をとり製作の打ち合わせを行った。公開のためのホームページを準備していたスタッフ(女性)は、不眠不休でページデザインをやり遂げた。
レコーディングが完成して1時間後には、向谷倶楽部の特設ページから無料でダウンロード可能となった。
地震が起きてから9日後、作曲してから1週間後にホームページから世界に向けて配信可能になった。
サンプラザ中野くん自身が「すごい!早い!」と書いている。
この曲は、無償で配布配信拡散が可能にしてある。この歌を「共有」することで、この大震災を「共有」して欲しいと願った。この曲が国境を超えて「共有」されることを願っている。
そうしたら、中国のスーパースターの一人BeyondのWing氏がホームページのカラオケをダウンロードして歌唱、歌だけをネットで日本へ送ってきた。歌とカラオケをミックスして、22日に公開した。
ロスアンジェルスでも同じ段取りで英語バージョンの録音が行われた。ドン・グルーシンさんのプロデュースで、フェルケさんとアシュリーさんのデュエット歌唱が録音されて、28日に完成し公開された。
情報技術(IT)の発達なくしてはあり得ない作品が生まれた。ITは音楽界を変えてきている。とサンプラザ中野くんは書いている。
巻頭コラムに登場したサンプラザ中野くんの筆致は心地よく、テンポが良くて、まるで音楽を聴いているようである。そのため、内容のほとんどをそのまま引用することになってしまった。
この記事で紹介した「TOMOSHIBI -地震が来たら-」をYouTube(ここ)でぜひ聴いて欲しい。
中国語バージョンは(ここ)。
英語バージョンは(ここ) 英語の歌詞は、YouTubeの説明欄に記載されている。
YouTubeで公開された画像は幾つも種類があったが、日本語、中国語、英語バージョンで組合せを変えて画像を紹介する。三つのバージョンを聴いても10分余りの時間なので、ぜひ、素晴らしい画像をご覧いただきたい。
なお、この歌が最初に公開された向谷倶楽部のページは(ここ)。
東日本大震災から三カ月たった2011年6月11日現在、この歌は「ウクライナ語」「フランス語」「ベトナム語」「ネイティブ・アメリカン」「イタリア語」、そして「ギターインスト(Guiter Inst by Claude Ciari)」バージョンが公開されている。
これらの歌と歌詞のダウンロードは、(ここ)でできる。
この曲の「カラオケ」や「ギターインスト」バージョンを聴きながら、3.11に地震と津波で受けた大災害と原発事故の恐怖を思い浮かべて、私たちは、一人ひとりの思いで、被災者の人々に祈りを捧げることができる。とブログの筆者は感じている。
この記事を書くためにネット検索をしていたら、“サンプラザ中野”が“サンプラザ中野くん”に改名していたことを知った。(ここ)
そのため「さん」「氏」で呼ぶのにためらいがあり“サンプラザ中野くん”を呼び捨てでこの記事を書いた。
〔写真2:情報処理学会誌に掲載された記事〕
終わり
情報処理学会の月刊学会誌の巻頭コラムに、ミュージシャン・作家のサンプラザ中野くんが登場した。
いったい何が起こったのかと思い巻頭コラムを読んだ。以下のような内容であり、情報処理学会誌のトップを飾るにふさわしい出来事だと納得した。この記事では、巻頭コラムのほとんどを引用して紹介する。
サンプラザ中野くんが、東日本大震災で被災された皆さまにお見舞いを申し上げ、御冥福のお祈りをする挨拶をしている。そして、ミュージシャンとして「TOMOSHIBI -地震が来たら-」という歌をつくった。
その経緯を次のように語って(書いて)いる。
この歌は地震の二日後(13日)に完成した。そして、その二日後(15日)にラジオとユーストリームで演奏された。
その放送をフュージョンバンド・カシオペアの向谷実氏が視聴していて、「録音しよう」とツィッターで連絡してきた。
三日後の18日の昼から、インターネットライブ放送の生放送をしながら仮レコーディングを行った。そこで、ボランティアで参加してくれるミュージシャンと無償で使えるスタジオをツィッターで募った。その結果、川崎市のオアシスというスタジオから連絡があり、翌日の夜からのレコーディングが決まった。
19日の夜、ボランティアの人々がスタジオに集合し、夜を徹してのレコーディングが始まった。この模様もすべてユーストリームで生中継。同時にツィッターで視聴者との意見交換などもしつつ進行した。翌20日の朝9時30分に完成した。
レコーディングの最中に、ジャケットの製作者(バンクーバーにいた)と連絡をとり製作の打ち合わせを行った。公開のためのホームページを準備していたスタッフ(女性)は、不眠不休でページデザインをやり遂げた。
レコーディングが完成して1時間後には、向谷倶楽部の特設ページから無料でダウンロード可能となった。
地震が起きてから9日後、作曲してから1週間後にホームページから世界に向けて配信可能になった。
サンプラザ中野くん自身が「すごい!早い!」と書いている。
この曲は、無償で配布配信拡散が可能にしてある。この歌を「共有」することで、この大震災を「共有」して欲しいと願った。この曲が国境を超えて「共有」されることを願っている。
そうしたら、中国のスーパースターの一人BeyondのWing氏がホームページのカラオケをダウンロードして歌唱、歌だけをネットで日本へ送ってきた。歌とカラオケをミックスして、22日に公開した。
ロスアンジェルスでも同じ段取りで英語バージョンの録音が行われた。ドン・グルーシンさんのプロデュースで、フェルケさんとアシュリーさんのデュエット歌唱が録音されて、28日に完成し公開された。
情報技術(IT)の発達なくしてはあり得ない作品が生まれた。ITは音楽界を変えてきている。とサンプラザ中野くんは書いている。
巻頭コラムに登場したサンプラザ中野くんの筆致は心地よく、テンポが良くて、まるで音楽を聴いているようである。そのため、内容のほとんどをそのまま引用することになってしまった。
この記事で紹介した「TOMOSHIBI -地震が来たら-」をYouTube(ここ)でぜひ聴いて欲しい。
中国語バージョンは(ここ)。
英語バージョンは(ここ) 英語の歌詞は、YouTubeの説明欄に記載されている。
YouTubeで公開された画像は幾つも種類があったが、日本語、中国語、英語バージョンで組合せを変えて画像を紹介する。三つのバージョンを聴いても10分余りの時間なので、ぜひ、素晴らしい画像をご覧いただきたい。
なお、この歌が最初に公開された向谷倶楽部のページは(ここ)。
東日本大震災から三カ月たった2011年6月11日現在、この歌は「ウクライナ語」「フランス語」「ベトナム語」「ネイティブ・アメリカン」「イタリア語」、そして「ギターインスト(Guiter Inst by Claude Ciari)」バージョンが公開されている。
これらの歌と歌詞のダウンロードは、(ここ)でできる。
この曲の「カラオケ」や「ギターインスト」バージョンを聴きながら、3.11に地震と津波で受けた大災害と原発事故の恐怖を思い浮かべて、私たちは、一人ひとりの思いで、被災者の人々に祈りを捧げることができる。とブログの筆者は感じている。
この記事を書くためにネット検索をしていたら、“サンプラザ中野”が“サンプラザ中野くん”に改名していたことを知った。(ここ)
そのため「さん」「氏」で呼ぶのにためらいがあり“サンプラザ中野くん”を呼び捨てでこの記事を書いた。
〔写真2:情報処理学会誌に掲載された記事〕
終わり
素晴らしい曲を聴きながらのバックの画像は美しくホットさせられます。
他のYou Tubeも見ましたが、地震直後の画像などが流れていました。
サンプラザ中野くん・・・のタイトルを見た瞬間、え?友人?かと思いました。
改名のことは、知りませんでした。
サンプラザ中野くんさん、サンプラザ中野くん氏となるのでしょうね。
昨日、関西誠鏡会の役員会に行って、15期の会長が一週間被災地気仙沼でのボランティア活動の話を聞きましたが、悲惨さは想像を絶するものだったようです。
復興の道のりは、遥か先ではと思われた様です。
また、これから暑くなる時期、さまざまの事が心配だとも言ってました。
コメントありがとう。
YouTube の画像を見てもらえてよかった。
向谷倶楽部で最初に公開された時は、「ジャケット+曲・歌」という形だったようですね。
公開された曲・歌に画像をつけて下さった人々の協力がうれしいですね。
サンプラザ中野くんは、きれいな声で、暖かい歌だと感じました。
私は、英語以外の言葉は分からないのですが、イタリア語、フランス語の歌を聴いていると、なんとなく違いが感じられます。
音楽ってすごいなあ、素晴らしいなあ。
こういうことをやってのける人ってすごいなあと思いました。
このブログを読んで、一人でも多くの方がYouTubeを聴いて見てくださればと思います。