ボケボケやあの愛しくてたまらない日々

独特の距離を保ちながら暮らしてきた母が突然、脳卒中患者に!母の病と向き合いながら感じたことを綴ります。

患者家族の繋がり

2019-02-15 | 家族の気持ち
2018年10月28日(日)



珍しい人から電話があった。
急性期病院で一緒だった方。
そう、NCUに居たときに妹さんにモーツアルトを聞かせていた方からだった。

この女性Yさんは母と同じ年。
母が倒れる前日に、妹さんが脳梗塞で同じ急性期病院に運ばれてきたのだ。

急性期病院ではデイルームや廊下で顔を合わせるたびに言葉をかけあった。
私が仕事をしているため、平日に顔を合わせることはほとんどなかったが
休みの日にはお互いの病室を訪ねて、声をかけるようになっていた。
どちらも同じ時期に入院したため、転院の話なども報告しあった。

特にこのYさんからすると、私がどう動いているのかはいろいろと参考になるようだった。
だが、
「あなたは若いからお母さんのためにできることを全部しなさい。私はそこまで動くことはできないわ。
自分の体だけでもしんどいもの。でもあなたの話を参考にして、ケアマネさんや私の主治医に相談したりもしてみるわ」
と話されていた。

「誰にも気持ちを聞いてもらうことができないし、あなたとこうしてお話をする時間があるだけでもどれだけ心強いか」と
いつも仰っていた。

だが、平日の火曜日に母の転院が決まり、木曜日に転院したためYさんにご挨拶をすることができなかったのである。
私にとってはそれがずっと気にかかっていた。
母が少し落ち着いてきたころ(転院してから2週間ほどたったころ)、Yさんにお手紙を出した。
急に転院が決まってご挨拶できなかったことを詫びる手紙だ。


そしてそれから約2週間。そのYさんから電話があった。
妹さんは療養病院に移られたこと。希望する療養には入れなかったこと。
療養病院での医師の面会の時に
「経鼻チューブ栄養は、延命策みたいなものだから」と言われて悔しい思いをしたこと。
などをお聞きした。
どうして医師はそんなことを患者の家族に言えるのだろうか。
確かに、経鼻チューブを抜いてしまえば栄養をとることができないのは事実だ。
そうだとしても、そんなことをどうして言えるのか!
そんなところに妹さんを預けたくないというのが、本心だと思う。
だが、療養病院には空きがない。入れたいところには入れない。

そしてYさんはこう言った。

「どんなに悔しくても私一人では妹を家に連れて帰ってみることはできないから」と。

いつだって病院側が強者で患者側が弱者だ。
悔しくても憤っていても、反論することもできない。そんな人が世の中にはあふれかえっているのだ。







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