たとえば、奥さんが幼い子供の手を引いて外出していたとする。買い物をしようと、ほんの少しの間子供から目を離した隙に、子供が道路に飛び出し、暴走して来た車にはねられ即死。一番悪いのはスピードを出しすぎていた運転手に決まっているが、旦那さんが奥さんに「どうして子供から目を離したんだ?」とついつい追求してしまう。
でも、旦那さんに言われなくたって、奥さんは強く自責の念にかられているはずだ。だから、旦那さんはたとえ一瞬そう思ったとしても、奥さんをとがめてはいけない。
先日、仙台の育英高校の生徒の列に飲酒運転の車が突っ込み、生徒3人が亡くなった時、遺族の父親が学校に監督のミスはなかったのか、と強く追求したと言う。
その父親の気持ちは十分分かる・・・しかし、生徒たちはちゃんと歩道を歩いていて、信号無視して運種運転の車が歩道まで突っ込んで来るなんで予見できる訳がないじゃないですか。
引率していた教師の方々だって、十分ショックを受け、自責の念にだって駆られているかも知れないのに・・・。
聖職者でもないかぎり、「罪を憎んで人を憎まず」なんてことはできないが、憎む人を間違えてはいけないよ。むしろ、一番間近にいて傷心している人にはこころからねぎらいの言葉のひとつやふたつかけてあげないと・・・。
でも、旦那さんに言われなくたって、奥さんは強く自責の念にかられているはずだ。だから、旦那さんはたとえ一瞬そう思ったとしても、奥さんをとがめてはいけない。
先日、仙台の育英高校の生徒の列に飲酒運転の車が突っ込み、生徒3人が亡くなった時、遺族の父親が学校に監督のミスはなかったのか、と強く追求したと言う。
その父親の気持ちは十分分かる・・・しかし、生徒たちはちゃんと歩道を歩いていて、信号無視して運種運転の車が歩道まで突っ込んで来るなんで予見できる訳がないじゃないですか。
引率していた教師の方々だって、十分ショックを受け、自責の念にだって駆られているかも知れないのに・・・。
聖職者でもないかぎり、「罪を憎んで人を憎まず」なんてことはできないが、憎む人を間違えてはいけないよ。むしろ、一番間近にいて傷心している人にはこころからねぎらいの言葉のひとつやふたつかけてあげないと・・・。