というわけで素人ながらやってみます。ネタバレもありますので最後までクリアしていない方はご注意ください
鍵っ子になってから初めて発売された最新作でしたが、やってみてやはり『ああ、これがKeyなんだ』と痛感しました。というわけで本格的な考察に入ります。
まず今回のルートには全て『孤独と喪失』というテーマがあったと僕は思ってます。人は元来孤独で生まれてきて、誰かと交わり、何かを手に入れれば喪失する。そんな人間の当たり前の世界観を一つの見方から追求した作品であるように思っています。
喪失することが怖いのに、何故それでも出会いを求めるのか。その理由にKeyはあっているにしろ外れているにせよ、当たり前の一つの答えを改めて打ち立てたものだと思います。ただ出会いたいから、それは面白そうだからと。そうやって進んでいく人々の姿は普段は気にも留めない小さなものですが、こうして改めてそれをテーマにした作品に触れることで、その重大さを改めて教わったように思います。
そしてもう一つのテーマは「友情」でしょう。リトルバスターズという媒介を通し、理樹と鈴、その周りの人物との物語の中で描かれたもうひとつのテーマも当たり前といえば本当に当たり前のものです。当たり前だから大切であると気づけないそれを、本当に上手く描いたストーリーの流れは賞賛に値しても問題ないレベルに到達していると思います。Kanonでは「些細な奇跡」、AIRとCLANNADでは「家族」がテーマとなっていましたが、今度は「友情」という新しいテーマ相手によくここまで善戦したと思います。
さて、今作品では普通の恋愛シミュレーションゲームにおける最重要コンセプトである恋愛要素は引き立ての要素として使われており、先に挙げたテーマをひたすら追求するための道具の一つだったと解釈します。個別のストーリーでの質の高さでは、CLANNADに比べれば確かに劣化した部分があるといわざるを得ない面もあります(それでも十分素晴らしいですが)。しかし、それらを全て統合してその上に成り立つ最後のリフレインルートを引き立てる意味の上では大変重要な働きをしたと見れます。
それがKeyの真骨頂であり、Keyの取るべき形であると僕は確信します。恋愛要素も確かに不可欠ではありますが、今までもKeyはそれを最後には別の概念の大成への足がかりと割り切って、その大成すべきテーマの演出に全力を尽くせる数少ない作品群なのではないでしょうか。
本当にKeyには驚かされ続けてばっかりです。世間ではやはりCLANNADの方が上という評価もありますが、それはあくまで形だけの問題であって、僕に言わせれば全ての作品が若干形やテーマが変わっているだけで、その根幹は「当たり前の事の中にある大切な何か」や「人々の成長」を追求することに帰着し、何の差異もないからです。こう言うとKey以外にもそれを表現することができそうに思えてきます。実際そうです。感動させようとすることは誰にだってできると思います。その感動をいかに形にするかという点で、Keyは本当にすごい能力を持っています。
最後に、今回の作品を最後にKeyを離れることとなった戸越まごめさんには次の仕事で存分にその力を発揮してもらうことを願っています。Keyを離れても、この人ならば普通にやっていけるでしょうし、今まで通りKeyと何らかの関わりを持つことも十分考えられます。そしてKeyならば、この先もきっといい作品を作ってくれると信じています。Keyの皆さん、本当にお疲れ様でした。そして次回作にも最高に期待しています、頑張れ!
ここからは具体的に曲について考察してみようかと思います。
[Little Busters!]
今までの鍵ソングとはまた随分違ったOPに戸惑った人が多いと思いますし、鳥の詩や小さな手のひらといった方がKeyの真骨頂だと思った人も多いと思います。僕も最初は少々戸惑いましたが、ストーリーをどんどん進める内に歌詞の意味がより本編とリンクするようになり、どんどんいい曲に聞こえてくるという作りこまれているところは相変わらずの質の高さだと思いました。最後のEDの方を聞いてからはますます好きになった感があります。そっちの方は最後のED考察の方で。
[Alicemagic]
子鞠編、葉留佳編、来ヶ谷編トゥルーエンド版のEDテーマとなった作品でした。全員元気な感じなんで(来ヶ谷は微妙ですが(ぁ)曲調の感じはあっていると思います。それに、相変わらず歌詞に意味がついて回っているのがなおさら愛着を感じさせる面があります。
[雨のち晴れ]
クド編、美魚編のEDテーマとなった作品。こちらは[Alicemagic]とは打って変わって穏やかな曲調に仕上がっていましたね。でも相変わらず歌詞に意味がこめられていました。
[song for friends]
来ヶ谷編のファーストエンド、そして鈴編のセカンドエンドとなった歌ですね。今までの鍵ソングの形態を見事に継承したバラード曲となりました。やはりその点に関しては別格です。涙を誘う曲調は健在です。
[遥か彼方]
シングル発売の時点ではEDテーマだと思われていましたが、思わぬ場面での登場となりました。でも実際それでかなりジーンと来た人もいるのではないでしょうか。かく言う僕もかなり来ました(ぁ)曲の流れていた場面を見事に引き立てるBGMだったと思います。
[Little Busters! Little jamper version]
最後まで行き着いたプレイヤーにとってこの曲が流れた瞬間はそれもありかと感じた人が多いと思います。でも途中のジャンパーから「やっぱりすげえ」と興奮した人は後を絶たないと私は信じてやみません(笑) 絶妙な歌詞のアレンジは相当に素晴らしかったです。今回のボーカル曲の中ではやはり一番印象に残った作品ですね。これが流れたことで、OPの時点での曲が何を言っているのかというのも完全にはっきりした。このタイミングで全てを知らしめるとはやはり神だと言わざるを得ない。…この曲で俺はこのゲーム始めてから4度目に泣きました(ぁ)
ちなみに1度目は初のエンドとなった子鞠編、2度目はリフレインの真人、謙吾、恭介との別れ、3度目はやはりリフレインの子鞠と鈴のところ。…やっぱリフレインすごかったんだなあ(ぁ
…やっぱりグダグダになってしまってすいませんOTL(マテ
ここまで8月28日更新 さらに追記
では、各キャラについて個人的な考察を。基本的には「成長」に重きを置いた考察になってます。
[直枝理樹]
言わずもがな主人公です(笑) 主人公だけあって「成長」の度合いが一番色濃く表現されていました。まあ理樹と鈴の成長こそが恭介の狙いだったから当たり前といっては当たり前の結果ですが、それでも最後の恭介の予想を超える成長ぶりには感動を覚えました。
[棗鈴]
本作品で最も「成長」したキャラクター。個人的には、ですが。リフレインの最初ではハラハラさせましたが、最後には本当に成長した姿を見せてくれました。恋愛ルートとしては非常に物足りなかったと考える人も多いでしょうが、Key本来の考え方の上ではやはり一番のキーキャラクターだったでしょう。
[棗恭介]
真人、謙吾と共に、本作品の中で最も最初から「成長」していたキャラクターの一人だと確信してます。自分の最後に行き着く場所を知りながらも理樹と鈴を後押しした勇気は本当に賞賛に値します。最後まで、全力で走りぬけた本当にかっこいいキャラクターでした。最後の涙は反則だ(笑)
[井ノ原真人]
恭介と共に馬鹿を演じつつ、裏では本当に素晴らしい「成長」していた者としての一面を保ち続けた、素晴らしいキャラクターでした。世間では筋肉旋風が大流行ですが、筋肉だけじゃないことを証明してくれた、この人もまた最高にかっこいいキャラクターです。
[宮沢謙吾]
真人とベクトルが正反対と紹介されていましたが、本当に反対なやり方で理樹を支えようとしていたキャラクターだったと思います。一番達観しているように見せて実は一番の寂しがりやだったですね。でも、最後まで二人の行く末を恭介に対して彼なりに案じ続けた彼もまた、最高にかっこよく「成長」していたキャラクターです。
[神北子毬]
展開としては典型的でもありますね。兄の死を受け入れられずに心を壊した妹というのはそこまで神展開な話でもないですし(だからルートが微妙だって声が上がったのかもしれませんが)。これをKeyが貫く「成長」になぞらえて考えるとやはりアリなのかなと思います。個人的には最後の鈴との邂逅が泣けました…。
[三枝葉留佳]
姉との葛藤を通して「成長」したキャラクター、はるちんです。序盤では明るめのキャラのシナリオは大抵個人で反転するので暗いシナリオにしてくることはある程度予想できましたが、声優の実力のおかげか、かなりのものだったと思います。心を病んで笑っているところとかの感じが良く出ていたと思います。
[二木佳奈多]
あえて葉留佳の後ろに持ってきます。完璧である自分を演じつつ最後まで妹を案じ続けた意味でこの人も最初から強さを持ってました。本人はフリであるといってましたが、個人的には恭介たちと同じく最初から「成長」していたキャラクターであると思っています。
[能美クドリャフカ]
周りの事を気にして小さくなっていたクドでしたが、このキャラに関してはすこし「成長」の度合いは小さかったかも。というのも最後のシーンではそれを不器用に使っていたとはいえ、最初から根にはしっかりとした強さが根付いていたからでしょう。
[来ヶ谷唯湖]
大切な感情を学んだという意味で「成長」したキャラクター。最後の展開には流石に付いて行きづらかったですが(最後の結論が出るまでは)。現実エンドでは最後まで「成長」しきった姿が垣間見れて良かったです。
[西園美魚]
自分と虚像の境目で「成長」していったキャラクターですね。大変文学的なストーリーで、本人に大変あっていると思いました。虚像の身を案じて自分が虚像となった後の最後の「成長」は大きな一歩だったです。
[西園美鳥]
虚像としての西園美魚こと西園美鳥です。虚像としての存在である美鳥の美魚を後押しする姿勢にはジーンと来ました。最初から美鳥が悪者ではないと信じてルートを進めていましたが、やはり最後には美魚をちゃんと支えてくれました。実像の「成長」と共に、虚像としての彼女もきっと「成長」したと思います。
ここから9月18日更新
●恭介たちが作り上げた世界
●理樹と鈴が作り上げた世界
●現実世界
この3つの世界リンクにおける考察
恭介たちが理樹と鈴を成長させる為に作り上げた虚構世界、そして理樹と鈴が最後の成長を遂げる為、そして皆と共に歩み続ける為に作り上げた世界、そして正真正銘の現実世界、その3つのリンクを考察してみたいと思います。
○現実世界でのラスト、なぜ各々が抱えていた問題が解決していたのか?
全ては虚構世界の中での出来事であったはずなのに、なぜか最後には現実世界であらゆる問題が解決していました。これについてまず考察します。
まず最初に考えた可能性は「虚構世界と現実世界には実は予想以上に密接な関係があり、虚構世界での結果が現実世界に反映されていた」とする説です。簡単な具体例を挙げれば「タイムスリップして過去を帰ると当然未来も変わっている」とか「表裏一体の世界で裏でやった事は表にも大きな影響を与える」とかの設定に近いでしょうか。
もう一つには、「全員が虚構世界での経験を生かし、それぞれの問題を乗り越えた」とする説です。事故の後明確な記述はされていませんがやっぱり皆鈴と同じように各々成長しているとすれば、それをきっかけとして個人個人の問題を乗り越えたとも取れます。実際これが一番妥当な気がします。
○何故理樹と鈴にもう一度皆を救うチャンスが訪れたのか?
あの場面でまず鈴はもう一度皆との思い出を振り返り、最後に子毬との再開を通して最後の成長を遂げたわけで、その後鈴は「理樹、私の手を引いてくれ」と言っています。
これを踏まえて理樹のパートを見ると、理樹は自分がナルコレプシーになったその根幹を乗り越える為にかなりの過去まで時間をさかのぼっていました。その後、新たな時間に戻る為に、ひょっとするとその時間を一時遡らせて戻ってきたのではないかというのが第一論ですが、とりあえず考えられる可能性を3つほどあげてみます。
・戻ってくるべき時間を遡らせて現実世界の事実を直接変えた
・恭介を助けるところまでを自分達の世界として再現し、その結果を現実世界に反映させた
・全てを第3の世界の産物とし、その中で偽りの未来を過ごし続けた
第一の論が多分そうだと思いますが、前項までの考察通りなら、皆が生きているという事実の変化は当然それぞれの成長という曖昧な尺度よりもよほど「事実的」ですから、それを現実世界に繁栄させればその過去を変えられた、というのもアリかなと思いました。最後の論は絶対に無いとは思いますがそういう解釈もありかと思ったのでとりあえずあげてみます。
鍵っ子になってから初めて発売された最新作でしたが、やってみてやはり『ああ、これがKeyなんだ』と痛感しました。というわけで本格的な考察に入ります。
まず今回のルートには全て『孤独と喪失』というテーマがあったと僕は思ってます。人は元来孤独で生まれてきて、誰かと交わり、何かを手に入れれば喪失する。そんな人間の当たり前の世界観を一つの見方から追求した作品であるように思っています。
喪失することが怖いのに、何故それでも出会いを求めるのか。その理由にKeyはあっているにしろ外れているにせよ、当たり前の一つの答えを改めて打ち立てたものだと思います。ただ出会いたいから、それは面白そうだからと。そうやって進んでいく人々の姿は普段は気にも留めない小さなものですが、こうして改めてそれをテーマにした作品に触れることで、その重大さを改めて教わったように思います。
そしてもう一つのテーマは「友情」でしょう。リトルバスターズという媒介を通し、理樹と鈴、その周りの人物との物語の中で描かれたもうひとつのテーマも当たり前といえば本当に当たり前のものです。当たり前だから大切であると気づけないそれを、本当に上手く描いたストーリーの流れは賞賛に値しても問題ないレベルに到達していると思います。Kanonでは「些細な奇跡」、AIRとCLANNADでは「家族」がテーマとなっていましたが、今度は「友情」という新しいテーマ相手によくここまで善戦したと思います。
さて、今作品では普通の恋愛シミュレーションゲームにおける最重要コンセプトである恋愛要素は引き立ての要素として使われており、先に挙げたテーマをひたすら追求するための道具の一つだったと解釈します。個別のストーリーでの質の高さでは、CLANNADに比べれば確かに劣化した部分があるといわざるを得ない面もあります(それでも十分素晴らしいですが)。しかし、それらを全て統合してその上に成り立つ最後のリフレインルートを引き立てる意味の上では大変重要な働きをしたと見れます。
それがKeyの真骨頂であり、Keyの取るべき形であると僕は確信します。恋愛要素も確かに不可欠ではありますが、今までもKeyはそれを最後には別の概念の大成への足がかりと割り切って、その大成すべきテーマの演出に全力を尽くせる数少ない作品群なのではないでしょうか。
本当にKeyには驚かされ続けてばっかりです。世間ではやはりCLANNADの方が上という評価もありますが、それはあくまで形だけの問題であって、僕に言わせれば全ての作品が若干形やテーマが変わっているだけで、その根幹は「当たり前の事の中にある大切な何か」や「人々の成長」を追求することに帰着し、何の差異もないからです。こう言うとKey以外にもそれを表現することができそうに思えてきます。実際そうです。感動させようとすることは誰にだってできると思います。その感動をいかに形にするかという点で、Keyは本当にすごい能力を持っています。
最後に、今回の作品を最後にKeyを離れることとなった戸越まごめさんには次の仕事で存分にその力を発揮してもらうことを願っています。Keyを離れても、この人ならば普通にやっていけるでしょうし、今まで通りKeyと何らかの関わりを持つことも十分考えられます。そしてKeyならば、この先もきっといい作品を作ってくれると信じています。Keyの皆さん、本当にお疲れ様でした。そして次回作にも最高に期待しています、頑張れ!
ここからは具体的に曲について考察してみようかと思います。
[Little Busters!]
今までの鍵ソングとはまた随分違ったOPに戸惑った人が多いと思いますし、鳥の詩や小さな手のひらといった方がKeyの真骨頂だと思った人も多いと思います。僕も最初は少々戸惑いましたが、ストーリーをどんどん進める内に歌詞の意味がより本編とリンクするようになり、どんどんいい曲に聞こえてくるという作りこまれているところは相変わらずの質の高さだと思いました。最後のEDの方を聞いてからはますます好きになった感があります。そっちの方は最後のED考察の方で。
[Alicemagic]
子鞠編、葉留佳編、来ヶ谷編トゥルーエンド版のEDテーマとなった作品でした。全員元気な感じなんで(来ヶ谷は微妙ですが(ぁ)曲調の感じはあっていると思います。それに、相変わらず歌詞に意味がついて回っているのがなおさら愛着を感じさせる面があります。
[雨のち晴れ]
クド編、美魚編のEDテーマとなった作品。こちらは[Alicemagic]とは打って変わって穏やかな曲調に仕上がっていましたね。でも相変わらず歌詞に意味がこめられていました。
[song for friends]
来ヶ谷編のファーストエンド、そして鈴編のセカンドエンドとなった歌ですね。今までの鍵ソングの形態を見事に継承したバラード曲となりました。やはりその点に関しては別格です。涙を誘う曲調は健在です。
[遥か彼方]
シングル発売の時点ではEDテーマだと思われていましたが、思わぬ場面での登場となりました。でも実際それでかなりジーンと来た人もいるのではないでしょうか。かく言う僕もかなり来ました(ぁ)曲の流れていた場面を見事に引き立てるBGMだったと思います。
[Little Busters! Little jamper version]
最後まで行き着いたプレイヤーにとってこの曲が流れた瞬間はそれもありかと感じた人が多いと思います。でも途中のジャンパーから「やっぱりすげえ」と興奮した人は後を絶たないと私は信じてやみません(笑) 絶妙な歌詞のアレンジは相当に素晴らしかったです。今回のボーカル曲の中ではやはり一番印象に残った作品ですね。これが流れたことで、OPの時点での曲が何を言っているのかというのも完全にはっきりした。このタイミングで全てを知らしめるとはやはり神だと言わざるを得ない。…この曲で俺はこのゲーム始めてから4度目に泣きました(ぁ)
ちなみに1度目は初のエンドとなった子鞠編、2度目はリフレインの真人、謙吾、恭介との別れ、3度目はやはりリフレインの子鞠と鈴のところ。…やっぱリフレインすごかったんだなあ(ぁ
…やっぱりグダグダになってしまってすいませんOTL(マテ
ここまで8月28日更新 さらに追記
では、各キャラについて個人的な考察を。基本的には「成長」に重きを置いた考察になってます。
[直枝理樹]
言わずもがな主人公です(笑) 主人公だけあって「成長」の度合いが一番色濃く表現されていました。まあ理樹と鈴の成長こそが恭介の狙いだったから当たり前といっては当たり前の結果ですが、それでも最後の恭介の予想を超える成長ぶりには感動を覚えました。
[棗鈴]
本作品で最も「成長」したキャラクター。個人的には、ですが。リフレインの最初ではハラハラさせましたが、最後には本当に成長した姿を見せてくれました。恋愛ルートとしては非常に物足りなかったと考える人も多いでしょうが、Key本来の考え方の上ではやはり一番のキーキャラクターだったでしょう。
[棗恭介]
真人、謙吾と共に、本作品の中で最も最初から「成長」していたキャラクターの一人だと確信してます。自分の最後に行き着く場所を知りながらも理樹と鈴を後押しした勇気は本当に賞賛に値します。最後まで、全力で走りぬけた本当にかっこいいキャラクターでした。最後の涙は反則だ(笑)
[井ノ原真人]
恭介と共に馬鹿を演じつつ、裏では本当に素晴らしい「成長」していた者としての一面を保ち続けた、素晴らしいキャラクターでした。世間では筋肉旋風が大流行ですが、筋肉だけじゃないことを証明してくれた、この人もまた最高にかっこいいキャラクターです。
[宮沢謙吾]
真人とベクトルが正反対と紹介されていましたが、本当に反対なやり方で理樹を支えようとしていたキャラクターだったと思います。一番達観しているように見せて実は一番の寂しがりやだったですね。でも、最後まで二人の行く末を恭介に対して彼なりに案じ続けた彼もまた、最高にかっこよく「成長」していたキャラクターです。
[神北子毬]
展開としては典型的でもありますね。兄の死を受け入れられずに心を壊した妹というのはそこまで神展開な話でもないですし(だからルートが微妙だって声が上がったのかもしれませんが)。これをKeyが貫く「成長」になぞらえて考えるとやはりアリなのかなと思います。個人的には最後の鈴との邂逅が泣けました…。
[三枝葉留佳]
姉との葛藤を通して「成長」したキャラクター、はるちんです。序盤では明るめのキャラのシナリオは大抵個人で反転するので暗いシナリオにしてくることはある程度予想できましたが、声優の実力のおかげか、かなりのものだったと思います。心を病んで笑っているところとかの感じが良く出ていたと思います。
[二木佳奈多]
あえて葉留佳の後ろに持ってきます。完璧である自分を演じつつ最後まで妹を案じ続けた意味でこの人も最初から強さを持ってました。本人はフリであるといってましたが、個人的には恭介たちと同じく最初から「成長」していたキャラクターであると思っています。
[能美クドリャフカ]
周りの事を気にして小さくなっていたクドでしたが、このキャラに関してはすこし「成長」の度合いは小さかったかも。というのも最後のシーンではそれを不器用に使っていたとはいえ、最初から根にはしっかりとした強さが根付いていたからでしょう。
[来ヶ谷唯湖]
大切な感情を学んだという意味で「成長」したキャラクター。最後の展開には流石に付いて行きづらかったですが(最後の結論が出るまでは)。現実エンドでは最後まで「成長」しきった姿が垣間見れて良かったです。
[西園美魚]
自分と虚像の境目で「成長」していったキャラクターですね。大変文学的なストーリーで、本人に大変あっていると思いました。虚像の身を案じて自分が虚像となった後の最後の「成長」は大きな一歩だったです。
[西園美鳥]
虚像としての西園美魚こと西園美鳥です。虚像としての存在である美鳥の美魚を後押しする姿勢にはジーンと来ました。最初から美鳥が悪者ではないと信じてルートを進めていましたが、やはり最後には美魚をちゃんと支えてくれました。実像の「成長」と共に、虚像としての彼女もきっと「成長」したと思います。
ここから9月18日更新
●恭介たちが作り上げた世界
●理樹と鈴が作り上げた世界
●現実世界
この3つの世界リンクにおける考察
恭介たちが理樹と鈴を成長させる為に作り上げた虚構世界、そして理樹と鈴が最後の成長を遂げる為、そして皆と共に歩み続ける為に作り上げた世界、そして正真正銘の現実世界、その3つのリンクを考察してみたいと思います。
○現実世界でのラスト、なぜ各々が抱えていた問題が解決していたのか?
全ては虚構世界の中での出来事であったはずなのに、なぜか最後には現実世界であらゆる問題が解決していました。これについてまず考察します。
まず最初に考えた可能性は「虚構世界と現実世界には実は予想以上に密接な関係があり、虚構世界での結果が現実世界に反映されていた」とする説です。簡単な具体例を挙げれば「タイムスリップして過去を帰ると当然未来も変わっている」とか「表裏一体の世界で裏でやった事は表にも大きな影響を与える」とかの設定に近いでしょうか。
もう一つには、「全員が虚構世界での経験を生かし、それぞれの問題を乗り越えた」とする説です。事故の後明確な記述はされていませんがやっぱり皆鈴と同じように各々成長しているとすれば、それをきっかけとして個人個人の問題を乗り越えたとも取れます。実際これが一番妥当な気がします。
○何故理樹と鈴にもう一度皆を救うチャンスが訪れたのか?
あの場面でまず鈴はもう一度皆との思い出を振り返り、最後に子毬との再開を通して最後の成長を遂げたわけで、その後鈴は「理樹、私の手を引いてくれ」と言っています。
これを踏まえて理樹のパートを見ると、理樹は自分がナルコレプシーになったその根幹を乗り越える為にかなりの過去まで時間をさかのぼっていました。その後、新たな時間に戻る為に、ひょっとするとその時間を一時遡らせて戻ってきたのではないかというのが第一論ですが、とりあえず考えられる可能性を3つほどあげてみます。
・戻ってくるべき時間を遡らせて現実世界の事実を直接変えた
・恭介を助けるところまでを自分達の世界として再現し、その結果を現実世界に反映させた
・全てを第3の世界の産物とし、その中で偽りの未来を過ごし続けた
第一の論が多分そうだと思いますが、前項までの考察通りなら、皆が生きているという事実の変化は当然それぞれの成長という曖昧な尺度よりもよほど「事実的」ですから、それを現実世界に繁栄させればその過去を変えられた、というのもアリかなと思いました。最後の論は絶対に無いとは思いますがそういう解釈もありかと思ったのでとりあえずあげてみます。