前回紹介した「ゲーム脳」研究の森昭雄教授ですが、各方面から叩かれて少しは反省するかと思いきや、性懲りもなく今度は「メール脳」と題する研究を発表しています。発表の内容は「携帯電話でメールを打ってばかりいると大脳の前頭前野の活動が低下し、痴呆症に似た状態になる」というもので、要はゲームをメールに変えただけです。当然のことながら、内容のトンデモぶりも前回と同じ、いや前回以上です。
「一見、メールで文章を作っているので脳が働いているように思えますが、実際は一覧表から言葉を選んで文章を作っており、ほとんど前頭前野は働いていません。指の筋肉を収縮させているだけです」と森教授は厳しく指摘する。
いったい全体どうすれば脳を働かせることなしに「一覧表から言葉を選んで文章を作っ」たり、「指の筋肉を収縮させ」たりできるのでしょうか。素人の私でも分かるほどに支離滅裂です。
もっとも、私の意図は森昭雄教授を指弾することではありません。迷惑な人だとは思いますが、ひょっとしたら世間から注目されたいだけの寂しがり屋なのかもしれません。いつの世にもおかしなことを言う人というのはいるものです。紅茶キノコでガンが治るという人もいればスカラー波で病気になると言う人もいます。憲法が表現の自由を保障している以上、こうしたトンデモ言論の出現自体は仕方のないことなのです。ひとつずつモグラ叩きのように論破していくしかないのです。それが憲法が「思想の自由市場」に期待する役割なのです。
問題は、こうした支離滅裂な主張を何の検証もなしに掲載する東京新聞です。報道機関には、世の中に溢れる雑多な情報の中から、重要であるものとそうでないものを選別し、国民に適切な議題を提供する公的責務があります。だからこそ「報道の自由」や「取材の自由」というある種の特権(※)が報道機関には認められているのです。「メール脳」のような明らかに真実性の疑わしい主張を、ただ話題性があるからというだけで、何の検証もなしに掲載してしまうというのは、報道機関として決してしてはならないことだと思います。
随分前の話になりますが、月刊誌『マルコポーロ』(文藝春秋社刊)がナチスによるホロコーストを否定する内容の寄稿記事を掲載し、在日イスラエル大使館やユダヤ人団体等から猛反発を受けて廃刊に追い込まれる事件がありました(マルコポーロ廃刊事件)。
今回の東京新聞による「メール脳」報道も、本質的にはこれと同じだと思います。違うのは、「メール脳」報道によって槍玉に挙げられた女子高生たちがユダヤ人団体ほどの政治力を持っていなかったという点だけでしょう。
※マスコミ関係者や学者の中には、報道の自由や取材の自由は「人権」だという人がいますが、これは正しい理解でありません。人権とは「人が人であることによって当然に保障される基本的権利」のこと。報道の自由や取材の自由は、「国民に民主的討論の基礎となる情報を提供する」という理由から報道機関に特に認められた権利ですから、人権ではなく、報道機関の「特権」であると理解すべきです。このような理解からは、報道の自由や取材の自由は、人権である表現の自由とは異なった、特別の制約に服することになります。
「一見、メールで文章を作っているので脳が働いているように思えますが、実際は一覧表から言葉を選んで文章を作っており、ほとんど前頭前野は働いていません。指の筋肉を収縮させているだけです」と森教授は厳しく指摘する。
いったい全体どうすれば脳を働かせることなしに「一覧表から言葉を選んで文章を作っ」たり、「指の筋肉を収縮させ」たりできるのでしょうか。素人の私でも分かるほどに支離滅裂です。
もっとも、私の意図は森昭雄教授を指弾することではありません。迷惑な人だとは思いますが、ひょっとしたら世間から注目されたいだけの寂しがり屋なのかもしれません。いつの世にもおかしなことを言う人というのはいるものです。紅茶キノコでガンが治るという人もいればスカラー波で病気になると言う人もいます。憲法が表現の自由を保障している以上、こうしたトンデモ言論の出現自体は仕方のないことなのです。ひとつずつモグラ叩きのように論破していくしかないのです。それが憲法が「思想の自由市場」に期待する役割なのです。
問題は、こうした支離滅裂な主張を何の検証もなしに掲載する東京新聞です。報道機関には、世の中に溢れる雑多な情報の中から、重要であるものとそうでないものを選別し、国民に適切な議題を提供する公的責務があります。だからこそ「報道の自由」や「取材の自由」というある種の特権(※)が報道機関には認められているのです。「メール脳」のような明らかに真実性の疑わしい主張を、ただ話題性があるからというだけで、何の検証もなしに掲載してしまうというのは、報道機関として決してしてはならないことだと思います。
随分前の話になりますが、月刊誌『マルコポーロ』(文藝春秋社刊)がナチスによるホロコーストを否定する内容の寄稿記事を掲載し、在日イスラエル大使館やユダヤ人団体等から猛反発を受けて廃刊に追い込まれる事件がありました(マルコポーロ廃刊事件)。
今回の東京新聞による「メール脳」報道も、本質的にはこれと同じだと思います。違うのは、「メール脳」報道によって槍玉に挙げられた女子高生たちがユダヤ人団体ほどの政治力を持っていなかったという点だけでしょう。
※マスコミ関係者や学者の中には、報道の自由や取材の自由は「人権」だという人がいますが、これは正しい理解でありません。人権とは「人が人であることによって当然に保障される基本的権利」のこと。報道の自由や取材の自由は、「国民に民主的討論の基礎となる情報を提供する」という理由から報道機関に特に認められた権利ですから、人権ではなく、報道機関の「特権」であると理解すべきです。このような理解からは、報道の自由や取材の自由は、人権である表現の自由とは異なった、特別の制約に服することになります。