玖波大歳神社

神社についての歴史と知識

七五三について

2014-06-13 21:51:56 | 日記
 十一月十五日に七歳、五歳、三歳の子供が晴着を着て、神社にお参りすることを七五三参りとか七五三祝いといいます。これまで無事に育ってきたことに対する感謝と今後の守護を祈願するもので、人生儀礼の一つです。
 七五三の起源となった祝いは、錬倉時代に公卿や武家の間で行われていた髪置、平安時代に貴族の間で行われていた袴着、室町時代に行われていた帯締びの三つです。いずれも子供の成長にあわせて身なりを改めるものでした。
 これら三つの祝いは関東を中心として始まりました。男女どちらの子供も祝うもので、年齢も月日も決まっていなかったようです。
 江戸時代に入ると庶民の間に広まって一般化されるようになりました。やがて、三と五と七を陽数(縁起のよい数)とする中国風の考え方から、この年齢のときに祝う様になり、江戸時代末期には三歳の男女が髪置、五歳の男が袴着、七歳の女が帯結びを行うようになったのです。参拝の日が十一月十五日となったのも江戸時代の末期でした。十一月は収穫を感謝する霜月祭のある月で、その十五日は旧暦で満月です。       大事な月の満月の日として、この日が選ばれたのです。
 明治時代に入ると、神社への参拝が中心となり、現在のような七五三の祝いが定着しました。
 安産を祈願して、無事に出産したことを初宮参りで神前に報告し、さらにその子供を成長させてくれたことを神に感謝するとともに、将来にわたる守護を祈願することが七五三の意義です。このように成長の過程で子供に晴れ着を着せて神社に参拝するのは、生まれた子供に徐々に神霊を宿らせることを意味し、最後の七五三の参拝で名実ともに人間の仲間入りができるということです。昔、七五三のときに現在の戸籍にあたる人別帳に名前が記されたのもこのためです。
 また、大人の厄年と同じく、子供のこの年齢は、医学的にも発育の節目にあたります。病気にもかかりやすい時期に健康な成長を祈るようになったことは、自然な親心のあらわれだったのでしょう。

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