備忘録

忘れないための頭の中のメモ帳

多様なる教えの統合

2024-03-01 00:00:00 | 
  • なぜ、多様性を多様性のままで置いておくと問題があるのか、また、多様性の認識が出てくるのか。

 

  • なぜ、こうした教えや考え方が多様に見えるのかといえば、それは、私の意識によるわけです。

 

  • 私は、他の救世主や、如来あるいは菩薩といった方々が、何らかの教えを説こうとして語りかけていることに関し、コメントをすることはできますし、意識の上下の違いを説明することも可能です。しかし、そのように意識の段階差があるものであっても、それを見た地上の人がそのまま模倣したらどうなるでしょうか。地上ではその違いがまったく認識できず、平面的にしか見えないわけです。平面的に広がった意識の違いでしかなくなるのです。

 

  • (著者)は、それぞれの意識に横の空間的な違いがあるだけでなく、上下にも前後にも違いがあることもはっきりと分かっているので、「この人の考えは、霊界の座標軸に照らし、縦・横・高さで見るとどの位置にある考え方なのか」ということも分かります。

 

  • ところが、普通の人間には、平面的にしか捉えることができません。そのため、自分たちの座っている、あるいは立っている平面のどこかに割り当てようとします。すなわち、高級霊の意見の相違を、自分とは違う考え方を持っている人との意見の相違というように考えてしまうのです。これは、三次元以降の多次元空間の座標軸を、二次元的、平面的に焼き直して理解しているということです。そのように翻訳の仕方に違いがあるということの意味を知らなければなりません。ここを間違うと、「正思」は絶対にできないのです。

 

  • そこで、その次なる段階として、多様であったものを統一していく必要があるわけです。

 

  • その統一をしようとしている意識がエル・カンターレなのです。

 

  • では、なぜ、上位にあるものが出て来て意見をまとめようとするのでしょうか。ここには、どうしても「信仰心」の問題が出てくるのです。

 

  • 信仰心とはいったい何でしょうか。それは「神の世界を知る力」です。信仰心なくして、この世界を知ることはできないのです。

 

  • 信仰心は「神仏の世界を見るための鍵」なのです。

 

  • 信仰心とは、「自分たちよりも上位にある者たちの考えを、謙虚に学ぼうとする心」なのです。「上位にあるものたちの心や考えを、謙虚に学ぼうとする心」のことを信仰心というのです。

 

  • この気持ち(信仰心)がないと、いろいろと段階差のある考えも、平面的にしか翻訳されないわけです。

 

  • そのため、神様のさまざまな考えについても、地上にいるさまざまな人の考えの違いと同じようにしか受け止められなくなってきます。それがどういう位置づけにあるかが分からなくなるわけですが、ここには非常に危険な面があります。

 

  • 私は、これまでにさまざまな霊人の考えを出すなかで、そのことを感じてきました。私が高い次元から見て言っていることも、人々は、その正しい位置が分からないために、違うところから見て解釈し直してしまいます。

 

  • そういった意味で、高次元の観点からこれまでに出したものを、もう一回まとめ直していこうと考えています。私の立っているところからは、他の教えの位置がよく観えても、地上の人間の位置からは必ずしも見えません。この点を間違えないでください。

 

 

『真説・八正道』 第3章 正思

 

 


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