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ヒッポンエイジス Act.3 「そろそろさ、混じりっけなしの業界ぶっちゃけトーク、やっちまおうぜ!」

2012-11-18 23:59:00 | イベント
 
阿佐ヶ谷ロフトAにて三度目の開催となったヒッポンイベント、『ヒッポンエイジス Act.3 「そろそろさ、混じりっけなしの業界ぶっちゃけトーク、やっちまおうぜ!」』に逝って来たーっ!!
 
 
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第二回はどうしても参加できませんでしたので丁度一年ぶりの参戦と相成った、ゲーム業界に燦然と異彩を持って輝くゲーム誌『ファミコン必勝本』のトーク・イベントです。

演者が当時の編集者にして現・ゲームアナリスト平林久和(当時の誌面では「ヒラ坊」)始め、ライター成澤大輔(ダビスタ伝道師・メガテニスト)始め、編集兼ライター元宮秀介(ポケモン書籍マスター)、ライターとみさわ昭仁氏(ゲームデザイナー)と言う業界にひと波乱起こせそうな超豪華な面々で、そんな方々が「混じりっけなしの業界ぶっちゃけトーク」と言うから期待出来ないわけが無い!
と言っても過去の反省からか、今回はレジュメにてテーマをキッチリと定めて ヒラ坊に語り倒させない キッチリキッチリと事前準備の甲斐有ってテンポ良く進んだイベントでした。


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元々JICC出版局(現・宝島社)が山師の如く当てようと雑誌を立ち上げた事もあって原稿のかなりの分量をアウトソーシングしていたのが必本の特徴で、スタッフが全て社内の人間だったファミ通(アスキー)や、編集長だけが社員で残りがバイトで個性を出さないようにしていたファミマガ(徳間書店)とは大きく一線を隔した雑誌作りになり、非常に個性豊かな誌面になって行った事が良く判る成り立ちでした。この件では元ファミマガ編集長の山本直人氏からの言もあり、成程と頷くばかり。
それを受けて奥付から見るスタッフの変遷では、どこの編プロが入ってきたとかこの頃参加したんだなぁとか、「この頃に田尻智杉森健が必本に参加したのは社員で囲おうとしたファミ通から抜けてきたから」とか容赦のないハナシがバンバン飛び交い客席大盛り上がり。
 
 
 
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そして「あの人は今」にて津波で一度身が洗われた(「去年かよ!」と成沢さんのツッコミ)鈴木みそ氏による当時の編集プロキャラメルママが語られる中で、あのプッツンくろすが現在カメラマンをしているとかの話で会場大どよめき。人気あったんだなぁやっぱ。
 
 

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んで過日のヒッポン読書交流会にてダンボール箱三箱分の必本本誌の表紙をスキャンしたものを年代を追って公開し、表紙に使われているゲームタイトルとかで本誌の様子とかを語ると言うもの。序盤はBlackPoint(伊東岳彦)描くアニメ調の表紙や、ジャンプ放送局で有名な榎本33歳が表紙を描いたものから、「X68000を使った」CG調のもの、そして「何号使い回しているんだ」と言うオブジェ模型からまたCGになり(安定した全盛期と言ってもいい時期なので「この時期はスゴい読み込まれた跡がある」)、一部で有名な水野美紀春麗コス写真以降実写グラビアになり、スタッフが殆ど居なくなった時期になると言う変遷がよぅく判りました。
ちなみに誌名が変わったのは「社長の一声」が大きかったからだとか何とか。
 
 
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そして待ってました!「ヒドい記事」 「間違い探しです」と言われて出されたコレは、表紙でゲームタイトル名を大間違えすると言う伝説級の大誤植。元々必本は伝統的に誤植の多い雑誌でしたが(センセイもペンネーム誤植されたことあったなぁ)、見本誌の刷り上りで初めて気が付いてそのまま編集長がメーカーにお詫びに行った、らしいと言う表紙でした。ちなみにこの号の裏表紙の広告が「悪魔城ドラキュラ」だったというとてつもないオチが付いていたと言う話にはもうなんと言うかww
 
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そしてさらにヒドい記事、と言うか雑誌内の自社広告なんですが、松本コンチータのヘアヌード写真集広告! 時代背景的にヘアヌードブームのような風潮があり、雨後のタケノコと言うか柳の下のテトリスのようにアチコチからヘアヌード写真集が出続けていた時代だったのですが、何故かゲーム誌にその広告が載ってたと言う衝撃的な一枚。まぁ話を聞くと確信犯らしくって、インパクト一発勝負だったらしいと言うことは判り、末期の混迷している誌面コンセプトを良く表していたなぁ、と。
あとヒドい記事では鈴木みそ先生の当時の連載コラム。四コマ漫画で赤裸々に描かれていた当時付き合っていた彼女のアレコレは今考えても本当にヒドかったよな(下世話な笑い)。記録するな抹消しろと言われたので撮ってませんですがね。
 
 
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そして本日のヒラ坊語り倒しコーナー、「4大RPGはなぜ生まれたか」、今でこそドラクエ・FF・WIZ・メガテンが4大RPGと言う言葉には含蓄がある歴史が出来上がってますが、当時は「ドラクエの1強」「よしんばドラクエ・FFの二大巨頭」「WIZは同時期のウルティマと併せた移植タイトルセット」と言う扱いが順当だったのに、何故に4大で括ったか。これは雑誌の戦略的に『不利な時こその戦線拡大』であり、他誌と同じ事をしても勝てない為にあえてこのような方向性を打ち出したと言う事。またタイトル的に「WIZはベニー松山氏が、メガテンは成沢氏が居たからこその優位性」があり、「アスキーは伝統的にソフト開発部と雑誌編集部の仲が悪くWIZ情報はファミ通に降りてなかった」「女神転生も元々徳間書店からのラノベだったが、途中で作者が権利を引き上げたとか何とかでファミマガには攻略本の話が来なかった」と言う山本直人氏の追記もあり会場大納得。
 
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しかしそこで「でも平林さん特集でこの図版使いたかっただけでしょww曼荼羅好きだし」成沢氏のツッコミがww 落としドコロのタイミングが絶妙でした。
 
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そして、ゲーム業界史を彩るとみさわ昭仁氏の名刺コレクション。スキャンした画像が次々に表示されると、
 

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度を越えた大物ッぷりにどよめきの連続
そしてその当時の経緯とか会社の状況とかのツッコミに的確に応える辺りにまた歴史を感じたり。孫正義氏は当時のゲーム雑誌を立ち上げる際にお話があったとか、遠藤雅伸氏は当時製作中のタイトルが付いていたりとかの薀蓄が非常に的確。
 
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そしてとみさわ氏も所属していたゲームフリーク田尻智氏の最初期の名刺で、「手書きで書いた物をFAXでコピーしたので字が荒くドット風になっている」「でも妙な味がありますね」と言うゲームフリークの成り立ちすら判る一幕が。
 
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そして超貴重な一枚がコレで、テトリスの作者アレクセイ・パジトノフが来日して編集部に来た際に貰ったと言う名刺
ただし当時アレクセイ・パジトノフが居た冷戦下のソビエト連邦では当然のように名刺交換をする文化はないので、来日の際にメーカーが急遽作った「ペラペラのコピー紙の様な名刺」であるとか何とか。「住所とかモザイクかけてますけどこの国そのものが無いですよね
 
 
実はこれ以上の御題目も沢山あったのですが写真撮ってないメモ取ってない、現地からガラケーの電波悪く実況出来なかった等の理由から(殆どセンセイの怠慢です)ほぼ記憶に頼ったっきりであの濃密な三時間の半分も伝え切れていないと言うところです。
 
 
それでも、 
 
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最後の方に出てきた「いまでも楽しいオススメレトロゲーム」ではベニー松山氏が「ソロモンの鍵」を上げてくれたのが嬉しかったなぁ。ソロモンが多分FCで最もプレイ時間を費やしたタイトルだと思うもので。成沢氏「バトルトード」と濃いぃ所を選んだのは『流石』でした。
 
 
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そして今回は持ち込んだ「ワードナの逆襲」と現地で頒布していた湯のみに、手塚一郎先生のサインを頂いたのでした。や、前回アレコレと貰いすぎたからさ


 
 
と言う訳でアッと言う間の三時間、実に濃密で楽しい時間でした。『ヒッポン・エイジス』としてはとりあえず一区切りと言う事ではありますが、20年前のゲーム雑誌についてこれだけ熱く熱く語れると言うのは本当に当時は考えすらもしなかった事です
この雑誌があって、『ライター』と言う職業の存在を知ったからこそ、センセイはボチボチとモノを書き、商業誌で記事を 書くまでに至っていると言うのは間違いのない事実です。正直専業でないのが不明の致す所ですが、HiPPONがセンセイの出身地であり、レゾンゲートルであると胸を張って言えます
このようなイベントがあった事につくづく感謝を。そして企画・立案してくれたボーパル・ホパロング・にんじん卿と、主犯(こう言う言い方のほうがしっくり来る)成沢大輔氏には本当に本当に感謝しております。モノスゴい貴重な時間を過ごさせていただきました、どうもありがとうございました!
 
・・・と言う訳で、いい感じに酒が入った&翌日のモーレツな仕事の為にようやっとジブンでも纏められましたんで、本当にメモを持って行かなかった事を後悔しております。後悔と言えばタントゥーを次は首根っこひっ捕まえても連れて行くぞと誓ったのでした。
 
 
  
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