「荒野の野砲」は谷をはさんで、手前に砲台、向こうに的(まと)と、地形をうまく利用したアトラクションでした。43年前の開園広告によると、最初の名前は「西部の大野砲」で、まもなく「荒野の野砲」になったようです。
的は恐竜、怪獣、宇宙人、海賊、魔法使いなどいろいろ。ボールに打たれていたみますので、テント生地に絵描きをしてもらっていたのです。
野砲に照準も付いているのですが、実はあまりあてになりません。もうカンでやるしかないです。それでも約30mはなれた的めがけて打つ爽快感はたまりません。ストレス解消にうってつけだったのでは。
的に入いるとファンファンーレが鳴るようにセットされていましたが、お客様からはよくなにか景品はないのと聞かれました。イベントではハロウィンで的に入ったらキャンディプレゼントなどでも活躍しました。
冒頭の写真の通り的4つの下にネットがあって、下の方の大きなカゴに集まり、そこからそばのトロッコに移るようになっていました。トロッコには20m近いレールが付いていて、たまったらウィンチで引っ張り揚げてボールを回収する仕組みでした。いちいち玉拾いに入っては大変だったのでこういう形になっていたようです。
今回被害にあってしまったのが、このネット・カゴ・トロッコ・レール・ウィンチです。しかも斜面の土留めをしないと復旧もできません。野砲、コンプレッサーの部品切れも重なって、やむなく引退となってしまいました。
的は恐竜、怪獣、宇宙人、海賊、魔法使いなどいろいろ。ボールに打たれていたみますので、テント生地に絵描きをしてもらっていたのです。
野砲に照準も付いているのですが、実はあまりあてになりません。もうカンでやるしかないです。それでも約30mはなれた的めがけて打つ爽快感はたまりません。ストレス解消にうってつけだったのでは。
的に入いるとファンファンーレが鳴るようにセットされていましたが、お客様からはよくなにか景品はないのと聞かれました。イベントではハロウィンで的に入ったらキャンディプレゼントなどでも活躍しました。
冒頭の写真の通り的4つの下にネットがあって、下の方の大きなカゴに集まり、そこからそばのトロッコに移るようになっていました。トロッコには20m近いレールが付いていて、たまったらウィンチで引っ張り揚げてボールを回収する仕組みでした。いちいち玉拾いに入っては大変だったのでこういう形になっていたようです。
今回被害にあってしまったのが、このネット・カゴ・トロッコ・レール・ウィンチです。しかも斜面の土留めをしないと復旧もできません。野砲、コンプレッサーの部品切れも重なって、やむなく引退となってしまいました。
今のところ聞いていませんが、どこかで活躍してくれればいいです。
すいません。
JG54でした。
あの大砲は乗り物に乗れない幼少時代にいつも父親が一緒に遊んでくれた私にとっては大切な遊具(笑)でした。
もし第2の人生で西部の大砲が活躍している先を業者さんからお聞きになりましたら、教えてください。
必ずや駆け付け再就職の祝砲を撃ちますので。
野砲のバズーカ砲は実は取引先が無償で引き取っていきました。当面あてはないが、どこかで役に立てられればということでした。
記念に残すのもいいですが、場所を変えて役に立てば、それもまたよしでしょうか。
かなりショックです。
私の生まれと同じ昭和43年なんですね。
なんとか復活は無理としても野砲を一門でも記念のモニュメントとして入り口等に飾って残しておいて頂ければと思います。
ベニーランドの思い出が…ホント悲しいです。
貴ブログの栗駒や伊豆沼の写真にはいやされる思いがします。
これ好きだったのに~残念・・・