同居している父の家の電話が
鳴りました。
耳が聞こえにくくなった父の
代わりに受話器をとると
広島の叔父の奥さんからでした。
懐かしさと聞き覚えのある声に
「おばちゃん!〇〇です!」
と声を弾ませると
叔母は涙声になり
「うちの人、肺がんだってしっとるじゃろ、今日、容体が急変してお医者さんからもう来週はないだろうって言われてしまって」
実は肺がんを患っていることさえも知リませんでした。
「あの人は言うなって言いよったけど、会わせたい人に連絡をって言われて…」
叔母も混乱しているようでしたが、私自身もなんと言えばいいのか…
明日は日曜日ではあるし、
とにかく会いにいくからと
電話を切りました。
翌日、夫に運転してもらい
父を連れ、途中西広島駅で
尾道の末妹と合流をして
叔父の待つ母の実家に向かいました。
叔父は母の弟で私は初の姪ということもあり随分と可愛がってもらいました。
幼い頃は叔父の運転するワーゲンに乗せてもらい、いろんなところに連れて行ってもらったし
美味しいプリン🍮を食べさせてくれるお店に一緒に行ったら
綺麗な女の人が待っていて
その人が後の叔母だったり
叔父からすると、2人の妹とは
私はちょっと違ったかもしれません。
そんな叔父が痩せてベッドで
横たわる姿を見たら胸が詰まりました。
病院のスタッフらしき方から
痛み止めで目も開かないけど耳はちゃんと聞こえていますよ、と言われ
「おじちゃん、〇〇です、
会いに来ました」と言うと
凄く力強くぎゅっと手を握り返してくちをパクパクさせて
何かを言っているようです。
聞き取れはしなかったけど
顔を少ししかめたのがわかったので
わざわざ来んでも良かったのに
と、言っているんでしょう。
まだ叔父はしっかりとしている、となんとなく感じました。
叔母が帰り際に
「何かあれば連絡させてもらうけぇ」と言いましたが
1日でも長く叔母のそばにいてほしいと思います。
私たちも毎日叔父のことを
思っているし頭から離れない。電話が鳴ればドキッとするけど
今日も連絡がなかったと
胸を撫でおろす毎日です。