◈Irreplaceable days◈

個人的にこんな医師が増えたらなと思ってますよ


俺は、こんな医師が増えたらいいなと個人的に思ってますよ。


以下抜粋




情報を「選ばない」選択肢もある

新型コロナウイルスを巡る「インフォデミック」(デマを含めた大量の情報の氾濫)の中で、「正しい情報を見極められる」と考えること自体が「迷信」ではないか。いったん情報をシャットアウトするという選択肢もあるはずだ。大胆な問題提起をするのは、医師の大脇幸志郎さんだ。

「正しい知識とデマを見分けるためのヘルスリテラシーを持とうというのは、医療従事者やメディアなど専門家の世界観だと思います。恐らく専門家が思っている以上に、世の中には“本当”より“ウソ”の情報の方がはるかに多く出回っている。わずかな正しい情報にたどりつければいいけれど、偽の情報をつかんでしまうリスクが大きい。それなら、本当だろうとウソだろうと、『どちらもいらない』という選択肢もあるはずです」


「科学的根拠」と意訳される「エビデンス」でさえ、「確実である」「効く」という意味にはならないと大脇さんは指摘する。その理由は複雑だが、要するに統計データをどう位置付けるかによって、結論が大きく変わるからだそうだ。つまり、研究者が証明したいことによって解釈が変わることもあり得るというわけだ。

「情報は病原体と似ている」と大脇さんは言う。拡散して不安を呼び、パニックを引き起こす。健康に関わるデマを信じれば、かえって体に害を及ぼす可能性もある。「身を守るためには、取りあえず情報の海から離れること。テレビを消す、ネットのページを閉じることがあってもいい」
パニックに免疫をつけるためには、多様で柔軟な戦略が必要だ。情報に振り回される背景には、もちろん感染への恐怖がある。だが、感染したくない、健康でいたいと思うあまりに生活を犠牲にしていないかーそう大脇さんは問い掛ける。

予防医学への過信

医学部生だった頃から、健康に長生きすること自体が目的となっている状況や、医療への過剰な期待に違和感を持っていた。
「医者はいつも正しいわけではありません。医学への過信を何とかしなければいけないし、人は遅かれ早かれ病気で死ぬのだということをもっとしっかり語ることが大事ではないかと常に感じてきました」
そうした問題意識を背景に取り組んだのが、『「健康」から生活をまもる』の執筆だった。同書では、主に生活習慣病やがん検診を巡る予防医学への過信に疑義を呈して、「迷信」をキーワードに切り込む。身近な例を挙げれば、プリン体やコレステロールに関する「迷信」だ。「ビールにはプリン体が含まれていて、痛風になるから飲まない方がいい」「コレステロール値を抑えるために食事に気をつけよう」などはよく耳にする。実はビールにプリン体はほとんど含まれていないし、コレステロールは食べ物から吸収されるよりも体内で合成される量の方がはるかに多い。飲みたいビールをがまんして、食べ物に神経を使っても、病気予防の効果はそれほどないのだと大脇さんは指摘する。
コロナ禍が深刻になったのは、執筆をほぼ終えた頃だ。内容の大半はパンデミック以前に考えていたことだったが、コロナ時代に加速する「健康」「安全」重視に一石を投じる内容となった。

「新しい生活様式」への違和感

『「健康」から生活をまもる』は6月に刊行、翌7月にはチェコ生まれで後にアイルランドに亡命した医師、ペトル・シュクラバーネクの1994年の遺作『健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』を翻訳刊行した。自著は、同書の「解説のようなもの」だという。
シュクラバーネクは、「健康主義」は宗教と同じだと説く。その「宗教」の下で、現代医学が健康に介入し個人の生活、幸せの大切さを忘れさせてしまうことは歴史上に何度もあった。健康主義は、国民を監視したり、深刻な社会的問題を隠蔽(いんぺい)したりするための手段として、政治的に利用もされてきた。そう指摘して、健康・医学と政治の結びつきに切り込んだ


コロナ禍で提言された「新しい生活様式」は、まさにシュクラバーネクが批判する「健康のために何かをがまんしろ」というワンパターンの思考そのものだと、大脇さんは言う。「正確な効果が分からないまま、人の生活を細かく縛ることがいかに重大で深刻なことなのかについての感覚が鈍すぎることに違和感を覚えます。何よりも問題なのは、感染バッシングを生むこと。“油断したことによって感染し、他人にもうつす。だから気を付けなければ”という思考は、感染した人を、“油断したのが悪い”という非難の視線にさらしてしまう」
「感染したからといって、必ずしも“油断”が原因とは限らない。また、やむにやまれぬ状況で密な場所に行くこともあるはずです。把握できないさまざまな事情、状況がたくさんあるのに、そこには目をふさいで、気を付けていればよかったはずだと非難するのは偏った見方です」
「新型コロナに関しては、はっきりしたことは誰も分からない。感染対策に明確な医学的根拠はなく、日本では法的根拠もありません。一方で、罰則がなくても、政府が『気を付けましょう』と呼び掛ければ、相互監視が自在に発動するのが日本です。そして、相互監視をうまく制御するのは難しい。だから“自粛警察”が生まれるのです」

生活を守るという視点

結局、全てが曖昧なまま、不安の中でウイルスと共存するしかないのだろうか。
「ワクチンや治療薬が開発されても、コロナは消えるわけではありません。経済活動、健康と安全、生活の質のバランスが不安定な状態は長く続きます。だからこそ、生活を大事にするためにある程度のリスクを取る覚悟が必要です」
新型コロナは、天然痘ウイルスやペスト菌のような脅威ではないと認識すべきだと、大脇さんは言う。「たとえ感染して最悪の場合、命を失うリスクがあっても、コロナが怖いからみんなが生活様式を変えるということは、私たちが長い歴史の中で積み重ねてきた文化を切り捨てることになります。生活を大事にすることで、ある程度のリスクは許容することになるかもしれない。でも、それが人生だという観点を忘れないでほしい
現在は経済優先で、自粛モードはだいぶ緩んでいる。だが、「感染第2波」への危惧が大きくなれば、また事態が変わる可能性もある。
「コロナについては、“空気”が支配しているので、その空気がどう動いていくかは、引き続き観察していきたいですね」


「医学は、医者にとって都合よく振る舞うように人々を洗脳してしまうと彼らは警告しました。自らの意思で行動しているのだと思い込ませ、相互監視させる窮屈な状況を生んでいることに警鐘を鳴らしたのです」。いままさに、そういう窮屈な世界になっているのではないかと、大脇さんは危惧する。 


こんな医師が増えたらな、、とまあこれもある意味俺も情報に左右されてるって事なのかもしれんが、こういう医師って貴重だなと思います。








さてさて。
仕事帰りにコーヒー豆を( ´∀`)今まさに。

今朝妻が、30分は長居しそうだね(´艸`)と。


ここ。コーヒーも飲めるんですよ。

ええ。着席してしまった(笑)

さて。帰るかな( ´∀`)♪


そうそう。妻はこういう前で結ぶエプロンを好む。



そろそろ一枚買い替えかなと妻が昨夜色々見ていたんだが、最近のエプロンってオシャレだよな。
妻がどんなエプロンを選ぶのか実に興味深い←


それではまたいつか。


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