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第234回夢語り小説工房作品「絵馬の研究」

2019-06-21 08:00:25 | 小説

第234回夢語り小説工房作品

  「絵馬の研究」  作 大山哲生

 六月のある日。

「ああー」

箸黒勝之助は自分の研究室で大きなあくびをした。

 ここは京都帝都大学。箸黒は帝都大学史学科の教授である。五十歳。

 箸黒の専門は京都の歴史である。以前には、藤原の道長が娘に贈った人形を京都の骨董屋で発見して新聞に大きく取り上げられた。最近では、近藤勇の妾について歴史的発見をしたことでも有名である。

 箸黒の研究室の隅には古い段ボール箱が五個ほど積まれている。箸黒は、その一つを机のわきに運び、中のものを探り始めた。この日は、午前中に授業が二コマだけで午後は時間があったので、以前から気になっていた段ボール箱の整理をしようと思い立ったのであった。

 箱の中には、おびただしい数の絵馬が入っていた。箸黒をはじめ前任者らが数十年をかけて京都の旧家や寺を回って集めた絵馬である。いわば帝都大学が集めた文化財とでも言えるものだった。箸黒が開けた箱には京都の絵馬が三百枚ほど入っている。中には、江戸時代の絵馬も多数ある。一番古いものは平安後期に、ある寺に納められた絵馬である。非常に珍しいものであるが、住職に無理を言って譲ってもらったらしい。

「はー、こりゃ大変だ」と箸黒は早くも音を上げた。

 その時、ドアをノックする者があった。

「どうぞ」と箸黒は言った。

「失礼します」と言って入ってきたのは、史学科三年生の野間口修である。

「ああ、野間口君か、まあそこに座ってくれ」と言うと、箸黒は事務椅子から応接セットのソファに移りどっかと腰をおろした。

「野間口君、今日はスーツを着てどうしたんだい」と箸黒は尋ねた。

「今日は、ある企業のセミナーの申込に行ってきたんです」と野間口は言った。野間口はいつもTシャツにリュックと言ういでたちである。野間口のスーツ姿を見るのは、箸黒は初めてであった。

「ほう、大変だね」と箸黒は言った。

「先生こそ、何をされていたんですか」

「ぼくは、絵馬の整理をしようと思ってね。段ボール箱を開けては見たが数が膨大でね、途方に暮れているところさ」と箸黒は言った。

 野間口は、箸黒と向かい合うように腰をおろすと、

「先生、絵馬ってそもそもどういうものですか」と尋ねた。

「古来より神様というものは馬に乗って移動するとされていたから、お金のある人は神社に馬を奉納したんだ。それは神馬(しんめ)と呼ばれていた。ところが、庶民はそういうことができないから、紙や板に馬の絵をかいて奉納したのが絵馬の始まりだよ。奈良時代にはすでに絵馬が存在していたらしい」と箸黒は言った。

「先生、今じゃお寺にも絵馬がありますよ」と野間口は言った。

「平安時代になると、神仏習合思想の影響でお寺にも絵馬が奉納されるようになったのさ」

「先生、今では多種多様な絵馬がありますね」と野間口は言った。

「そうだろ。最近は馬の絵にこだわらない。これを見てごらん」

「これは、地獄の炎の上に仏さまが見えます」

「これは京都の矢田寺の絵馬だよ。地獄の業火の上に地蔵菩薩が来て人々を助けようとしている」

「これは矢田寺がオリジナルで作ったのですか」と野間口は尋ねた。

「いや、この絵は『矢田地蔵縁起絵巻』の中の一場面を描いたものだよ」と箸黒は言った。

「なるほど、そういうものですか」

「野間口君、これなんかどうだい。女の人が蛸を拝んでいる」

「これはかわってますね」

「これは蛸薬師堂の絵馬さ。これは寺に伝わっている話を絵にしたものだよ。これは手描きだよ」

「へえー、一枚一枚描いたのですか」

「その通り。絵馬を見ているとそれぞれの寺や神社の言い伝えがわかっておもしろい」と箸黒は言った。

 箸黒は段ボール箱の底の方にある箱を取り出した。

「野間口君、ここからが本題だ。これは何代か前の教授が集めたもので貴重な文化財だよ」

 箸黒は、色の変わった半紙に包まれた絵馬を一枚ずつ出した。特に丁寧につつまれているものがいくつかある。箸黒が半紙を広げると色の変わった絵馬が出てきた。

「先生、これはかわった絵柄の絵馬ですね。馬が大きな荷物を背負っていて荷物には『苦』と書かれています。双塔寺とありますね」

「双塔寺、初耳だな。どれ、その絵馬を見せてごらん」と言うと箸黒はその絵馬を手に取って続けた。

「文化二年とあるから1804年のものだな。江戸時代の終わりごろだ。それにしてもこんな寺が京都にあったとは驚きだな。双塔寺か。聞いたことがない」と言うと箸黒はその絵馬をテーブルの上に置いてしきりに首をひねっている。

 箸黒の置いた絵馬を野間口はもう一度手に取った。

「先生、この双塔寺の絵馬の隅に、滅苦寺と書かれています。めつくじ、とは不思議な名前ですね」と野間口は言った。

「なんだって、滅苦寺だって」と言うと箸黒は双塔寺の絵馬をもう一度手に取った。

「本当だ、野間口君。これは歴史的発見かもしれないよ」

「めつくじってそんなと有名なんですか」

「いや、有名どころかほとんど記録がないんだ。北白川通りに面した京都造形芸術大学の北角に滅苦寺跡がある。そこに古い寺があったことは発掘調査からわかっている。滅苦寺が創建されたのは奈良時代か白鳳時代とされている。ただ、いつこの寺が消滅したのかがわかっていないんだ」と箸黒は言った。

「古文書に書かれていないのですか」と野間口は言った。

「鎌倉時代にこの寺があったのは、信用できる文献から明らか。そして、江戸時代のはじめに、黒川道祐の記した『雍州府志』(ようしゅうふし)の中に、北白川将軍山西麓に滅苦寺という寺があったとある。滅苦寺の存在を今に伝えるものはそれだけなんだ」と箸黒は言った。

「なるほどそうなると、江戸時代の後半に滅苦寺が存在したということは大発見ですね」と野間口は興奮気味に言った。

「そういうこと。滅苦寺は古代豪族・粟田氏の氏寺ともいわれているが、何のために建てられた寺なのかいつ滅んだのかなど、何もわからない謎の寺なんだよ。その滅苦寺に一つの資料が出てきたことは、大変な発見だよ」と箸黒も興奮していた。

「先生、この滅苦寺の絵馬がほかにもないか探しましょう」と野間口は言った。

「そうだな」と箸黒は応じた。

 それから二人は、段ボール箱をあけては絵馬を一枚一枚並べ始めた。あらかた終えた時は午後五時を過ぎていた。

「野間口君、分析は明日にしようか。疲れたね」と箸黒は言った。

 翌日の午後、箸黒と野間口は、三枚の絵馬を前にして腕組みをしていた。

「野間口君、どういうことだろうね」箸黒は憮然としていた。

「どういうことでしょうね」と野間口は合わせた。

「滅苦寺と書かれた絵馬が三枚も出てくるなんて。一枚目は、江戸時代の初めころのもの。『安川寺(滅苦寺)』とカッコ付きで寺の名が書かれている」

「二枚目は文化二年で、『双塔寺(滅苦寺)』と書かれています」

「そして三枚目は明治二十八年で『長明寺(滅苦寺)』と書かれている。この三枚の絵馬を見ると、三つの寺にはなにか共通点があったかと思うが聞いたこともない寺があるからそれは全く不明だ。と同時に滅苦寺というのは寺の固有名詞ではなくて愛称かトレードマークのようなものと考えられる」と箸黒は言った。

「そうですね。無病息災と書くようなものかもしれませんね」

「しかし、通説では滅苦寺という寺が北白川にあったことになっている。滅苦寺というのが愛称だとしたら北白川の滅苦寺の本名は何なのかが気になるところだ」と箸黒は言った。

「そして、滅苦寺という名前の出どころも気になります」と野間口は言った。

 山本太一。帝都大学の史学科の三年生。野間口の同級生である。山本は、見事な鼻髭を蓄えている。公務員志望だと公言しており、四年になるまでは剃らないらしい。山本の実家は、大阪で建築業を営んでいる。一級建築士の父親は山本に跡を継がせたかったらしく、山本は小さいころからあちこちの建築現場に連れていかれた記憶がある。だから、今でも建築物を見ればおおよそのことがわかる。しかし、山本が史学科に進むと父親に伝えた時には、父親はかなり落胆したらしい。

 山本は朝から緊張していた。今日は、サークル仲間の萬里小路紗代の家に遊びにいくことになっているからである。萬里小路家は、由緒ある家だと聞いている。

 山本と、萬里小路紗代との出会いは、大学の文芸サークルで意気投合したことであった。

 そして先日萬里小路が、

「今度、私の家に遊びに来ない ?」と山本に言ったのである。

 山本はその日の午後、教えてもらった住所を訪ねた。山本は驚いた。萬里小路家は北白川にある壮麗な日本建築のお屋敷であった。いかめしい門構えから下に目を落とすと『萬里小路』と彫られた岩が門の横にでんと置かれている。

 山本がインターホンを押すと萬里小路紗代が出てきた。

「いらっしゃい」と言うと、紗代は山本を座敷に通した。紗代は、いつものように髪をポニーテールにくくっている。最近、凝っているというネイルアートが、なぜか左手の親指にだけ施されている。

 山本が座敷から外を見ると、どこかの寺かと思うような見事な日本庭園が広がっていた。隅には、白壁の大きな土蔵が二つ並んでいる。山本が目を凝らしてよく見ると、基礎部分にはコンクリートが分厚く流し込まれている。かなり頑丈な造りである。基礎が頑丈なわりには屋根が低い。「地下室があるんだな」と山本は思った。普通の土蔵ではないことに山本は驚いた。

 座敷の大きな机をはさむようにして、山本と紗代が座った。

「萬里小路家はいつごろからあるの」と山本は尋ねた。

「うちに伝わる古文書がいくつかあるんだけど、それによると平安時代の初めころはあったみたい」と紗代は答えた。

「萬里小路家はなにをしていたの」と山本は尋ねた。

「あるものを貸していたと家には伝わっている」と紗代は答えた。

 山本は、お金を貸していたのだと直感した。高利貸しというものは時代劇でもあまり評判がよくないので、山本はそれ以上は尋ねなかった。

 その二日後、箸黒の日本史の授業には、野間口と山本、そして萬里小路が出席していた。

 この日のテーマは、江戸時代の京都であった。

 三人は、箸黒教授の話に耳を傾けた。やがて九十分の授業が終わった。

 箸黒と三人を見ると、

「みんな、研究室にこないか」と誘った。箸黒は、どうしても滅苦寺の話をしておきたかったのである。

 四階の箸黒の研究室で四人がコーヒーを飲んでいると、箸黒が話し始めた。

「実は、この間から野間口君と古い絵馬を調べていたんだ。そしたら、不思議なことに滅苦寺の絵馬が三枚も出てきたんだ。滅苦寺というのは、北白川から遺構が出てきていろいろな古文書ではそこにあった寺が滅苦寺と呼ばれていたとなっている。そして滅苦寺は古代の豪族・粟田氏の氏寺のひとつであったと考えられている。滅苦寺があったという最後の記録は江戸時代の初めだ」と箸黒は言った。

「ところが」と野間口は続けた。

「時代も場所も違う寺の絵馬に滅苦寺と書かれていたんだ。それも三枚も。一番遅いものはなんと明治時代なんだ。ただ、寺の名の後に括弧づきで滅苦寺と書かれていたから、寺の名と言うより愛称というかニックネームのようなものだと先生と結論付けたんだ」

 萬里小路紗代は大きく深呼吸をした。

「へえー」と山本は言った。

 しばらくの間、沈黙が支配した。皆、それ以上にコメントのしようがなかったのである。箸黒でさえ、それ以上の見解を持っているわけではないのだ。

山本は、何か話題を振らねばならないと考えた。

「えーと、先日、萬里小路さんの家にお呼ばれしました。あ、別につきあってるわけではないですよ」と山本は聞かれもしないのにべらべらとしゃべった。

「歴史の勉強ですからね、あくまで。萬里小路さんの家は京都でも一、二を争うほどの古い家柄だそうです。ものすごく頑丈に造られた土蔵が二つもありました。屋根が低いので地下室があるのかなと思いました」と山本が言った時に、萬里小路紗代が驚いた表情をしたのを箸黒は見逃さなかった。

「萬里小路さんのところには、古文書が伝わっているのかい」と箸黒は尋ねた。

「はい。平安時代初期のころからの文書が伝わっています」と萬里小路は言った。

「そりゃ、古いね。ぜひその古文書を一度読ませてほしいな。ところで、萬里小路家はどういう仕事をしてたの」と箸黒は尋ねた。

 萬里小路紗代は、一瞬うつむいたがやがて顔を上げ、

「あるものを貸してそれで莫大な財を成したと言われています」と紗代は言った。

「何を貸していたの」と野間口は尋ねた。

「先生、貸すと言えばお金でしょう」と山本は言った。

「名前です」と紗代は言った。

「えっ、名前。何の」山本は言った。

「寺の名です」

「なんという名前かな」箸黒が尋ねた。

「メツクジです」と紗代は言った。

「えっ」と野間口は弾かれるように体を起こした。

「滅苦寺、です」と紗代は皆を見回してもう一度言った。

「えっ、なんだって」と箸黒はソファから体を起こして素っ頓狂な声を上げた。

「そう、今皆さんの話に出てきたその滅苦寺です」と紗代は言った。

「ちょっと待って。さっきぼくが説明した滅苦寺という名前は、萬里小路家から代々貸し出されていたということ ?」と野間口が言った。

「そうです。野間口君が言う通りです」と紗代は言った。

「萬里小路君、君の家は平安時代の初めまではなんと名乗っていたの」と箸黒は尋ねた。

 しばらく沈黙が支配したが、紗代は言った。

「先生が考えられている通り、私の家は粟田氏の当主なんです。現在の当主は父ですが兄が二人いるのでどちらかが当主を継ぐのでしょう。粟田氏は今の東山区粟田口あたりを拠点とする豪族でした。奈良時代には、朝廷内でもかなり大きな力を持っていたのです」と紗代は言った。

「そして、平安時代の初期には滅んだと聞いている」と箸黒は言った。

「滅んだというのは正しくありません。粟田氏は名前を変えて生き残ったのです。平安時代以降、京都では藤原氏が力を持つようになりました。そういう状況で粟田を名乗るのは危険と判断したようです。だから、ある者は橘氏と名乗り、ある者は菅原氏を名乗った。つまり藤原氏以外の貴族はすべて粟田一族なんです」と紗代は一気に話した。

「なんやて」と箸黒は慌てた。箸黒は慌てると京都弁が出る。

「粟田一族は、何度か藤原氏に対抗しようと考えたようです。伴善男(とものよしお)の起こしたと言われている応天門の変もその一つです」

「先生、応天門の変ってなんですか」と山本が髭をなでながら尋ねた。

「応天門の変というのはだな」と箸黒は続けた。

「平安時代の初期に応天門が何者かによって放火された事件だ。大納言であった伴善男は、これを源信(みなもとのまこと)が起こしたことだと天皇に奏上したけれど、藤原氏の工作によって伴善男自身が犯人だと決めつけられてしまった事件さ」と箸黒は言った。

「つまり、それも粟田氏が関係したものであると」と野間口は言った。

「そういうことです。伴善男も粟田の一族だったんです」と紗代は言った。

「うーん」

また沈黙が研究室を支配した。

「話を整理しましょう」と山本は続けた。

「粟田氏は奈良時代には大きな豪族であった。平安時代には、滅んだように見えて様々に名を変えて貴族として生き残った、ということですか」

「そして、藤原氏以外はすべて粟田一族と言うことになると、藤原氏に恨みを持つ者の集団とも考えられる」と野間口は言った。

「その通りです。厳密にいうと粟田一族というよりは、粟田氏の元に藤原氏に疎外された者らが集結したと言う方が正確だと思います。様々な貴族になって散らばったように見えますが、みんな粟田氏の当主であった萬里小路家を中心にまとまっていたということです。そして滅苦寺は間違いなく粟田氏の氏寺でした。その滅苦寺の名を萬里小路家があちこちの寺に貸したのです。滅苦寺の名は粟田氏への帰依を示すようなものだったようです」と紗代は言った。

「そうか。だから、粟田氏に集結する者たちが、あちこちの寺に滅苦寺という名前をつけて、言わば藤原氏への包囲網をつくろうとしたってことだな」と箸黒は言った。

「そして、粟田の当主である萬里小路家にお金が寄進された」と野間口は言った。

「それで時代も場所も違う寺の絵馬が三枚も見つかったのか」と箸黒は言った。

「しかし、現在、萬里小路家が没落もせずにあるということは、今でも粟田一族は京都のあちこちにいるということになります」と山本は言った。

紗代は息を大きく吸い込むと、

「その通りです。京都で要職についている人の多くが、粟田の一族です」と言った。

「萬里小路君、いまでも粟田氏の当主を中心にまとまっているということの目的はなにかね」と箸黒は尋ねた。

「それは、申し上げられません」と紗代は答えた。

「おそらく、粟田氏の再興というようなことではないでしょうか」と野間口は言った。

 翌日、箸黒の研究室には、箸黒と野間口がいた。

「昨日は驚いたね。滅苦寺が三つあったということだけでも相当驚いたが、萬里小路君の話には唖然としてしまったよ。ぼくはたいていのことは新聞などで発表するが、この話は出せる話ではないな」と箸黒は言った。

「萬里小路家は千年以上続いているんですね。そして粟田氏は現在でも再興する日を目指している。とても現代の話とは思えません」と野間口は言った。

 沈黙が続いた。

「粟田氏を再興させる本当の目的はなんでしょうか」と野間口は言うと、さらに続けた。

「萬里小路さんも、粟田一族は藤原氏に恨みを持つ者の集まりであると言っていましたね。しかし、今粟田氏を再興しても昔の藤原氏に仕返しをできるわけでもないし」

「藤原氏への仕返しか。一つだけ方法がある」と箸黒は言った。

「え、そんな方法があるのですか」と野間口は勢い込んだ。

「ここからは推測になると断っておこう。あると思う」と箸黒は言った。

「どんな方法ですか」と野間口は尋ねた。

「歴史を書き換えることです」と箸黒は言うと、ソファに体を沈め窓の外を見たのだった。

「先生、いくらなんでも歴史を書き換えるなんて不可能じゃないですか。要するに古文書を書き換えるわけでしょ」と野間口は言った。

「本当か嘘かはぼくも知らないが」と前置きすると、箸黒は遠い目をして語りだした。

「古来より密かに古文書を別内容と差し替える『替え師』という職業があるというのを小耳にはさんだことがある」と箸黒は言った。

「ちょっと待ってください。それは先生一流の冗談ではないですよね」と野間口は言った。

「ああ、本当だ。日本書紀ですら差し替えられているかも知れない。古代から確認されている替え師は三か所」

「そんなところまでわかっているんですか」と野間口は慌てた。

「替え師は、あくまで闇の仕事。めったなことでは表に出てこない」と箸黒は言った。

「で、その三か所とは」

「はっきりしたことはわからないが、それらしいものは阿波つまり徳島県、京都亀岡近郊、そして京都市北白川付近にあった」と箸黒は頭を抱えながら言った。

「えっ、北白川」というなり野間口は絶句した。

「そう言えば。昨日山本が萬里小路家には頑丈に造られた土蔵がふたつあったと言っていましたね。まさかそんなことが、いや、うーん」と野間口は独り言を言った。

「今、野間口君の考えていることが正しいとすると、粟田氏の本当の仕事は古来より替え師であったのかも知れない。だから多くの貴族がその傘下に入ったとも考えられる」と箸黒は言った。

 しばしの沈黙のあと、箸黒は、ひざを大きくたたいて言った。

「すべては、想像の域を出ないがね」

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2 コメント

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今日も楽しく読ませて頂きました。(^^♪ (お友達)
2019-06-23 09:07:50
流石京都産まれの京都育ち千年の都の事情通は?深いですね~!

私達千年来の外野庶民には(*_*;訳わかめな史実多々の真の日本史?(*_*;

海幸彦&山幸彦と云われた?海のシルクロードや陸のシルクロードも地政学上中国大陸の三国志の影響を色濃く残し乍ら今に至ると想えます。

寺社仏閣の勾玉三つの渦巻き紋等見るにつけ、各種勾玉ブレンドより成る日本国家創生なのかなと。。?

藤原氏が信奉して来たと云われる十一面観音とは?どのような神様だったのでしょうね?

藤原氏全盛期宇治に残る十一面観音菩薩像等眺め乍ら。。十一面観音の真の姿について考えました。

【宇、治】宇宙を治める?十一面観音菩薩とは。。?

①仮面ライダー、ゴレンジャーの様に変身?
②多種多能な技能集団の匠?

卑弥呼の如く術使いの匠。。?ある時は猫や鳥。。?はたまた赤い狐や緑の狸?朱鷺nipponia NIPPON?

空想の域は広がるばかりですが。。?(>_<)

各種勾玉が無益な対立内輪揉めする事無きよう匠の技で良い塩梅に纏めて頂けます事を願うばかりです。

日本国民にとって十一面観音さまが真に愛ある神様で在りますように!(^^♪
極々自然な。。愛国民って? (お友達)
2019-06-24 09:28:14
幾たびもの戦争、日本国全土が絨毯爆撃で焦土と化した先の大戦でした。

ある時、どなたかから世界宗教連盟なる組織が作られていたのだとお聞きしました。

時既に?仏基一元論なのだそうです。

改めて森鴎外の山椒大夫等大陸に面した北陸史など読み返す時、【極貧ボロボロの一般日本国民史?】が視えるようで。。(*_*;

一般日本国民に対する【活かさず殺さず。。?】と云う言葉が本当に哀しいです。(*_*;

時既に千年~二千年。。極々自然なあいこくみんとか愛国って無いでしょうか?(*_*;

絵馬に託す。。神さま、仏さま

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