バスケトスキー放浪記

ビビリのビーグル犬・バスケトスキー(通称・バスキー)が
飼い主の都合に振り回されて放浪生活をしています

バスキーがいっぱい

2017-12-20 | 日本・生活

先日、海外在住の大学時代の友人が一時帰国し、
4年ぶりに会いました。

バスキーと年の頃も同じだった彼女の愛犬も、
うちより半月ほど前に虹の橋を渡りました。





バスキーがいなくなって何をしていいかわからず
ほぼ家から出ていなかった私。
これじゃいかん!と思い始めた私の希望で、
オバさん2名江ノ島のイルミネーションではしゃぐ。

気持ちのリカバリー途上同士語り合えたことで、
だいぶ楽になりました。


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バスキーのエリアをちょこちょこ模様替え。







やっぱりいつもいた場所がいいよね、ってことで、
リビングにあったサークルを撤去してそこに移動。

元々の骨壷カバーは真っ白で包み方も可愛いけど、
なんせスモーカー2名なので汚れが心配。
なので、遺影の桜に合わせてスヌーピーの桜の風呂敷で
包みました。

あ、デジタルフォトフレームを抱いているセサミストリートの
エルモは、約20年前にNYから持ち帰り、以降海外放浪を
共にしている子です。笑


そして、





季節に合わせて紅葉の風呂敷にした上、遺影まで
変えてみました。


更に季節は進み、





今は冬仕様。


でね、気づいて頂けたかしら?





新しい仲間が増えたんです。

仲間っていうかバスキーがいっぱい。

粘土陶器のハンドメイド作家さんにお願いして作ってもらった
作品たちです。

バスキーの写真を数枚送ったら、色柄もそっくりに作ってくれました。

年取って白っぽくなってからの方がなじみ深いけど、それだと全体が
ぼんやりしちゃうので(笑)、若かりし頃を再現していただきました。

昔はこれくらい色味がはっきりしてたんですよぉ〜。


せっかくだから拡大判も載せちゃお。







寝そべってるバスキーがたまらん。


夫婦共にこの子たち(いや、全部バスキー)を見て
ほっこり癒されております。


お空へ

2017-12-04 | 日本・天使への道

バスキーの戦いの記録「天使への道」も最終話です。
引っ張りすぎてごめんなさい。


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10月10日火曜日。

お願いしていた葬儀社さんが来るのは午後2時。

その前にお出かけの支度。





バスキーに持たせるのは右側に写っている
* フードとおやつ
* 家族写真
* よく着せていたTシャツ
* 飼い主の部屋着の一部
* お花

骨をなるべく綺麗な状態で残したいから極力少なめに。

飼い主の部屋着は前日から寝る時も着て、飼い主のカホリを
存分に染み込ませ済み。笑

左側に写っているバッグやハーネスは飼い主の手持ち。

最後のお散歩だから。

最後のお散歩だから、飼い主もバスキーが最後に歩いた散歩の日
同じ服装にしました。


葬儀社さんが来て、火葬車を停める場所を相談。

飼い主の希望は一年中よく歩いた桜並木だったんだけど、
上部から熱気を放出するため、上部を木が覆うような
場所では出来ないとのこと。

なので、昔雪遊びをしたことのある近くの駐車場に決定。


「先に行って準備してますのでゆっくり来てください」と
葬儀社さんが出て行ったので、家族で最後の時間を過ごす。

ジャイアントに抱っこされたバスキーに、
「じゃあ久しぶりにお散歩に行こうか!」
と声をかけて、お散歩バッグを持って家を出る。

とってもいいお天気で、絶好のお散歩日和でした。


バスキーがゆっくりと青空に昇っていく間、一度家に帰った後、
桜並木のベンチに座り、お空を見上げる。

連絡を受けて駐車場に戻り、お骨上げをして、
またジャイアントに抱っこされて帰宅。





おかえり、バスキー。

手触り

2017-11-28 | 日本・天使への道

四十九日が過ぎました。

「早かった.....のか?」と、2人して首をかしげる。

最初の数週間に比べればドーンと気分が落ちることは
少なくなりましたが、毎日普通にバスキーの話になるから、
姿がないのが不思議な感じ。


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10月9日月曜日。

翌日にはお空へ送り出す、一緒に過ごせる最後の日。

朝起きたら、バスキーが横に寝ていました。

ジャイアントを叩き起こして言いました。

「ねぇ、バスキー寝てる。ほら、静かに寝てるよ。
 だから、明日別に送らなくていいじゃん?
 このままずっと一緒にいようよ。」

言いながら号泣。

もう私たちを見てくれなくても、動くことはなくても、
その体に触れることができればその存在をずっと
感じていられる。
それが消えてしまうことが怖くて仕方がなかったん
だと思います。

ジャイアントは私が泣き止むまで黙って背中トントン
し続けてくれました。



日中は形態を変えて帰ってきた時に必要な物を買いに行き、





夕食はマック。

お散歩でよく一緒に食べてたし、私達らしいかな、と思って。
バスキーにはいつものようにポテトをおすそ分け。
もう塩分とか油分とか気にしなくていいからそのままで。
(いつもは舐め取ってからあげてたので。笑)





デザートにケーキ。バスキーにはプリン。

よく食うな。爆

いやホント、どうしようもなく悲しいのに、食欲は落ちなかった
んですよね。

思い返してみれば、過去にも落ち込んで食欲がなくなった
経験がない。

神経図太い。


ケーキ食べながら





写真を眺める。

元々、遺影を選ぶために過去の写真を見返してたんだけど、
ジャイアントが、彼的に“よく見てた光景”をやたらめったら現像。

なんかね、テーブルの下から見上げるのとか、ただ私と
ダラダラしてるのとか、ホント何気ない光景ばっかり。
ブログ的にはボツになりそうなものがジャイアントにとっては
一番印象に残るものなんだなーと、見てて新鮮でした。


この日一番してたのは









チューとかナデナデ。


大好きだった感触と香りを心に刻みつけました。


身支度

2017-11-20 | 日本・天使への道

先日、たまたまジャイアント母からご機嫌伺いの電話があって、
やっとバスキーのことを報告しました。
身近だからこそ自分がぐずぐずになりそうでなかなか報告
できなかったんですよね。

その時はジャイアントが出張中で私が話しただけだったのですが、
改めて昨日お悔やみの電話がジャイアントにあり、声を詰まらせ
ながら話していたそうです。

私達がバスキーを溺愛していたのをよく知っているお義母さん。
お義母さん自身も、うちに泊まり込みで世話しにきてくれたり
バスキーを可愛がってくれていました。

優しい人なので、私に対しては、私が崩れてしまわないように
気丈に話してくれたけれど、息子であるジャイアントには
つい本音が出てしまったのかもしれません。



さて、バスキーのお話はもう少し続きます。

この記事には戦いを終えた後のバスキーの姿が
載っています。
苦手な方は早めスクロールでお進み下さい。


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シャワー直後にバスキーの旅立ちを知らされて、すぐにそのタイミングに
納得したとはいえ、一刻も早くそばに行きたかった私。

ひとまずバスタオルを巻いて小走り。

寝姿はそのままなのに、ただ呼吸音が消えたバスキーがいました。

「本当に良くがんばったね、お疲れ様。」と言いながら撫でると、
温かさもそのままでした。


バスキーの体に顔を埋めて泣きました。


バスキーがもう苦しむことはない、という安堵感と、
私たちの元から離れていってしまったんだ、という
寂しさと。


でもね、多分1、2分くらいで泣き止んだと思います。

なぜなら、自分の姿に我に返ったからです。

だって、全身から水を滴らせたタオル1枚のババアが
朝日に照らされて泣いてる図って怖くない?

それに、私から滴る水でバスキー濡れちゃってましたからね。

まず自分の身支度を整え、バスキーの身支度を整えることに。


数週間洗っていなかったので、リンスを薄めた水を使って
体を拭いてみたら、ほんのりいつものバスキーの香りに
なりました。

なるべく気持ちの良さそうなバスタオルを出してきて
保冷剤を置いて寝かせ、まずしたこと。





朝ごはん。

食べられなくなる前日に





こんなにストックしちゃったんでね、お腹いっぱい食べていって
もらいますよ。


「本当に普通に寝てるみたいだね」ってしばらく
2人で語り合う。

それから、荒れ放題の部屋を整え、事前に調べておいた
ペット葬儀の会社に電話。

バスキーを送り出す日を2日後に決め、この日から夏日になるとの
予報だったこともあり、ドライアイスを持ってきてもらいました。


バスキーにお留守番してもらい、





お花と、クマちゃんブランケットを買ってきました。
見た目は大差ないような気もするけど、飼い主の使い古し
バスタオルじゃみすぼらしいじゃろ、と思って。笑


夜はバスキーを2人のお布団の間に寝かせ、川の字で
寝ることに。

この日まで一週間まともに寝てなくて、最後3日間は
合計しても6時間寝てるかどうか。

緊張の糸が切れたのか、横になってすぐに落ちました。

彼の選んだタイミング

2017-11-14 | 日本・天使への道

とうとう戦いの終わりについて書く日が来てしまいました。

あの日々を振り返ることが辛い上、書くことがなくなって
しまうのも怖くて、少しずつ進めていました。

でもこの日については一気に書ききってしまおうと思います。


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10月8日土曜日。


日付が変わって真夜中になっても続く、痙攣と叫び声。

数日前に真上の部屋の住人(ワンコ飼い)を訪ね、事情を話して
「うるさかったらすみません」とは言ってあったけど、
その他にも住人はいるし、時間が時間なので気を使う。

痙攣の度に口元をそっとブランケットで包み、「ごめんね」と
バスキーに謝る。


状況が変わったのは日付が変わってからだったのかな。

突然ガバッと起き上がって嘔吐。

2日前くらいから流動食も飲みたがらず、少しずつ水分を摂る程度
だったのに、水っぽい中に何かよく分からない黒いモノが混じってて、
これ何だろう?と思いながら片付ける。


数時間経ってまた嘔吐。

吐く度に更に体力を消耗しているように見えました。


そして午前5時過ぎ、3度目の嘔吐。
全体力を使い果たすかのように吠えながら吐き出し、
倒れ込みました。

その時、「あぁ、遠くに行ってしまった」と感じました。
心臓は動いていても、意識を手放したのだと。

このまま呼吸が緩やかになって、やがて止まってしまうんだろう
と思いました。

もう痙攣を起こすことはなく、荒いけれど規則正しい呼吸を繰り返す
バスキーを「本当によく頑張ったね」と言いながら、ジャイアントと
撫で続ける。


.....2時間以上経ちました。


呼吸のペースも何も変わらないままです。

「バスキーの生命力は本当に強い。これはもしかしてまだまだ
長いかもしれないね。」という話になり、飼い主も気合いを
入れ直すため、交代でシャワーを浴びることにしました。

その際、
万一どちらかが入っている間に”その時”が来ても、呼びに行く
ことはせず、そばにいる方がちゃんと見届ける
と約束しました。

一瞬でもバスキーのそばを離れてしまうことがないように。


まず私がシャワーを浴びに行き、結構早く出てきたと思います。

脱衣所に出た時、ジャイアントの声がしました。


「バスキー、今逝ったよ。」


その瞬間、「あ、そうか」と、心にストンと落ちました。

あれだけすっと一緒にいて、最期の瞬間に立ち会えないなんて
ショックだろうと思われるかもしれません。

でも、一切思わなかったんです。

バスキーがその時を選んだんだと悟ったからです。


ずっと一緒にいたからこそ、私がどういう人間かよく
わかっていたはず。
楽天的でなんでもさら〜っと流すタイプではあるけど、
バスキーのこととなったら尋常じゃなくテンパるのを
何度も見てきたはず。

「バスキーがいなくなったら廃人になる」なんて言ってるような
打たれ弱いママだから、“コイツに別れ際なんて絶対見せられねぇ“
って思っても不思議じゃない。

シャワーを浴びに行く前、たとえ意識がなかったとしても、
“ちょっと行ってくるね”ってチューしながら笑顔で別れる
ことができたから、ぐっちゃぐちゃな泣き顔より良かった
かもしれません。


もう一つ。


私とバスキーには2人だけの時間がたくさんありました。
でも、仕事があり出張も多いジャイアントとバスキーが
2人で過ごす時間なんてほぼありませんでした。
ジャイアントとバスキーの想い出=家族の想い出。
もちろん、家族全員揃って楽しい時間を過ごすことは
とても幸せなこと。
それでも、ジャイアントだけが知るバスキーの姿、という
のもまた、バスキーの別の一面であるはずなのです。

ジャイアントとバスキーが過ごした最後の10分は
間違いなく父と子にとって特別な時間でした。
そんな時間をバスキーは最後にジャイアントに
プレゼントしたんじゃないかと思うんです。

別れという辛い瞬間ではあるけれど、バスキーは
ジャイアントが一人で受け止められる人間であること、
そして私がその選択を理解するであろうことを
わかっていたと思うんです。


バスキーがその時を選んだと確信したこと。

ジャイアントによると、私がシャワーを浴び始めてすぐ
呼吸が変化したんだそうです。

私が離れるのを待っていたかのように。

もしかして私が張り付いていたからなかなか旅立てなかった
のかもしれません。

空気読めないママでごめん、バスキー。笑


実はジャイアント、呼吸が変わってから旅立ちまで
動画を撮っていました。

私に見せるため、というよりも、バスキーがいなくなったことが
ある日ふと信じられなくなるんじゃないかと思い、事実を記録
しておこうと思わず撮ったと言っていました。

理由は何にせよ、私にとっては画面越しでもバスキーの
戦いを最後まで見届けることができてよかったです。


動画の中で、ずっとバスキーを撫でていたジャイアントが、
バスキーが大きく息を吐き旅立つ瞬間、
「よく頑張った。バスキー、ありがとう。」
とささやくのが聞こえました。

あの優しい大きな手に包まれ、あの優しい声を最後に聞いて
旅立てたのなら、バスキーは幸せだったはずだと
心からそう思います。


動画を撮り始めた時間とその長さから出した
旅立ちの時間、それが午前8時5分でした。