銘木アトリエEq

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2018-06-11 10:53:11 | 過去の執筆など
第四章 細菌も進化し続ける

バクテリアは生命体である。自分の遺伝子を後世に残す為に様々な努力をし、様々な進化を続けてきた。
バクテリアの敵は何もファージだけではない。
ファージやカビは当然の事ながら、他の微生物の餌になることもあれば、同じくバクテリアと生存競争をしている場合もある。

バクテリアは近縁のバクテリアを敵とみなす傾向があるといわれる。
どういうことかと言えば、近縁のバクテリアは増殖場所におけるライバルであって、
自分が増殖する為に必要な養分や場所を奪い合わなくてはならない。
もちろん、自分の方が早く増殖出来れば話は早いのだが、なかなかそうもうまく行かない。

そのためにバクテリアはバクテリオシンと呼ばれる毒素を放出して、近縁のバクテリアの発育を阻害する。
物理的に勝てないならば化学的な攻撃という訳だ。
こうしてバクテリアはシェアを維持し続けている。

こう書いてみると、バクテリアは非常に強い印象を受けるが、常に他の影響を強く受け、そして死と向き合っている。
例えば人間が必要以上に手を洗えば、それだけでも表皮フローラは致命的なダメージを受ける。
これは細菌だけではなくカビやその他の微生物にとっても同じだが、そのような致命的なダメージからも復活をし、
そしてフローラを再構築する力をバクテリアたちはもっているのだ。


バクテリアが単細胞生物としてこの地球上に生まれてからと言うものの、かなりの長い間彼らが世界の中心だったと言っても過言ではない。
私たち人間の目に映りすらしないミクロの世界で、圧倒的な破壊や圧倒的な創生、圧倒的な種の維持が起こっていた。
ヒンディでいうところのトリムールティに近いのかもしれない。
もっともヒンズー教について何も知らない私なのだが・・・。


そうしてミクロの世界ではバクテリアとアーキア、そしてファージが戦いを続けている。
この表現だとバクテリアとアーキアは仲が良さそうに見えるが、本当のところは仲が悪いのではないかな、というのが僕の見方だ。
お互いのテリトリーを全く別の世界にする事で、地球上においての共存が出来ているけれども、そもそも仲が良ければ一緒に暮らせば良い訳だ。
しかしアーキアについても良く分からない部分が多くて、推測の域を出ない事は確かだ。
バクテリアに寄生していたり、もしくは共生しているアーキアもいるかもしれない。
特定のバクテリアがいないと生存出来ないアーキアや、特定のバクテリアの産生物をエサにしているアーキアがいたっておかしくない。
これからの研究で様々なことが分かってくるだろう。

バクテリアもアーキアも生物である事には変わらない。
私たち人間生活であっても、例えば外気温が上がれば空調機で調節をするし、外気温が下がれば服を着る。
人間の場合には体温の調節という物が重要になってくるけれども、バクテリアの場合には分裂、つまり生存の為の至適温度というものがある。
やはり地球上の平均的な温度、20-30℃で発育するバクテリアは多いようだ。
例えば人間と共に生きているバクテリアであれば35℃程度が過ごしやすい温度と言われている。

人間は長い経験から、冷蔵庫などの冷所に食料を保存すれば腐らない、腐りにくい。と知っている。
ほとんどの食中毒菌は冷蔵庫の温度では生存出来ないのだが、バラエティに富んだバクテリアの世界では、
その温度でも分裂して生存出来るバクテリアもいる。
Listeria monocytegenesなどが代表的で、一応、食中毒を起こすバクテリアとしても教科書には載る。
ただし、あまり特筆すべき症状が無い上に、ほとんど死者を出すような食中毒は引き起こさないとされていて、フォーカスが当たる事はあまりないだろう。
ともあれ、冷蔵庫の中でも発育できるバクテリアはいる。とだけ記憶の片隅に置いておけば良いと思っている。



第五章 人間が手にした抗生物質という武器

1928年に、アレクサンダー・フレミング博士が発見したペニシリン。
Staphylococcus aureus(黄色ブドウ球菌)を化膿した傷口から分離して、なんとか化膿に対する薬を作れない物かと研究をしていた博士だが、
ペニシリンを発見しようとして発見した訳ではなく、ペニシリンは本当に偶然が生んだ発見であると言われる。
休暇の際に窓際にバクテリアの培地を置いてしまい、休暇から戻ると培地にアオカビが生えていた。
折角の研究材料もカビが生えてしまえばゴミ箱へ直行だが、博士はふと培地を見て、青かびの生えている周囲には黄色ブドウ球菌が繁殖出来ていない事を発見した。

アオカビのコロニーの周りに等円状に抜けた培地を見た博士は、相当に驚いたと容易に推測出来る。
つまり、アオカビは黄色ブドウ球菌の発育を阻害、もしくは発育した黄色ブドウ球菌を殺す物質を産生している可能性があったからだ。
特定のバクテリアを培養する際に、そのバクテリアに対して抗生物質が効果あり、なしを判定する試験を、薬剤感受性試験と呼ぶのだけれども、感受性つまり薬剤が効く場合には、綺麗な円状にバクテリアの繁殖出来ない部位が出来るので、僕はあれを見るたびに美しいと思ってしまうのだ。

アオカビの抽出液を濾過して、有効成分を分離する事が出来た。
それが世界で初めての抗生物質ペニシリンだ。
もっとも、ペニシリンが医学界で認められて、薬剤として使用されるようになるまでには時間を要したが、認知されてからという物の、その特効薬的な強烈な効果からも、人類は対バクテリアに対する強烈な武器を手に入れる事となった。

アオカビはPenicillium属という区分のカビだったので、ペニシリウム+化合物in=ペニシリンという呼び名になったのだが、
ペニシリンが認知された後には、様々な細菌やカビ、動植物が抗菌作用を持っている事が次々と発見され、新しい抗生物質が次々と作られていった。


人間は対バクテリアに対する最終兵器を手に入れたと考えた。
長年バクテリアは人間の脅威となっていたのだ。例えばほんの掠り傷が致命傷になったり、生水を飲む事で命を落としたり、そのようにしてバクテリアは人間の生命を脅かしてきた。
15世紀にヨーロッパで流行したペスト菌(Yersinia pestis)が引き起こす全身疾患ペストは、当時のヨーロッパでは黒死病と呼ばれ、人口の1/3に及ぶ人間を死に追いやったという歴史がある。

余談だが、ペスト菌は腸内フローラにいるバクテリアではないが、腸内細菌科のバクテリアだ。
これは前述の通り、腸内にいるから腸内細菌!!と簡単に思いついてはいけないという事が言える。
急いては事を仕損じるというべきなのか、何でも単純に考えると、僕のように単細胞な人間と呼ばれてしまうのだ。


人間は抗生物質という対バクテリアの最終兵器を発見し、様々なタイプの抗生物質をつぎつぎに発見をしていった。
凡そバクテリアと呼ばれる物は、人間にとっての脅威では無くなったと言える。
最終兵器は、その利便性から色々な用途に使われ、そして人間に多くの知恵と力を授けた。

第一次世界大戦の時のように、掠り傷で命を落とす事はほとんどなくなった。
生水を飲んでも命までは取られなくなったと言える。

人間は風邪を引いた時にも、肺炎の予防のため安易に抗生物質を摂取したり、例えば畜産業界であれば病気を予防するために家畜に抗生物質を投与するようになった。
もちろん都市伝説として、家畜の腸内フローラを破壊すると成長が早くなり、大きく育つ・・・らしいという話を聞いた事はあるが、いかんせん僕にはその知識を検証するだけの能力が無いので、ここでは都市伝説としておいた。


人間はバクテリアを制圧する事が出来たのだろうか。
抗生物質があればバクテリアは怖くもないのだろうか。

ところが38億年もの間、生き続けているバクテリアに隙は無かった。
ペニシリンが発見されて100年弱という時間は、38億年に比べては短すぎたのだろうか。
様々な抗生物質に対して抵抗性を持つバクテリアが次々に確認され、免疫力の落ちた人の命取りになるケースも多々ある。

次章では抗生物質に対して抵抗性を持ったバクテリアのお話をしたいと思う。
つまりバクテリアVSファージではなく、バクテリアVS人間の100年戦争という考え方で良いかもしれない。

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