41歳。赤ちゃんを抱くまでの日々。

41歳で治療開始。低AMH高FSH。採卵3回移植2回。2016年12月9日卒業。2017年7月、42歳で高齢初産予定。

学校と習い事とスケジュールとお月謝

2019-07-21 16:48:10 | 産後
今、2歳で、

1歳3ヶ月頃から1ヶ月に2回、
リトミック。


1歳10ヶ月で週3日、インターナショナルスクール。


インターナショナルスクールと
同時にさせたかったのは
水泳とベビー公文、
もしくは何らかの幼児教室。


ベビー公文は、調べたところ、3歳以前に行っても無意味そうなので、無し。自宅でやることに。


水泳は、落ちたのでまた抽選に並び、秋期から通わせるつもり。


幼児教室は保留。



また、それらとは別に近い未来
3歳頃からの習い事ととして…

ピアノ。

でも未だ先生を探せず。

(鈴木メソッドなら知り合いがいるが、そもそも、鈴木メソッドにするか微妙。知り合いの良い先生のコネを持たず。KAWAIかヤマハ等に4才から通わせるのなら、リトミックを辞めて、ヤマハかKAWAIのリトミックに通わせた方が良い気もする。実家でないのでピアノを買わないといけない。んーーーー問題山積ひとまず後回し)



あと、バレエ。
此はまあ、一応目星はついている。



インターナショナルスクールを週4⇒週5日に増やしていくのはいつのタイミングにするか…なやみどこである。

上のクラス、すなわち、来年度四月からは、週5にするかな。




娘を持つということとモテるということ

2019-07-18 21:45:06 | 産後
娘が1つ上のクラスの男の子に多分好かれている。

ライクかloveか知らんが、そう言った系統の感情を多分持たれている。



何故そう思うか。日を追って遡って、話をせねばなるまい(検証せねばなるまい)。


先ず、

1『送り迎えの時に、わざわざ校舎の敷地の外の曲がったとこまで駆けてきて、 バイバーーーイと、手を1度振ってくれた』

←これについては
(娘は帰るときに、目につく全ての大人子供にバイバーーーイとずーとして帰る娘なもので、似たような子が居るなー(バイバイわざわざ言いに来てくれて嬉しいな)位に思っていた)


2『運動会のときに、みょーにじーーーと、私が相手の顔を見るまで、私の顔を見る男の人が居て、ん?なんか変な見方だなーと思っていた』

←これについては
(側に、件の男の子がいた。
つまりはお父様だった)


3『また綱引きの時に、クラスも全然違うし、何処に並んでも良いのに、狭い狭い娘のとこに2回来て、綱引きに参加した。
その時に、◯◯ーーと娘の名を呼び、指差し(娘無反応)、それに対して、その子のお母様が、◯◯よ、と訂正していた』

←これについては
(娘の名前を名乗った事は無いのだが、すごいなーー。先生との会話を聞いたのだなー。注意力が良い。と思っていた。お返しに?相手の男の子の名前を聞いてみた』



4『夫と基本娘を送り迎えしているのだが、娘を夫が抱っこして歩いているときに、いきなり夫が立ち止まるので、なんだ??と思って振り向いたら、その男の子とお母様がいて、お母様は🚲を停めて、夫と並んで暫く歩いていた。男の子は◯◯と言ったらしいが、娘は無反応。』

←これについては
(◯◯君と、娘は友達なんだなーーと思っていた。夫は我々夫婦と友達になりたいんじゃない?!と寝ぼけたことを言っていた。平和だ夫。)


5、いよいよ5(これこそが確信)
『運動会の、ビデオを見ていた娘。夫が男の子の名前を聞くと、
娘、「◯◯」
夫「◯◯君と遊ぶの?」
娘「うん。◯◯ーってくゆ(=来る)」
夫「なにして遊ぶの?」
娘「ぎゅーすゆ」
夫「そうなの(ほほえましい)」』

←これについては
(此こそが証拠←?。
夫はほほえましいと思っているが、私には微笑ましくない)




【モテるとは。モテるとは、良いことなのだが、危険や難儀や賢さや知恵や、己の立ち位置や、その他諸々、高い能力で処さないと、(女性は)身を滅ぼす。


モテるかもしれない娘のことは嬉しく思うけれど、
(でも、そうは言ってもそもそも、モテないと言うことを想定できない(していない)のだが)

んーーーーーーーーーー…と思いはする。

好事魔多し。


娘の邪魔にならなければ良いがと思う。


どうせモテても、一人しか選べないのだから(基本)。

一人だけ、当たりを引きさえすれば良いのだ。


モテるのは性格が歪みにくくなるかもしらんが、邪魔になることも多々ある。

己の力を存分に発揮して生きていくのに邪魔にならぬように、と母は思う。

(そんな大袈裟な話はあと10年後に問題になるだろうが)】


とにかく、小さい子でも😗チューとかするので、それが嫌である。

嫌である。

嫌である。



ねずみ講

2019-07-15 16:13:47 | 呟き
誘われたのである。大学時代の友人に。


一昨年?は借金を暗に頼まれた。


私の知る限り彼女には友人と呼べる人は私ともう一人の◯ーちゃんしかいない。
(◯ーちゃんには、1度私も大学の時に会っている。いい人だ。

◯ーちゃんは、早稲田から出版社に入り、転職して今はIT関係にいる)




友人は大学卒業後、音楽を目指し、色々あり、色々あり、色々あり、今は人前で歌う人になっている。

なっているのだが、ノーギャラで歌っているらしい。

仕事は辞めてしまった。しまったと書いてあるが、体と心が壊れる寸前だったので辞めたのは基本正解。



問題は、収入だ。



生きていくには金がいる。ご飯を食べないと死ぬから。服を着ないと捕まるから。お風呂に入らないと感染症になるから。家がないと辛いから。


実家で親と暮らしているのだが、お父様とは長年没交渉。離婚はしていらっしゃらない。お母様のシルバーセンターでの収入と年金で、友人とお母様は暮らしている。





(……「恨んでいる人いないの???!」とこの友人に、物凄く驚きながら聞かれたのはもう15年以上も前になるか。
恨んでいる人がいる、という事態を、小説でも二時間ドラマでもなく、現実に初めて聞いたのも、彼女からだった。
私は粘着気質?だが、基本、人が好きなので、嫌なことされてもその人の顔を見ると、怒りは消えて、仲良くしたくなる。
仲良くしなきゃ、などという意識は微塵もない。人に嫌われるのは勿論辛いが、自分の感情を無視してまで人に好かれたいなどと、考えたことはない。そんな考え私の胸に1度足りとも去来したことは無い。

只、人は誰でも機嫌調子悪いときもあるし、全部が全部私から見て嫌なところで出来ている人など居ない、というのが、深奥から常に沸き上がっている。
私の心は、その沸き上がるもので、フレッシュになり、淀まない。毎回毎回、新らしい一日のような気持ちで相手に対する。
しかし、粘着気質なので、忘れるわけではない。評価と愛情が別なのである。

貴方のことはアホでバカで信用できないと思っているが、嫌いではない、此が私の嫌いな人に対する正直なとこだ。

……よって、「恨んでいる人などいるわけがない」)




友人は、回りの友人から、長い間そのねずみ講に誘われていたらしいが、信用できず断っていたが、よくよく聞くと、“皆のためになる”と思って、入る気になったらしい。

“お金へのブロックが消えて幸せ”だと言っていた。


友人は私に子供が生まれた年、おめでとうは言ったが(←出産祝いなど全く頭に無かった)
子供が未だ一歳にもならない内に、家の玄関先でねずみ講について話をさせてくれと言った。私は断った。

次の年、突然、今日の夕方出産祝いを渡したいと言ってきた。私は生憎旅行で居なかった。

2年も出産祝いを送ってこなかった友人が、そんなことをいうので、「◯◯には入りません(大意)」と書いておくったら、
実は政治家や経済の教授やローソンやセブンイレブン、ダスキンの事業立ち上げた人達なんかもそっちの仕事辞めてまでこの事業をやっていて、どうも本当にすごい事業(一般財団法人)みたいなのだけれど、
私が経済にあまり詳しくないので、
なので、むしろ◯(←夫の名前))さんに
ご意見伺えたら嬉しいなあと思ってるんだ。。

私は、どんどん貧富の差が広がっている今の日本で、
みんなが安心して幸せに暮らせるように、
この仕事が日本のベーシックインカムのようになったらいいなと思っていて。。

なので、入る入らないは全く別として、
いつか◯◯◯に行ける時があったら、
説明会一緒に聞いて頂いて(2時間程度)
ご意見伺えたら、大変ありがたいと思ってます。。m(__)m
と、返事が来た。テンプレが配られているのであろうか。



…………φ(..)まあ良くわからんが、私に出来ることはもう無い。

借金を暗に頼まれたとき、30万くらいならあげるつもりで貸そうとした。

親と友人は大反対だが、私の本音は“まあ…”だった。


夫は、私があげるのを反対しなかったが、「本当に困りに困ってニッチもサッチもいかなくなったときにあげたら?」と言った。

友人の実家は、借家(団地)で、お母様名義なので、何れは出ていかないといけないらしい、それも踏まえて、私も“そうだな”と思った。




悲しいというか…まあ、なんというか、しゃーないかなーーーと思う。



人はお金がないと本当にいきていけない。


消化吸収排泄してるからね。



怒りはないし、私のこと友達と思ってないんだshock!ってのもない。


しゃーないよなーーーと思う。



どーにかならんかなーーと思う。


医療事務の免許を大学卒業後取ったので、私の伯母の病院で雇ってもらうか、もう一人の伯母の薬局で雇ってもらうか、夫の先輩の◯大(旧帝)教授を結婚相手として紹介、祖父の部下だった検事の知り合いの弁護士を結婚相手として紹介、……これ等も全て彼女に断られた。

「お金や条件を見ての結婚なんて」
「岡田将生みたいな顔じゃないとホント駄目」
「医療事務はただ取っただけで働きたくはない」



…………まあ、彼女の考えなのでそれもまあ良いのである。私の人生じゃないからね。

私の価値観による、私にできること、は全部尽くした。私に提供できるものはない。





お洋服のこと2

2019-07-13 00:08:48 | 産後
買い物同行で、物凄く落胆した私は、娘を学校に送り出して、夫と二人で買い物に出掛けた。

高島屋に行った。


夫が付いてきてくれた。


そして色々見る前に、オンラインショップで気になるものが多々あったルネに。


バーゲンの物は全部似合わず。
そもそも私に良いものは残っていない。
(華奢な人にはあるだろう)


オンラインショップで気になっていたものを次々と試着。


トシを取ると試着しないとわからない。


己の肉のぷよさ。


生地が厚くないとヤバい。


1枚、夫が「貴女に足りないものを足すから一番似合う」と言っていたものを、好きな似合うボトムスが無いために泣く泣く放逐。


今も少し未練。



結局好みドンピシャ
(此を買いたいが為に、山から駅に降りてきた)を購入。

ブローチも併せて計五点。

会計は…高かった(_ _)



今も少し後悔…。



でも、とてもとてもしあわせ🍀😌🌸💓


久々にデコラティブな、女らしい、良い服を着られる。


夫は、とにかく快く、「買い物同行する(程)まで我慢したんだろ。好きなの必要なのは全部カイナサイ」 と言ってくれた。


ありがとう。


感謝しかありません。


夫は私の心や気持ちをいつも最大限汲んでくれる。


買って貰ったのも嬉しいのだが、いつも、その汲んでくれた精神をとても有り難く尊く思う。

寝られないわけ

2019-07-11 05:08:59 | 産後
昨日は娘の学校で、白Tシャツに工作する日だった。

私は忘れないようにと、無印で買い、洗い、アイロンをかけ、畳んで、娘のリュックの中の上の方(底から、着替え、オムツ、ハンドタオル、Tシャツ、お弁当の順で)に置いた。


先生は、気付かず、娘は、只の紙に絵を描いて嬉しそうに帰って来た。


絵を描いたり工作するのが大好きな娘が、一人だけ小さい紙に(Tシャツに比べると)絵を描いて、でもそれでも嬉しそうに帰って来たと思うと涙がでる。

不憫でならん。
かわいそうで腹が立つ。
自分にも。先生にも。


皆がTシャツに描くなか、どんな思いだったろう。




荷物を渡すときにわざわざ、
入れてますと言うべきだったのだろうか。

それとも手渡しをするべきだったのだろうか。

一人一人入り口で挨拶をして荷物(大きめのリュック)を渡し、後ろに待っている人に気を遣いながら、最低限の娘のことを頼む中、


学校がその日に持ってこいと指定してあった、入れるのが当たり前な物を、いれてありますよ、という必要が。

私は甘かったのか。




………リュックの中で上の方においてある荷物に気付かん頭って飾り物か??!!!!◯カか?!!!むかつく。というのが私の本音だ。



過去は過去。

此を活かして次は娘に寂しい思いをさせないようにしよう。


辛いことは未来に活かしてこそ、辛い目に遭った意味(価値)がある。

人生は長い。まだまだ続く。

もう朝だ。