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娘への遺言
妻のお父さんが日本酒党なのですが、彼は日本酒をお燗でしか飲みません。知人から貰ったちょっと高級な吟醸酒なんかも全部お燗にしてしまいます。もったいないです。
でも義父は日本酒はお燗で飲むと決めているんです。理由は、義父のお父さん(妻の祖父ですね)の遺言で“お酒はお燗にして飲め”と言われたそうなんです。義父は新しく一緒に飲む相手が現れるたびにこの遺言の話しを楽しそうにします。もちろん妻の家族は何百回も聞いてきた話なので“またその話し”って感じなのですが、私はこの遺言話が好きで何回聞いてもあきません。
義父のお父さんが、なぜこんな遺言を残したのか全く理由は知らされていないそうなのですが、それが逆に私を色んなことを考えさせてますます楽しくなります。思うに恐らく、義父のお父さんは、冷酒を飲みすぎて何かずっと後々まで後悔するような大きな失敗をしてしまったんだと私はにらんでいます。
で、その後、試行錯誤の結果、“お酒はお燗にするとあんまり飲み過ぎないし、あの時のような大失敗を繰り返さなくてすむ”というところに落ち着いたのではないかと想像します。いくつになっても、真夜中に布団の中で過去の大失敗を思い出して“ああ~”って落ち込む事ってありますよね。彼は死ぬ前に何度もそんな気持ちになって、自分の息子にも同じような大失敗はさせないように遺言を“お酒はお燗にして飲め”と言い残したのではないでしょうか。
この話を聞いてから、私はじゃあ自分の娘にはどんな遺言を残そうかといつも考えるようになりました。何か私の人生観が伝わり、そして彼女の人生にとってもプラスになるような遺言。そしてもちろんそれは重苦しい内容ではなく、簡単に笑い飛ばせられて、そして義父のお父さんの遺言のように“どうしてこんな遺言残したんだろう”と後の人が色々と想像できるようなもの。
で、私はこんな遺言を彼女に残すことにしています。“レストランではピノ・ノワールを頼め”です。ワインにあまり興味のない方は“なんだかスノッブで嫌だな”と思われるかもしれません。たぶん娘も“こんな遺言、かっこつけみたいで守りたくないなあ”と嫌がるに違いないと今から想像がつきます。でも、ここに私の人生観が大きく詰まっています。
私、実は“男のこだわり”のようなものがあまりなくて、服とか時計、嗜好品なんかは基本的に何でもいいし、男の子特有の車輪文化(車とかバイクとか)やスポーツ観戦、ギャンブルにも全く興味がありません。食べる物ももちろんおいしいものの方がいいんだけど、特にこだわりはありません。
しかし、ワインだけはピノ・ノワールがとにかく好きで、他の品種だと全くあのレストランの幸せを感じられないんです。ワイン・バーのようなものを経営しているので、シラーやグルナッシュ、カベルネやガメイのおいしさももちろん理解はしているつもりなんです。しかし、ピノ・ノワールという品種の持つあの特別感は他の品種では表現できないんですね。妻は私達の衣食住に関しては全部決定権を握っているのですが、このレストランではピノ・ノワールを飲むという決まりだけは私に合わせてくれています。
さて、“レストランではピノ・ノワールを頼め”という私達夫婦の決まりを娘に押し付けようと考える訳は“ピノ・ノワールが一番おいしい”という理由からだけではありません。ワインに詳しい方ならご存知でしょうが、レストランでおいしいピノ・ノワールを注文するのってとても難しいんですね。
まずフランス・ワインであれば品種表示はしてくれていないので、ブルゴーニュ、サンセール、アルザスなんかでピノ・ノワールのワインが作られているという基礎知識が必要になります。そして、ピノ・ノワールはボルドーなんかと違って色んな造り手によって味のスタイル、もちろん価格も大きく変わってきます。フランス特有のAOCという制度もある程度知っていないとなぜこれが高いのかといったことも理解できません。あるいはカリフォルニアやニュージー・ランドのような新世界のピノ・ノワールであれば価格や味もまちまちなので、どれが一番今日の財布と食事にあっているのか悩まなくてはなりません。
もちろん全部ソムリエさんに投げ出して“このくらいの金額でおいしいピノ・ノワールを”と伝えてしまう手もありますが、“おいしいピノ・ノワール”は人によっても違うし、さらに食事全部にピノ・ノワールを合わせるのってかなり難しいものがあります。私がその場のソムリエさんなら、一生懸命彼女(私の娘のことです)とお互いのピノ・ノワール観について話し合います。娘はきっとそこで、レストランでのワインの頼み方、コースの組み立て方、自分の味の好みやお財布状況の伝え方なんかを学べるはずなんです。そして、そこで得られる料理、食材、味覚、価格といった様々な知識は彼女の食生活への態度を充実したものにしてくれることでしょう。
私が飲食業という仕事をしているからかもしれませんが、楽しい食卓を友人達と囲める時間が持てれば人生の幸せのほとんどは手にしたのも同然だと考えています。そうですよね。楽しい食卓が人生の基本です。そして、娘がいつかレストランでおいしいピノ・ノワールを注文出来るようになれば、そしてそれを一緒に楽しんでくれる友人や恋人、そして夫を手に入れたら、彼女は寿司屋でも居酒屋でもバーでも、そしてもちろん自分が手にするであろう家庭の食卓でも楽しく幸せな時間を手に入れられると私は信じています。
妻のお父さんが日本酒党なのですが、彼は日本酒をお燗でしか飲みません。知人から貰ったちょっと高級な吟醸酒なんかも全部お燗にしてしまいます。もったいないです。
でも義父は日本酒はお燗で飲むと決めているんです。理由は、義父のお父さん(妻の祖父ですね)の遺言で“お酒はお燗にして飲め”と言われたそうなんです。義父は新しく一緒に飲む相手が現れるたびにこの遺言の話しを楽しそうにします。もちろん妻の家族は何百回も聞いてきた話なので“またその話し”って感じなのですが、私はこの遺言話が好きで何回聞いてもあきません。
義父のお父さんが、なぜこんな遺言を残したのか全く理由は知らされていないそうなのですが、それが逆に私を色んなことを考えさせてますます楽しくなります。思うに恐らく、義父のお父さんは、冷酒を飲みすぎて何かずっと後々まで後悔するような大きな失敗をしてしまったんだと私はにらんでいます。
で、その後、試行錯誤の結果、“お酒はお燗にするとあんまり飲み過ぎないし、あの時のような大失敗を繰り返さなくてすむ”というところに落ち着いたのではないかと想像します。いくつになっても、真夜中に布団の中で過去の大失敗を思い出して“ああ~”って落ち込む事ってありますよね。彼は死ぬ前に何度もそんな気持ちになって、自分の息子にも同じような大失敗はさせないように遺言を“お酒はお燗にして飲め”と言い残したのではないでしょうか。
この話を聞いてから、私はじゃあ自分の娘にはどんな遺言を残そうかといつも考えるようになりました。何か私の人生観が伝わり、そして彼女の人生にとってもプラスになるような遺言。そしてもちろんそれは重苦しい内容ではなく、簡単に笑い飛ばせられて、そして義父のお父さんの遺言のように“どうしてこんな遺言残したんだろう”と後の人が色々と想像できるようなもの。
で、私はこんな遺言を彼女に残すことにしています。“レストランではピノ・ノワールを頼め”です。ワインにあまり興味のない方は“なんだかスノッブで嫌だな”と思われるかもしれません。たぶん娘も“こんな遺言、かっこつけみたいで守りたくないなあ”と嫌がるに違いないと今から想像がつきます。でも、ここに私の人生観が大きく詰まっています。
私、実は“男のこだわり”のようなものがあまりなくて、服とか時計、嗜好品なんかは基本的に何でもいいし、男の子特有の車輪文化(車とかバイクとか)やスポーツ観戦、ギャンブルにも全く興味がありません。食べる物ももちろんおいしいものの方がいいんだけど、特にこだわりはありません。
しかし、ワインだけはピノ・ノワールがとにかく好きで、他の品種だと全くあのレストランの幸せを感じられないんです。ワイン・バーのようなものを経営しているので、シラーやグルナッシュ、カベルネやガメイのおいしさももちろん理解はしているつもりなんです。しかし、ピノ・ノワールという品種の持つあの特別感は他の品種では表現できないんですね。妻は私達の衣食住に関しては全部決定権を握っているのですが、このレストランではピノ・ノワールを飲むという決まりだけは私に合わせてくれています。
さて、“レストランではピノ・ノワールを頼め”という私達夫婦の決まりを娘に押し付けようと考える訳は“ピノ・ノワールが一番おいしい”という理由からだけではありません。ワインに詳しい方ならご存知でしょうが、レストランでおいしいピノ・ノワールを注文するのってとても難しいんですね。
まずフランス・ワインであれば品種表示はしてくれていないので、ブルゴーニュ、サンセール、アルザスなんかでピノ・ノワールのワインが作られているという基礎知識が必要になります。そして、ピノ・ノワールはボルドーなんかと違って色んな造り手によって味のスタイル、もちろん価格も大きく変わってきます。フランス特有のAOCという制度もある程度知っていないとなぜこれが高いのかといったことも理解できません。あるいはカリフォルニアやニュージー・ランドのような新世界のピノ・ノワールであれば価格や味もまちまちなので、どれが一番今日の財布と食事にあっているのか悩まなくてはなりません。
もちろん全部ソムリエさんに投げ出して“このくらいの金額でおいしいピノ・ノワールを”と伝えてしまう手もありますが、“おいしいピノ・ノワール”は人によっても違うし、さらに食事全部にピノ・ノワールを合わせるのってかなり難しいものがあります。私がその場のソムリエさんなら、一生懸命彼女(私の娘のことです)とお互いのピノ・ノワール観について話し合います。娘はきっとそこで、レストランでのワインの頼み方、コースの組み立て方、自分の味の好みやお財布状況の伝え方なんかを学べるはずなんです。そして、そこで得られる料理、食材、味覚、価格といった様々な知識は彼女の食生活への態度を充実したものにしてくれることでしょう。
私が飲食業という仕事をしているからかもしれませんが、楽しい食卓を友人達と囲める時間が持てれば人生の幸せのほとんどは手にしたのも同然だと考えています。そうですよね。楽しい食卓が人生の基本です。そして、娘がいつかレストランでおいしいピノ・ノワールを注文出来るようになれば、そしてそれを一緒に楽しんでくれる友人や恋人、そして夫を手に入れたら、彼女は寿司屋でも居酒屋でもバーでも、そしてもちろん自分が手にするであろう家庭の食卓でも楽しく幸せな時間を手に入れられると私は信じています。
ずーと続けばいいのになあっていつも思います。
食べる事、飲む事が大好きな私にとって、いわゆる至福の時と表現されるものだと思います。
私も飲食業という仕事をしています。
とても不機嫌な表情でお店に来る方がいらっしゃいます。
絶対損してますよね。
ピノ・ノワール挑戦してみます。
ごめんなさい、コメント、頂いたの、気付きませんでした。
食卓は楽しい方が良いですよね。