その日系ブラジル人女性に出会ってほんの数秒間で、彼女が「上流階級出身だ」ということがわかった。
私が昔働いていた渋谷のブラジリアン・レストランは、例えばN.Y.の日本レストランで働く日本人に様々な経歴の人間がいるように、色んな種類のブラジル人がいた。
ほとんど騙されたような契約で来ている綺麗なモデル達。日本の田舎の工場で働くよりも刺激的な都会で働きたいと考えるオシャレな若いブラジル人。東京で学校に通いながら働く真面目なブラジル人。そして「実家はお金持ちなんだけど自分のルーツである日本でちょっと生活してみたいな」と気楽な気持ちでバイトをする日系ブラジル人。
彼女はそんな典型的なお金持ちの日系ブラジル人3世で、おそらく気持ちは「まあちょっとブラジル・レストランでバイトでもして友達でもつくろうかしら」という感じだったのではないかと思う。
彼女は私のことは他のブラジル人達から聞いていたようで、「あら、あなたがみんなが話していたブラジル音楽が好きでポルトガル語を勉強しているというシンジね、はじめまして」と言いながらサッと右手を出してきた。
私は「握手の時は身分が高い人の方が先に手を出す」という国際ルールをその時身を持って実感できたし、彼女の「お友達になりましょうね」という微笑みが何故かとても光栄に感じた。
たぶん彼女は私達一般日本人からは想像できないような豪邸で何不自由なく暮らしてきたんだろう。そして、彼女の周りにいた人達は「そんな上流階級の彼女と友達になれるなんてとても嬉しい」と自然と感じてしまうような環境の中でずっと彼女は生活していたんだな、とその瞬間に理解できた。
階級や身分って、政治的な制度、あるいは経済的な裏付けで決定されるものではなく、こうやって個人と個人の関係で築かれていくものなんだな、とその時私は学んだ。
これから書くことは、彼女にとってとても失礼なことだ。でも、このことを書かないと、この話しの核心に迫れない。
彼女は正直な話し、全然綺麗じゃなかった。思い切ってもっと正直に言うと、彼女はいわゆる「ブス」とカテゴライズされるようなルックスだった。
時々、日本国内ではあまり美人と思われるタイプではなくても、外国に行くとやたら男性にもててしまう日本人女性って存在する。本当に彼女には申し訳ないのだが、百歩譲っても彼女はそういうタイプでもなかった。
しかし彼女は自分がまるで絶世の美女であるかのように振る舞った。
そして私達男性スタッフも何故か不思議なことに彼女を美人として扱った。みんなが心の中で「あっかんべー」をしていた訳ではなく、本当に心の底から彼女を美人として接していた。
もしかして彼女は自分のことを本当は綺麗ではないと自覚していて、相当なコンプレックスを抱えていたのかもしれない。
あるいは、先日、民間人の男性と結婚して話題になったある極東のプリンセスのように、自分のことを客観的に見ることなんて出来ないくらい上流社会という閉じた世界で育ったのかもしれない。
あるいは、ブラジルならではの考え方で、「女性は常に自分が美人として振る舞うべきよ」という教育を小さい頃から受けてきたのかもしれない。
その辺の本当のところというのは結局わからずじまいだったが、彼女は常に美人として振る舞い、私達はそれに従った。
実際、私は彼女が美人であるかのように感じていた。例えば、私が彼女に何か冗談を言って、彼女がそれに微笑んでくれたとする。そんな時、私はまるですごい美人に笑ってもらえたかのような感覚で嬉しかった。→※
そして私は気付いた。美人の条件は本当に美人であることではなく、「美人として振る舞うこと」なんだと。
※男性は理解してくれると思うが、差別的な表現で本当に申し訳ないのだけれど、すごい美人が笑ってくれるのと、普通の女性が笑ってくれるのとでは、微妙に意味が違う。これは恋なんかとは関係はなく、社会的な制度の問題だと思う。
私が昔働いていた渋谷のブラジリアン・レストランは、例えばN.Y.の日本レストランで働く日本人に様々な経歴の人間がいるように、色んな種類のブラジル人がいた。
ほとんど騙されたような契約で来ている綺麗なモデル達。日本の田舎の工場で働くよりも刺激的な都会で働きたいと考えるオシャレな若いブラジル人。東京で学校に通いながら働く真面目なブラジル人。そして「実家はお金持ちなんだけど自分のルーツである日本でちょっと生活してみたいな」と気楽な気持ちでバイトをする日系ブラジル人。
彼女はそんな典型的なお金持ちの日系ブラジル人3世で、おそらく気持ちは「まあちょっとブラジル・レストランでバイトでもして友達でもつくろうかしら」という感じだったのではないかと思う。
彼女は私のことは他のブラジル人達から聞いていたようで、「あら、あなたがみんなが話していたブラジル音楽が好きでポルトガル語を勉強しているというシンジね、はじめまして」と言いながらサッと右手を出してきた。
私は「握手の時は身分が高い人の方が先に手を出す」という国際ルールをその時身を持って実感できたし、彼女の「お友達になりましょうね」という微笑みが何故かとても光栄に感じた。
たぶん彼女は私達一般日本人からは想像できないような豪邸で何不自由なく暮らしてきたんだろう。そして、彼女の周りにいた人達は「そんな上流階級の彼女と友達になれるなんてとても嬉しい」と自然と感じてしまうような環境の中でずっと彼女は生活していたんだな、とその瞬間に理解できた。
階級や身分って、政治的な制度、あるいは経済的な裏付けで決定されるものではなく、こうやって個人と個人の関係で築かれていくものなんだな、とその時私は学んだ。
これから書くことは、彼女にとってとても失礼なことだ。でも、このことを書かないと、この話しの核心に迫れない。
彼女は正直な話し、全然綺麗じゃなかった。思い切ってもっと正直に言うと、彼女はいわゆる「ブス」とカテゴライズされるようなルックスだった。
時々、日本国内ではあまり美人と思われるタイプではなくても、外国に行くとやたら男性にもててしまう日本人女性って存在する。本当に彼女には申し訳ないのだが、百歩譲っても彼女はそういうタイプでもなかった。
しかし彼女は自分がまるで絶世の美女であるかのように振る舞った。
そして私達男性スタッフも何故か不思議なことに彼女を美人として扱った。みんなが心の中で「あっかんべー」をしていた訳ではなく、本当に心の底から彼女を美人として接していた。
もしかして彼女は自分のことを本当は綺麗ではないと自覚していて、相当なコンプレックスを抱えていたのかもしれない。
あるいは、先日、民間人の男性と結婚して話題になったある極東のプリンセスのように、自分のことを客観的に見ることなんて出来ないくらい上流社会という閉じた世界で育ったのかもしれない。
あるいは、ブラジルならではの考え方で、「女性は常に自分が美人として振る舞うべきよ」という教育を小さい頃から受けてきたのかもしれない。
その辺の本当のところというのは結局わからずじまいだったが、彼女は常に美人として振る舞い、私達はそれに従った。
実際、私は彼女が美人であるかのように感じていた。例えば、私が彼女に何か冗談を言って、彼女がそれに微笑んでくれたとする。そんな時、私はまるですごい美人に笑ってもらえたかのような感覚で嬉しかった。→※
そして私は気付いた。美人の条件は本当に美人であることではなく、「美人として振る舞うこと」なんだと。
※男性は理解してくれると思うが、差別的な表現で本当に申し訳ないのだけれど、すごい美人が笑ってくれるのと、普通の女性が笑ってくれるのとでは、微妙に意味が違う。これは恋なんかとは関係はなく、社会的な制度の問題だと思う。