こんばんわ
さて、僕は発達障害者の状況、考え方など調べ。
それに対する健常者の意見なども聞き研究をしている。
そこには、僕のボケも入れ聞きだすこともある。
そこで、誰々がこのような行動なんだけれど「皆はどう思う?」などと率直に聞くのはアホ。
また、それに対して素直に答えるのはバカしか居ないのです。
だからこそ、リアルに聞くよりネットの方が聞きだしやすい。
なぜなら、サーバー所有者でしか特定出来ないネットでは、誰が書いたのか?通常の方は特定出来ず。
簡単に書き込みをし聞くことが出来るからね。
それにより、社会的不利益を考えなくなる。
その一方で、どのような事を言われようが個人としての社会的不利益には繋がらない。
しかし、ネットでも特定がつくようならば、社会的不利益に繋がってしまう。
これすら理解してない生物がネットを使い発言の自由だ!などとホザクのは片腹痛いし。
俺らは、本音を言っているだけなんだ!などとの正義づらは漫才としか思えない。
また、そのような漫才を本気にしている輩を嘲笑してしまう。
そこで僕は、こう言う奴を制裁することこそが正義だと思っている。
そこには、相手の人権もあるけれど僕はそう言う奴を人間とは思ってないから「種の権利(人の権利・人権)」とは考えない。
それを人権だと擁護すれば?
それは、その種の仲間でしかない。
なぜなら、地球上のそれぞれの種の生物全てが種の権利を持っているからこそ生きているからです。
逆に、種の権利が無いと考え、生きたことを考えて下さい。
あなたならどうしますか?
それは。。。
自暴自棄になる、躁鬱になる。など沢山のことが考えられますよね?
もちろん、このような種を見捨てることは人道的に許されない行為だよね。
そこで、聖書をご覧下さい。
それは、創世記のノアです。
6:7でエホバは「わたしは自分が創造した人を地の表からぬぐい去ろう。人から、家畜、動く生物、天の飛ぶ生物にいたるまで。わたしはこれらを造ったことでまさに悔やむからである」と言われた。
その後の6:13でエホバは「すべての肉なるものの終わりがわたしの前に到来した。彼らのゆえに地は暴虐で満ちているからである。いま、わたしは彼らを地と共に滅びに至らせる。」とノアに言ったのです。
そして、エホバは「6:14-16」でノアを助けるために箱舟を作らせた。
その箱舟に乗せ助ける生物は「6:19」あらゆる生物のうち、それぞれ二匹ずつ、それをノアに生きながらえさせるように命じた。
つまり、エホバにより悪しき生物は死に絶え。
地球上の生物は、ノアの一家とあらゆる種の生物のうち、それぞれ二匹ずつなんです。
そのノアは人間、遺伝子的にあらゆる生物を助けるという遺伝子が組み込まれていると言うことです。
だから、どのような生物も擁護をしてしまう。
そこで、先ほど書いた「6:13」です。
エホバは生物たちが「暴虐で満ちているから地と共に滅びに至らせたのです。」
それにも関わらず、現代は暴虐で満ち溢れている。
参考に→リンク:児童虐待に関する統計:STATISTICS ON CHILD ABUSE
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では何故、暴虐に満ちた遺伝子が存在するのでしょう?
それは、その暴虐な遺伝子もまた、ノアにも多少なりともあったと言うことですよね?
または、エホバが知らない場所に生きていた生物が居たのかも知れないし。
それが、現在までに交じり合い遺伝子に組み込まれているのかも知れない。
そこで「創世記6:20-29」です。
ノアは大洪水の後、農夫として暮らし、ぶどう園を作り、ぶどう酒を飲み始めた。
ノアは、それに酔い自分の天幕の中で身をあらわにした。
その姿を見たノアの息子でカナンの父ハムは、自分の二人の兄弟にそのことを告げた。(告げ口)
そして、セムとヤペテはマントを取り、それを自分たちの二人の肩に掛けて後ろ向きに入って行った。
こうして、二人は父の裸を覆ったが、そのさい顔を背けたままで父の裸を見なかった。
その後、酔いが醒めたノアは、告げ口をした息子を怒り。
「カナンの地はのろわれよ。自分の兄弟たちに対する最も卑しい奴隷となれ」と言った。」
章の全てを書いて無いけど、聖書を読み読解が出来ますか?
僕が読解すると。
ノアは、自分の権利のある場所で酒に酔い裸で寝ていた。
そこに、カナンの父ハムが覗きをした。
それを、兄弟に告げ口をしノアを笑い者にした。
しかし、聞いた兄弟は笑いもせず。
ノアを心配し裸を覆った。
「そのさい顔を背け父の裸を見なかった」と書かれているけれど。
これは、見て見ぬ振りをした。と言うことだと僕は思う。
そして、酔いが醒めたノアは、これらを知り、カナンの父ハムを怒り。
他の兄弟の奴隷となれと言われた。
どうですか?
ココで少し余談が入ります。
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現代の特別アジア地域にシンクロしていませんか?
それと冒頭の話し。
そして、CAIDS患者の行動。
どことなくシンクロしているでしょ?
そこで、冒頭は。↓
特定がつくようならば、社会的不利益に繋がってしまう。
これすら理解してない生物がネットを使い発言の自由だ!などとホザクのは片腹痛いし。
俺らは、本音を言っているだけなんだ!などとの正義づらは漫才としか思えない。
カナンの父ハムは、捏造であれ、事実であれ、兄弟たちに告げ口をした。
それは、ノアの権利ある場所。
けれど、カナンの父ハムは、言論の自由だ!と言い正義づらして、兄弟たちに告げ口をした。
と言う部分です。
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余談ココまで。
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では、話しの続きです。
つまり、その暴虐な遺伝子もまた、ノアにも多少なりともあったと言うことですよね?
なぜなら、カナンの父ハムは、ノアの子供なのですから。
要するに、エホバは地の全ての生物を無くそうと考えた。
しかし、ノアの心に見せられノアだけを擁護し助けてしまった。
もともと、エホバから「あらゆる生物を助けるという使命(遺伝子)」が、この時に作られているから。
全ての人類は、この遺伝子が多少なりあると言う事です。
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ここで「創世記6:7」まで話しを戻し話しを続けます。
その擁護を良いことに、その種が暴れ、その種が擁護を集ってくれば?
話しは別だよね?
それこそ、6:7の「わたしは自分が創造した人を地の表からぬぐい去ろう。人から、家畜、動く生物、天の飛ぶ生物にいたるまで。わたしはこれらを造ったことでまさに悔やむからである」の繰り返しであり。
応用で「わたしは自分が擁護した人を地の表からぬぐい去ろう。人から、家畜、動く生物、天の飛ぶ生物にいたるまで。わたしはこれらを造ったことでまさに悔やむからである」との解釈が出来ませんか?
そして、「創世記6:13」の言葉になるでしょ?
この後は続かない。
さて、僕の行動なども。
実際のところ誉められたものではない。
何故なら、イエスキリストの「右の頬を叩かれたら左の頬も出しなさい」と言う言葉であり。
例え、自分を傷つける相手でも、やり返すのではなく、赦しなさいと言うことば。
参考に→リンク:聖典の2つの意味。
まぁ、僕は聖書は歴史としての勉強で、人生の参考書として見ている。
しかし僕は、錬金術を学びたいから。
様々な研究をしなければならない。
そのため、色々な反応を見てしまう。
それには、色々と聞くことも重要。
そこで、僕はどのように聞くのか?
僕は、それを自身の行動として行い相手の反応を見る。
これは、研究の基礎的知識ですよね?
ただし、これをすれば相手は行動のような人物なのだと思い込んでしまう。
だから、無闇には行えないよね。
でも僕は、身内の輪だけで一生満足に暮らせるだけのものがあるから何ら困らない。
逆に、そう思うなら思えば良い。
しかし、そんな相手とは僕は付き合わない。
逆に、相手もそれでも良いと思っているから「立つ鳥後を濁さず」と言う現象にもなるから僕にとって都合が良い。
そこで、リンク→My thoughts, my ideas and writing.の僕の性格になるんです。
けれど、「立つ鳥後を濁さず」はCAIDS患者に至っては、この限りではない。
なぜなら、糞尿文化ゆえにハエやゴキブリのようにコソコソと鳥の糞が落ちて来るか餓死するまで巣くって来るからです。
自身の穴も拭かずにね。
つまり、患者はカナンの父ハムであり。
その遺伝子をもち集ってくるゴキブリ。
「立つ鳥後を濁さず」を出来ない生物としか見えないのです。
と言うところで、記事が長いから強制終了。
何れ書く記事につづくかも知れない。
ぢゃねー三(/^^)/