このブログ名物、「某・居酒屋マスターのお宝ソノシート・シリーズ」もいよいよ大詰め。その第14弾!
今回紹介するのは、泣く子も黙る、ご存知「巨人の星」。
この作品の名前を知らない人って、どれぐらいいるのだろう。
仮にアニメや漫画を見た事がなくても、「巨人の星」という作品名を知らない人は、あまりいないのではないだろうか。
それほど、大きな作品だ。
日本の漫画史上においても、アニメ史上においても、この作品に触れないで通り過ぎることは難しいだろう。
原作・梶原一騎、作画・川崎のぼるのコンビは、連載時、黄金コンビに思えた。
掲載は少年マガジン。
「巨人の星」が連載されてた頃の少年マガジンは、同時に「あしたのジョー」も連載されており、全盛時代だったと思う。
コミック版は、ウィキペディアによると「1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載」された。
アニメ版は、「1968年3月30日~1971年9月18日(全182話)」。
マガジンを発行してた講談社からは、定期的に「巨人の星」の総集編が刊行されており、私はそれを毎回買っていた。
なので単行本では持ってなかった。
小学校の頃の私は漫画家志望だったので、「巨人の星」の影響をモロに受けた野球漫画を自身でも描いていた。
確か・・ノートで9冊くらいまで描いたはずだ。
これは当時の級友に頼まれて、級友の提供したノートに描いてたので、1冊描きあげるたびに、その級友にあげていた。
今考えると、自分の用意したノートに描いておけば、今も手元にあったのに・・・なんて思うが、当時はノートを買うお金すら節約したかったし、また、級友に渡すことで自分の作品の読者になってもらえた。
自分の作品の読者がいる・いない・・の差は大きい。描いていて「はりあい」もある。
なので、その級友に渡すのに、あまり疑問は感じてなかったなあ。
先ほど「9冊まで描いた」と書いたが、その9冊で完結したわけではなかった。
なので尻切れトンボで終わってしまった思いがある。
ちなみに、この「9冊目」だけは、奇跡的にまだ我が家に残っている。
おそらく・・描き終わった後、渡しそびれたままで小学校を卒業してしまったせいだろう。
その級友とは同じ中学にあがったのだが、クラスが別々になり、だんだん疎遠になってしまった。
そのせいもある。
でもまあ、そのおかげで、かろうじて「9冊目」だけは今も我が家に残っている・・というわけだ。
その「私の描いた野球漫画」は、見れば見る程「巨人の星」そっくりである。
キャラ設定も価値観も。
それだけではない。
「巨人の星」での川崎のぼる先生は、各コマに描かれた「背景の細かさ」が特筆ものだった。
ともかく、細かいところまで描きこまれていた。
そんな点も、私は影響を受けた。
私も細かい背景まで描きこんでいたので、描きこみ過ぎで誌面が真っ黒になったりもしていた。
それほど、「巨人の星」には絶大なる影響を受けた。
今でも野球を見てて、投手の投げた球が、バッターの構えたバットに当たるとつい「あっ、大リーグボール1号だ!」などと反応してしまったりすることがあるし、アンダースローの投手を見ると、大リーグボール3号のように肘をピシッと壊してしまうのじゃないか・・と思ったりすることがある。
また、足を高くあげるフォームの投手を見ると、つい星飛雄馬を思い出してしまう。
これらは、「巨人の星」が私の頭に染み込んでいるからだろう。
「巨人の星」は野球漫画の金字塔的な評価をされてるが、実は「巨人の星」という野球漫画の物語の流れは、決して「野球漫画の元祖」ではなく、むしろそれまでの野球漫画のストーリーの流れを継承しており、王道をゆくものであった。
魔球なら「巨人の星」以前の野球漫画にも数多くでてきていたし(例えば「ちかいの魔球」「黒い秘密兵器」などなど)、主人公の投手が魔球の投げ過ぎで肩を壊して引退(失踪)・・ってのも、よくあるパターンだった。
また、主人公が投手で、宿命のライバルが打者として何人も出て来る・・というのもそうだ。
こういうパターンは、「巨人の星」の後も「侍ジャイアンツ」などに引き継がれている。
やはり、このストーリーの流れは、当時の野球漫画の王道だったのだ。
もっとも、やがては野球漫画では水島新司先生などが、「巨人の星」的な野球漫画のパターンから離れて、違う流れを作っていったのだが。
ともあれ「巨人の星」は、そういう作品を彩る様々な要素や終わり方などで、それまでの魔球漫画を踏襲していても、「巨人の星」ほど登場人物達の生き様や心理などを深く・・時には深刻に描いた野球漫画は、なかった。
それほど、「深い」野球漫画だった・・と言えるだろう。
当時、日本人が大リーガー(今でいう「メジャーリーガー」)に勝つためには、魔球でも使わないと勝てないような気がしてた。
だが、今では野茂投手をかわきりにたくさんの野球選手がメジャーに行って大活躍している。
今のこの状況は、「巨人の星」連載当時には考えられないことだった。
そういう意味では、今の日本の野球選手の状況やレベルは、「巨人の星」時代よりも上なのかもしれない。
もっとも、昔の日本のプロ野球選手の中にも、メジャーに行ってたら大活躍できた選手は何人もいたと思う。
もちろん、昔は日本のプロ野球選手は今よりも所属球団に縛られていたから、仮に誰かがメジャーに行きたいと言っても許してはもらえなかっただろうけどね。
また、当時は「メジャーでは通用しないだろう」という意識も選手間の中にもあっただろうし、ファンの中にもあった。
それが今や・・日本人は「消える魔球」を投げなくてもメジャーリーグで通用するようになった。
鉄バットで特訓しなくても、「見えないスイング」をしなくても、メジャーで通用するようになった。
大リーグボールというのは、当時の日本人がメジャーで通用するための「夢」であり「手段」であった。
そこには、いつか日本人もメジャーでプレイできるようになればいい・・という願いも込められていたようにも思う。
そんなことを考えれば、「いつかメジャーに追いつけ!」という「日本人の野球への思い」は今はある程度かなえられていることになる。
なんだか、感慨深い。
今「巨人の星」が連載されるなら「巨人の星」ではなく「メジャーの星」かもね。
メジャーリーガーを夢見る野球漫画は、すでに出て来ているし。
かつての「巨人」は、今は「メジャー」に取って代わられた・・・という感じがする。
今回紹介するのは、泣く子も黙る、ご存知「巨人の星」。
この作品の名前を知らない人って、どれぐらいいるのだろう。
仮にアニメや漫画を見た事がなくても、「巨人の星」という作品名を知らない人は、あまりいないのではないだろうか。
それほど、大きな作品だ。
日本の漫画史上においても、アニメ史上においても、この作品に触れないで通り過ぎることは難しいだろう。
原作・梶原一騎、作画・川崎のぼるのコンビは、連載時、黄金コンビに思えた。
掲載は少年マガジン。
「巨人の星」が連載されてた頃の少年マガジンは、同時に「あしたのジョー」も連載されており、全盛時代だったと思う。
コミック版は、ウィキペディアによると「1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載」された。
アニメ版は、「1968年3月30日~1971年9月18日(全182話)」。
マガジンを発行してた講談社からは、定期的に「巨人の星」の総集編が刊行されており、私はそれを毎回買っていた。
なので単行本では持ってなかった。
小学校の頃の私は漫画家志望だったので、「巨人の星」の影響をモロに受けた野球漫画を自身でも描いていた。
確か・・ノートで9冊くらいまで描いたはずだ。
これは当時の級友に頼まれて、級友の提供したノートに描いてたので、1冊描きあげるたびに、その級友にあげていた。
今考えると、自分の用意したノートに描いておけば、今も手元にあったのに・・・なんて思うが、当時はノートを買うお金すら節約したかったし、また、級友に渡すことで自分の作品の読者になってもらえた。
自分の作品の読者がいる・いない・・の差は大きい。描いていて「はりあい」もある。
なので、その級友に渡すのに、あまり疑問は感じてなかったなあ。
先ほど「9冊まで描いた」と書いたが、その9冊で完結したわけではなかった。
なので尻切れトンボで終わってしまった思いがある。
ちなみに、この「9冊目」だけは、奇跡的にまだ我が家に残っている。
おそらく・・描き終わった後、渡しそびれたままで小学校を卒業してしまったせいだろう。
その級友とは同じ中学にあがったのだが、クラスが別々になり、だんだん疎遠になってしまった。
そのせいもある。
でもまあ、そのおかげで、かろうじて「9冊目」だけは今も我が家に残っている・・というわけだ。
その「私の描いた野球漫画」は、見れば見る程「巨人の星」そっくりである。
キャラ設定も価値観も。
それだけではない。
「巨人の星」での川崎のぼる先生は、各コマに描かれた「背景の細かさ」が特筆ものだった。
ともかく、細かいところまで描きこまれていた。
そんな点も、私は影響を受けた。
私も細かい背景まで描きこんでいたので、描きこみ過ぎで誌面が真っ黒になったりもしていた。
それほど、「巨人の星」には絶大なる影響を受けた。
今でも野球を見てて、投手の投げた球が、バッターの構えたバットに当たるとつい「あっ、大リーグボール1号だ!」などと反応してしまったりすることがあるし、アンダースローの投手を見ると、大リーグボール3号のように肘をピシッと壊してしまうのじゃないか・・と思ったりすることがある。
また、足を高くあげるフォームの投手を見ると、つい星飛雄馬を思い出してしまう。
これらは、「巨人の星」が私の頭に染み込んでいるからだろう。
「巨人の星」は野球漫画の金字塔的な評価をされてるが、実は「巨人の星」という野球漫画の物語の流れは、決して「野球漫画の元祖」ではなく、むしろそれまでの野球漫画のストーリーの流れを継承しており、王道をゆくものであった。
魔球なら「巨人の星」以前の野球漫画にも数多くでてきていたし(例えば「ちかいの魔球」「黒い秘密兵器」などなど)、主人公の投手が魔球の投げ過ぎで肩を壊して引退(失踪)・・ってのも、よくあるパターンだった。
また、主人公が投手で、宿命のライバルが打者として何人も出て来る・・というのもそうだ。
こういうパターンは、「巨人の星」の後も「侍ジャイアンツ」などに引き継がれている。
やはり、このストーリーの流れは、当時の野球漫画の王道だったのだ。
もっとも、やがては野球漫画では水島新司先生などが、「巨人の星」的な野球漫画のパターンから離れて、違う流れを作っていったのだが。
ともあれ「巨人の星」は、そういう作品を彩る様々な要素や終わり方などで、それまでの魔球漫画を踏襲していても、「巨人の星」ほど登場人物達の生き様や心理などを深く・・時には深刻に描いた野球漫画は、なかった。
それほど、「深い」野球漫画だった・・と言えるだろう。
当時、日本人が大リーガー(今でいう「メジャーリーガー」)に勝つためには、魔球でも使わないと勝てないような気がしてた。
だが、今では野茂投手をかわきりにたくさんの野球選手がメジャーに行って大活躍している。
今のこの状況は、「巨人の星」連載当時には考えられないことだった。
そういう意味では、今の日本の野球選手の状況やレベルは、「巨人の星」時代よりも上なのかもしれない。
もっとも、昔の日本のプロ野球選手の中にも、メジャーに行ってたら大活躍できた選手は何人もいたと思う。
もちろん、昔は日本のプロ野球選手は今よりも所属球団に縛られていたから、仮に誰かがメジャーに行きたいと言っても許してはもらえなかっただろうけどね。
また、当時は「メジャーでは通用しないだろう」という意識も選手間の中にもあっただろうし、ファンの中にもあった。
それが今や・・日本人は「消える魔球」を投げなくてもメジャーリーグで通用するようになった。
鉄バットで特訓しなくても、「見えないスイング」をしなくても、メジャーで通用するようになった。
大リーグボールというのは、当時の日本人がメジャーで通用するための「夢」であり「手段」であった。
そこには、いつか日本人もメジャーでプレイできるようになればいい・・という願いも込められていたようにも思う。
そんなことを考えれば、「いつかメジャーに追いつけ!」という「日本人の野球への思い」は今はある程度かなえられていることになる。
なんだか、感慨深い。
今「巨人の星」が連載されるなら「巨人の星」ではなく「メジャーの星」かもね。
メジャーリーガーを夢見る野球漫画は、すでに出て来ているし。
かつての「巨人」は、今は「メジャー」に取って代わられた・・・という感じがする。