今日は、前アップ時より、ちょっと落葉。
うら淋しい、男性の頭髪のごとく。
かくいうわたし、女性も、だんだん髪が抜け、ウィッグにしようかと。
つけまつげの次は、ウィッグか。
では、もうしばらくすると、入れ歯、杖かな?
義眼、義肢までは、まだ少し時間がありそうだ。
先日参加した法要、(超高齢に比べて)(わたしを含む)比較的若い者たちが、重鎮の高齢者の皆さんを差し置いて、次々と奥から脚が悪い人のための椅子に座り、占領。
それは、本当に脚が悪いからなのだが、高齢者の皆さん、ちゃんと座布団に座っておられる。
「お年寄りを差し置いて、若い者が先に座って申し訳ないですね」と、隣の椅子に一番はじめに座っている、これまた超高齢ではない親戚に、こそっと言うと、
「脚が悪いのは、れっきとした障がい者なんですから、年の若い若くないは、関係ありません」と、きっぱり。
なるほど。
堂々としていたら良いのか。
なんだか、不思議な開き直りをしている、超高齢でもなく、若くもない我々、脚の悪いメンバーたち。
主催者も、座布団に座れない、わたしと同世代。
我々は、とっても中途半端なお年頃。
ちなみに、わたし、メガネ歴半世紀、コンタクトレンズ歴は、48年で、それだけは早かった。
だからといって、いいことは、全然ありませんが。
いただいたお歳暮、↓こういうのも癒される。
ただし、わたし、ガーデニング・オンチで、生物、長くて三カ月しか保たないのが、哀しい。
久しぶりの更新になってしまった。さぼりまくりマン。前回がちょうど一週間前ということで7日ぶりでございます。一週間なにがあったというわけではないが、なんとなく忙しかったのであろう。珍しく三連休はご飯やら映画やらで3日毎日、外に出ていた。もっても良かったが、偶然夜出かけることが多かったため、いい感じにゆっくり寝て、だらだらしてから支度して、夕方出かけて、夜日付が変わる前に帰ってきた老年黃斑病變。なかなか良い休日だった。ちなみに映画は『君の名は。』を見た。わたしも運命の出会いがまだまだワンチャンある気がしたので、独り身の人は見に行くと希望が湧きます。
今日も何を書こうか考えていたが、三連休の出来事を書いていたら出てきた言葉『支度して』について、思いついたので思い出を語ろう。夏休みも終わり、徐々に涼しくなってきたこの季節は、私にとって思い出の季節なのだ。
思い出の季節、と言ってもこの季節のことは本当に昨日のことのように思い出せる。大学4年の頃、今勤めている会社の採用試験が始まった5月末くらいから11月過ぎくらいまでのたった半年だけだが、毎週のように遊んでいた人がいた。一目ぼれだったと思う鋁窗。8月の夏休みの間はお互い実家に帰っていて会えず、再び会うようになったのがこの季節である。じめじめしている季節から、暑い季節を通り越し、徐々に涼しくなる季節にまた一緒にいる時間が増えた。この頃からだんだん寒くなってきていて、バイクで少し離れた本屋に一緒に行くとき、トンネルを超えた瞬間に気温が下がって二人で笑いながら寒い寒いと騒いだ。移動するときは、バイクが多くて、彼と会うときには決まって彼の家に行っていたのだが、彼の家の最寄り駅まで電車で行くと、バイクで迎えに来てくれていたのだ。
時々私、あした死んじゃってもいいかって言うような気持ちになるんだけれど、そのとき必ず
「あかーん!!!」って思う。
いや、そんな風に思っちゃじゃなくて、今突然死んだら、私がどのような保険に入ってるか、あの書類この書類がどこにあるのかって、きっと誰にも分からないと思うんです。
あー、死ぬ準備って大事だよなあって思うんです。
その準備がちゃんと普段からできている人は、いざと言う時にも未練なく心安らかにってなるかもしれませんが、私の場合は相当まずい状況です。
私に唐突なる悲劇が起きたとして、家族は最初は凄い悲しみに襲われると思うし嘆いてくれるとは思うんです。でもそのうちいろいろと遣るべき事務処理的な事が起きてきた時、イチイチあちらこちらをひっくり返しす姿が・・・・ああ・・・・。
それに時間が経って、もうあのおばさんのものは少し処分しようと、家族で物の整理を始めるとするでしょう・・・・・。
その時もあちらこちらからいろいろなものが出て来て、みんな疲れ果てちゃうと思うんです。
そしてそこで一言、みんなが言う。
「あの、ばばあ !!!」
残りの人生をいかに生きるかを模索するのも大事な事だけれど、そろそろ死ぬ準備をすることも大事な事だなと思います。それが出来ると言うのは体が動くと言うことで、「死」と言う言葉を使っても決してネガティブ発想ではないので安心してくださいね。
そうそう、昨日見たドラマはWOWOWのオンデマンドで「「刑事ヴァランダー」というもの。
海外サスペンスって、本当に面白いですよ。主役たちが人の死を悼み嘆き寄り添っているところも、普通の感覚で好きな所です。
夜の「家を売る女」も面白いですよね。「GO」って言いたくなります^^
私が小学生の頃住んでいた市営住宅は
戦後の住宅不足を解消するために 川原沿いの松林を切り開いて作ったもので
狭い庭にはたくさんの松の切り株があった
まだ私が3歳の頃だったから
何も分からずこの上に登って そしてreenex 效果
転がり落ちた
ヒッヒッヒーと緒大泣きしてから眼を開くと空が見え
まるでテレビ映画のワンシーンのように
四方からおばちゃんたちが私をのぞきこんでいた
後日近所の農家のおじいさんがきて
「嬢ちゃんが落ちたから 抜いてやるからな」
と庭にあった切り株を全部抜いてくれた
そのころは重機もないのだから
全部手掘りで 抜いていってくれた
子どもの記憶はだいたい9歳くらい前のものはほぼ忘れるものだと聞いたことがある
だが よほどショックなことは覚えているらしい
このことはまあ かなりショックだったらしく覚えているのだが
一番古い記憶といえるものは この家の前に住んだ家でのことreenex 效果
父の新しい勤務地の近くに 温泉町があった
そもそも家が無かったので そこに40日ほど仮住まいした
そこは温泉町だから 小さな貸間のようなものが多くあり
そのうちの続きの二間を借りた
一間ずつ貸していたものを合わせて貸してくれたのだろう
そこに入ったとき なんと便所の多い家だろう・・・
ここも便所 こっちにも便所・・・
とてつもなく便所のたくさんある家だと 思った
実際には二つきりなかったんだよと母は言っていたが
その家の記憶は便所しかないreenex 價錢
これが だいたい一番古い記憶だろう
それ以前は 曖昧模糊として 記憶のかなたである
もじもじとしか最初は口を開けなかった私が、よくもここまで神経図太く大きな口を開けるようになったものだ。ジャパニーズイングリッシュが恥ずかしいからと、日本人の前では英語を話したくなかった時もあった。でも、いつの頃からだろう。おそらくチリに言った後だと思う。これ以上上達する訳がないと開き直り、自分の話すジャパニーズイングリッシュを全く気にしなくなった。
10年前に住んでいたテキサス、ィカレッジではどのクラスもいつも一番前に座り、そして必ずと行って良いほど手をあげて質問をしていた。見知らぬ通りすがりの人に「あら、その帽子素敵ね!」なんて話しかけらたことにびっくりしていた私だったのに、気づけば自分がそうしている。バスに座れば横の人と話し、英語の世界にいることが苦にならないどころか、心地良さを感じるようにまでなっていた。
私はペストリーやパンを見ているのが大好きだ。それらのものを見ているだけで胸が躍るのだ。そして、その「美味しそうなもの」を誰かに手渡すことに喜びを感じる。だからベイカリーでの仕事は私にとって完璧な仕事だった。(←クリック)それならなぜ辞めたのだろう。辞めた時は、スケジュールの大変さだと思っていたが、もしかしたらそうでは無かったことに昨日気付いた。
人間は忘却の生き物だ。例外にもれずあれから数年も経ち、思い出すのは良いことばかりで、あの時どんなに大変だったかと言うことを忘れるようになっていた。そして、またベイカリーで働いてみたい、あの活気のある空気の中に身を置きたい、お客様と接したいと思う気持ちが募って来ていたのだった。でも何かを恐れている。それが何だか分からなかったが、昨日分かった。何を恐れているのか、それは、、
アメリカ人とのコミュニケーション
を恐れていたのだ。英語の世界にいることが苦にならなくなった私は英語の世界もいることが怖いのだ。