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社長様、かく語り記

東北のとある社長の名言・行動から、人としてあるべき姿を探していきたいと思います。

憎まれっ子 世にはばかる 後編 (全三話 ③)

2013-12-28 08:45:06 | 日記
お詫び…
風呂敷を広げ過ぎてしまい、まとまりのないままに終わりそうです。
あらかじめ お詫び申し上げておきます


さて、「鬱病」の正体とは?

解決に近づくためには、理解する所から始めなくてはいけませんね。

わたくし、23歳の頃に半年間ほど入院し、母親の付き添いを含めると1年以上に渡り、脳外科の病棟に居たので、亡くなっていく方々や そのご家族の様子を度々拝見しておりました。

そんな体験もあり「心」がどのような存在であるのか疑問に感じ…時間があれば感じ取ろうとしてまいりました。

色々な深い感情が、肉体の生命維持が終わるとともにこの世から消え去るとは到底思えなかったからです。

そんな状態で生きていましたので、青春を謳歌する若者と話が合うハズもなく、激しく暴れる自分の「心」と戦っていましたが、そんな自分を客観的に観察している自分も居たりして…まぁそのような自分の中の二面性自体とも戦うことも、かなり苦悩の一因となっていたんですけどね。

現時点の感触では、身体の中に「心」が居座っている特定の場所は存在せず、身体の機能自体は独立して活動出来る存在であるように捉えています。

「心」がそこになくとも生きている方は存在するように思いますから。

「心」と、脳内に蓄積された体験に基づいて形成された「感情」とは、相互干渉はあるでしょうが別物だとも考えております。


身体を動かす筋肉は、脳からの指示信号を受けて伸び縮みすることにより肉体を動かしておりますが、そこに心が介在せずとも、生命の維持活動に問題は生じないと考えている感じです。

と、いうかそのような肉体機関の方が多いかも。
ご飯を食べりゃ勝手に排泄までしてくれますからね。

「鬱病」が発現している状態は、身体のどの部分が機能低下を起こして身体の不調に繋がっているのか?
そこに「心」がどのように関わっているのか?


わたくしの知人がパニック発作を発症した場合、過呼吸や強い眩暈などが生じるそうです。

過呼吸は、息を吐き出せなくなり、そのため新たな空気を吸い込めず身体が酸欠に陥ってしまうので、かなりの恐怖心を感じるそうです。
と、言うか恐怖心により呼吸すら出来ない心境となっている状態にも見えますから、パニック発作の名前の通りなんですね。
(知人は小さなビニール袋を携行常備して、落ち着く術を身につけておりました。この状態、パニック状態の「身体」と冷静に対処する「心」を見ても、心と身体の分離を感じてしまうんですよね。)

眩暈については、医師からはメニエール症と診断されたようですが、耳内の三半規管が異常反応してしまうことにより、強い眩暈が生じているみたいです。


余談です
わたくしは23歳の入院時に両耳を手術しており、今後死ぬまで経過観察の必要があります。

耳管を切開したことにより耳垢が自動排出されなくなり、耳管に出来るカサブタを取ってもらう必要があるのです。
医師にピンセットで、ペリペリっと剥がしゴソゴソっと引っ張り出されますが、カサブタなんで繋がっていて、でかいヤツが出てきますので、脳みそを引っ張られているようにも感じます…

たまに治療中 消毒のために耳に冷たい薬液が入るんですが…
グ~ルグル… グ~ルグル
と、視界が横回りを始めます…
少しでも油断すると、嘔吐してしまいそうになりますなぁ。

わたくしは眩暈に強い方らしいので、まだ嘔吐したことはありません。

しかし、一度 耳管内に雑菌を繁殖させてしまい、冷たい薬液で耳管内を洗浄して頂いた時は、視界が100回くらい高速回転をして、治療後の1時間近く薬局の駐車場で休んでました…
少し車の運転をしただけで嘔吐しそうになりましたので…

先生さんよぉ~…
耳の中は暖かい薬液で洗おうぜ…
ベイべ~…
余談おわり…


メニエール症により感じる眩暈は、恐らく わたくしが治療中に感じている眩暈と似ているんだろうなぁ~と、勝手に解釈しておりますが、あれがずっと続くのは、さぞやツラいだろうなぁと、同情することしかできません。


さてパニック障害とは、
遺伝的なモノなのか?
後天的な要因によるモノで完治出来るモノなのか?
わたくしには判りませんので、医学の進歩を祈る他ありません。
(現状だと、抗躁鬱薬により症状を緩和しつつ、考え方を矯正していきながら症状を抑えていく方向の治療なのでしょうかねぇ。)


さて、鬱病の症状だけから見ると、
①脳細胞の神経回路自体が何らかの障害により、正常に信号伝達が行われていない。
②脳細胞は正常動作しているが、脳細胞と身体の各器官における信号伝達(相互?or片側?)に不具合が生じている。

こんな感じでしょうか?
いずれにせよ、無意識領域において働く機関が異常な動作を示しているのだですから、本来であれば「心」が影響を及ぼすことは難しいように思います。

けれども、良く聞く言葉が「心が病んでしまう…」このことから、鬱病が心のありようから誘引され発症すると、感じられている方が多いのでしょうかね?

鬱病の症状を読んでみますと、中学生の頃の自分自身は完璧に鬱病に当てはまりますが、わたくしは知っています。
わたくしがただ単にグウタラ人間であったことを。

自分の興味のあることは楽しく行なうが、「学校に行き勉強する」なんてことには心と身体が拒否反応を示す。

こんなのは、ただのワガママであります。

後にわたくしがグウタラであった一因を見つけましたので、自分自身の鬱症状についてはこのように確信しております。

グウタラの一因とは?それは慢性的な鼻詰まりです。

わたくし、高校1年生の冬になるまでまともに鼻をかんだことがなく、常に鼻が詰まっている子供でした。

それまでに何度も鼻をかもうと試みたのですが、鼻水が固かったせいか鼻をかむとすぐに耳がビィ~ンと痛くなり、かめずにいたのです。

初めて鼻をかんだ時…
いまだに光景を覚えていますが、冬場で鼻水がゆるくなっていて学校の寮に1人で居て暇だったこともあり、鼻水出そうだなぁ~と、ゆっくりゆっくり片方の鼻穴から息を出していると、ベロベロベロ~と、一気に鼻水が流れ出てきたのでした。
宿便であったためか、膿に似たような色合いでありましたねぇ…
大量の鼻膿が両鼻から出てきた後のスッキリ感たるや…
10年以上に渡った苦痛から解放された瞬間でしたねぇ…

その後ようやく勉強が楽しくなり始め、学力の向上が見られました。
(ホンマかいな…


今から10年位前でしょうか?
「子供の鼻詰まりは、集中力が欠落してしまうので、とても大事です。上手に鼻がかめるように練習をさせましょう。」
みたいな記事を目にして、ようやく小中学校時代のわたくしが勉強に身が入らなかった理由が判明したのでした。
(ホンマかいな…

と、言う訳でわたくしは鬱病ではなくて、集中力欠落によるグウタラ人間であったと理解出来たのでした。


鬱病と一括りにしてしまい、すぐに投薬治療を行なう儲け主義の医療って、いかがなモノなんだろう…と、思ってしまいます。


わたくしが昔から感じていたこと、
「肉体的暴力」と「精神的暴力」
この二つを平等に扱えないに法の無力さに対する不満があります。

目で見て判る、肉体的な暴力には刑事罰が下されるというのに、精神的なダメージを推し量る術はなかったのですから。
(いまだに、正確には判らないでしょう、ズルい人間ならば演じることが可能ですからね。)

最近でこそ
「◯◯ハラスメント」
なんて言葉で、「精神的暴力」に対する法整備も進んできましたが、結局のところ気弱な人間のことを救うまでには到れずにおります。

結局は…
自分の身は自分で守る。
子供の身は親が守ってやらねばならぬのが現状であります。


さて、
「憎まれっ子世に憚る」
の核心でございますが…

自然界における弱肉強食が、現代の人間社会においても存在していて、自由経済社会において大前提であるはずの弱者救済のお題目すら政治家さん(実体はお役人官僚様ね)の頭の中にはありません。

そんな訳ですから、ごく一般的な人々から憎まれるような「個性&才能豊かな方々」が、ドンドンと蔓延る社会となり、逆に心優しき人間は競争社会から弾き出されてしまうのでしょう。

かのお釈迦様の教えが、発祥の地インドからは駆逐されてしまい、当のインドは いまだカースト制度の呪縛から逃れられない状況と、似ているかも…
(知りもしないクセに、偉大なテーマを引き合いに出すんじゃない…


結論
世は常に弱肉強食である。
従って…

「弱い者よ、強くなれ!」
「弱い者よ、憎まれろ!」
「憎まれっ子に仲間入り」

が、ベストアンサーなのか?

それらがどうしても無理な場合、

「弱い者よ、逃げなさい」
「弱い者よ、帰る場所を探せ」
「勉強が全てだと勘違いするな」
「帰る場所は親許だけじゃない、安心出来る場所を見つける努力をしなさい」

これがモアベターアンサーですかね。
(小森のオバちゃまですな。)

「憎まれっ子」は、世に沢山居ますから、逃げて逃げて心を鍛えていきましょう。
(ここまで来ると大陸思想だなぁ、中国古典を学ばせるべきですな)

親・学校・警察・役所、どれも頼りにならずとも、ひとつは目を見て話せる相手を見つけよう!

誰かに頼って良いのだ。
それでいいのだ~。


最後に、これはお釈迦様の教えを学んでいる最中に感じたことです。
(日本で布教されている大乗仏教ではなく、小乗仏教の教えかな?)

「憎まれっ子が世にはばかる」その理由が、「憎まれっ子」は長生きさせられているからだと云う話です。
そんな訳で蔓延るのが当たり前なんすね。

仏教では現世にある間に布施を尽くし功徳を積めば、何の苦しみもない悟りの世界へと導いてもらえるそうです。

「憎まれっ子」の方々は、まだまだ布施が足りないので、長生きさせてもらい、布施を行なうチャンスを頂いていると云う訳です。

まぁでも間違いなく、生まれ変わっても再び人間として生まれ、業を背負って苦しみながら生きることとなるでしょう。

人間が「虫けら」と蔑む生き物の方が、「生」を純粋に全うしていて、わたくしは尊い生き物であると感じます。
(個人的にカマキリが一番魅力的で、お腹が膨らみ産卵に備えた身体付きのメスカマキリは眺めていると涙が…

世の中には病などで、
「あんなにいい人が、なんで早く死んでしまうのだろう…」
と、云うケースが多々あるかと思いますが、周りの人間が哀しむことなどはないのです。

その様な選ばれた方々は、現世での修行が無事に済んで、覚者となり極楽浄土へと導かれて行ったのですから、もう人間のような苦痛からは卒業です。

ですから、安心して見送りを済ませてあげることが肝要ですね。
「早く亡くなってしまい可哀想」だと思う感情が、本当は「自分の大切な存在が目の前から消えてしまい、自分自身の欲望が満たされないことが可哀想」なのだと云う真実に気付くことが出来れば、苦痛からは解放されます。

この世(現世)は、業に満ちた苦しみの世界です、苦しみの中で修行を積むために生きていると感じてみて下さい。

死んであの世に行くよりも、現世が良いと思いこむのは、傲慢な人間の勘違いであると、わたくしは思い至りました。

「死」を恐れる心は誰にでも少しはあると思いますが、大概の方はすぐに生まれ変わり再びこの世に生を受けますから心配ありませんよ。

特に自死を選ばれた方は、すぐに生まれ変わってしまい同じ苦痛と戦うこととなりますから、自らがその苦痛の輪廻の輪を断ち切る努力が必要なようです。
頑張って下さい。


しかし、長生きしていると言うのに、周囲に対して布施をせずに来世も人間に生まれ変わってしまう自分を憂いた方が良いでしょう。

日々誰かに布施を行なう心得、これがあれば心安らかに過ごすことが出来、憎まれっ子を哀れむ気持ちが芽生えますので、受けるストレスも皆無となること間違いなしです。

結論
世に憚る憎まれっ子を哀れみ、話だけ聞いてあげよう。
ただし助力の必要はありません、手伝うことは憎まれっ子ご本人の成長を妨げる迷惑行為です。
道を指し示すことが、最大の布施であります。

おわり
え~取り敢えず公開しましたが、逐一修正を加えてまいりますので、本日はこの辺でお許し頂きたいと思います。

憎まれっ子 世にはばかる 中篇(全三話②)

2013-12-19 16:02:21 | 日記
さて、間が空いてしまいましたが、前回より引き続き、
「憎まれっ子 世にはばかる」
で、ございます。

わたくしの勝手な想像です!
と、お断りしつつ…
「憎まれっ子」に属するような方々って云う存在は、『鬱病』とは無縁であろうなぁと、確信しております。

何故ならば、「鬱病」に罹患出来る方は、
生真面目で心優しいこと
これが、絶対必須条件であると個人的に断定しているからです。


わたくしの単純なる思考では、
「鬱病」
を患ってしまうような方々は、言いたいことを我慢してしまい、俗に云うところの
「ストレス」
を、体内に蓄積してしまうのが得意技であるように感じます。
(そもそも「ストレス」の正体?仕組み?とは、一体いかようなモノなのでしょうねぇ…
この辺は「心」のあり様と密接に関連していると考えておりますので、また後日に…)

わたくし自身がそうなのですが、
まず第一に
「思ったことを飲み込んでしまい、なかなか言葉に出来ない」
こんなことが多々あります。
(お断り…残念ながら わたくし自身は鬱病には罹患しません、全くもって素養を満たしておりませんから~っ…切腹…)

さて、ここが難しい…
何故、思いや考えを口にせずに飲み込んでしまうのか?

①自身の感情を言語に変換して表現する行為が不得手。

②自身の考え方が正しいか自信が持てないため、口にするのが憚られる。

③相手の感情を慮る気持ちが先に立ち、言葉にしてしまう行為を躊躇する。

④相手の見方・出方を観察する為に、あえて発言を控える習性がある。

わたくしが思い付くのは、これくらいでしょうか。


簡単に言いますと、
・他人を思いやる気持ちが強い
・図々しい行為が苦手
・不言実行するタイプ
・何事も生真面目に取り組むタイプ
・ズルい人間なんで考えを明かさず
(ラストは、可能性のひとつとして)

まぁそんな感じで、周囲への気遣いを続けているウチに、処理しきれない感情を己の体内に蓄積してしまい、心が疲れて そのうちに病に罹ってしまい、身体がうまく制御出来なくなってしまう状態ではなかろうか?と、現時点では考えています。

先日NHKの番組で「鬱病」を題材に放送しておりましたが、これまでのわたくしの妄想と異なりかなり科学的な説明をしておりましたので、今後統合的に思考していきたいなぁ…と、思いました。

さて一方、社長様に代表されるような、
「思い付いたことは、言わなきゃ損だろ!」
みたいな、「他人への配慮」のような、自分にとっては何の益も生まない行為については無用と考え、常に自分だけは損をしないように立ち回るゲスな生物の場合、己を不快にさせる感情が生じますとすぐさま周囲へと吐きつけます。

ですから蓄積されるストレスなんざぁありゃ~しねぇだろうなっと、確信しておりました。
(生物界の下位に属する単細胞生物に似たりって書くと、単細胞生物に対して申し訳ないか…)

まぁそんな生き方をしてるから、日々他人の悪態をつくことが日課となり、特別意識しなくともリフレッシュ?デトックス?が自然体で出来ているのでしょうねぇ~ウラヤマピ~

そんな生物が、
「鬱病」
のような高尚な病を発症することは永遠にありえないでしょう。
(人間より肉食獣に近いのか?)

前回紹介しました、病院を転々として鬱病と診断してくれるヤブ医者を探し出し、抗鬱薬を処方されて喜んでいたOさんも そんな感じのお方です。

何事も自分の意思で決めて行動出来るお方が、そうそう「鬱病」にはならぬでしょう。

Oさんの場合、「鬱病」ではなく、
日々子育てに忙殺され…
ご主人からは相手にされず…
等々の理由から、気分が晴れずにいたため、かまってちゃん状態だったんだな~と、感じたのでした。

自分の思い通りには、なかなかことが運ばず…不愉快で気分が乗らないことを「鬱病」と、勘違いなさっていたのでしょう。

度々ご相談を承った中でのアピールの内容が…

「独立起業した主人が、前の会社から邪魔をされる。」
(前の会社の顧客へ営業をかけたら当たり前ですけど…)
とか…
「義妹が不倫していておかしい!」
(羨ましがってるように聞こえるんだが…)
とか…
「私が薬を飲んでいても、周りが全然 気を使ってくれない…」
(典型的な、かまってちゃん?…)
とか…
「旦那がインターネットばかりで、自分の相手をしてくれない…」
(わたくしには何ともなりませんけど…)
な~んてことを相談されたのですが、こんなことは…ねぇ…鬱じゃないっしょ…

まぁハナから偽りだなぁ…と、感じた訳ではなく、その後の展開を観察している最中に、昆虫が自分自身を守るために行なう「擬態」に似ているなぁと感じ、その後でやはり…「擬態」だな…と、確信に至った訳ですけど。

元々若い頃から甘え上手なタイプだったのかしらん?

さて、このような見方をしていきますと、鬱の元と成り得るストレス源には、前々回で紹介しました「怪獣」の存在が大きく関わっているケースが多いんじゃなかろうか?と、無理矢理こじつけてみます。
(結局そこ~?みたいな…)

言わなきゃ損々と、思い付いた悪態を、次から次と何の配慮もなく口から吐き出す怪獣たち。

口から放射能を吐いて、町を破壊するゴジラに似たり…

逆に、他人を思いやれるような鋭敏なる感受能力により、怪獣たちの戯言すら まともに受け止めてしまい、自分の中に理不尽難解な問題として抱え込んでしまう優しい人間たち…

ストレス蓄積を継続することにより、溜め込んだストレスが心を傷付けていき、身体の変調を促進し、限界を越えると鬱を発症してしまう…

と云う、構図があるんではなかろうかなぁ…と、思っているのです。

怪獣たちの自己中心思考に基づいた会話って、聞いているとウルトラマンや遠山の金さんを呼びたくなるんすよね~

わたくし
「こんなトコに自分勝手でワガママな悪人たちが居るんですよ~」
金さん
「なぁ~にぃ~」
みたいな…

前にも書きましたNHKの「鬱病」に関する番組中では、ストレスを感じると脳からある種のホルモンが分泌され、脳内の信号伝達の神経が分断されて身体の働きに関する信号伝達が阻害されてしまい、その結果 鬱病と診断されるような行動障害に繋がっていると、話しておりました。

科学的に捉えると、そのようになるみたいですけど、それでいいのかなぁ~。


まぁ長くなりましたので、本日はこの辺でやめておきます。

次回は、どのようにすれば良いのか考えていきたいなぁと思います。

ありがとうございました

憎まれっ子 世にはばかる 前篇(全三話①)

2013-11-27 08:55:06 | 日記
「憎まれっ子 世にはばかる」
このような諺がございますね。

この諺の解釈、近年では色々とバリエーションが増えているようにも思いますが、わたくしの体験談に基づいた考えをテーマにして書いてみます。


まずは…
「憎まれっ子」
とは、どのような存在なのでしょう。

特に調べもせずにイメージのみで簡単に書きますと、
「周りから嫌われる自己中心的な振る舞いが、とても得意な方」
で、あるかと思いますので、

・己れの考え方に自信満々である
・従って他人の意見には興味なし
・物事の判断基準は損得が最優先

まぁだいたい、このようなお方であると捉えております。

こんなタイプの方々に共通する特徴としては、
「頭に浮かんだ考えが凄まじいスピードで言語へ変換されて、なんの配慮も介在することなく口から吐き出されてしまう。」
こんなところではないでしょうかね。

昔から言うところの、
「口は災いの元」
この種を撒き散らすことに、日々たゆまぬ努力を継続した賜物であろうと、尊敬すらしてしまう次第であります。

ま、こんな無神経な生きものは嫌われて当然なんですが、世の中には案外多いもんですねぇ。

世間話を始めると他人の悪口ばかり口にする方も、この部類に入れてさしあげます。
(時代の転換点としては、学生たちが自由を獲得し始めた頃より、
「自由イコール何しても良い」
だと勘違いする大馬鹿が増えたと感じます。
本来であれば、
「自由イコール自己責任」
なんですがねぇ…
私見ですが少なくとも、学生の間は大人が導いてあげる必要性を痛感しております。
自立心が高邁な特別優れた お子様を除いては、子供時代を純粋に楽しく過ごさせてあげたい訳ですね。)


さて、わたくしが考える
「憎まれっ子」はこんな感じでありますが、いかがでしょうか?


さて、話を急に変えてしまいますが、
「鬱病」の患者さんの総数が増えてきていることが、度々トピックスに取り上げられているように感じます。
(記事を読む限りだと、不景気により社会が不安定であることを強調したいが為に取り上げているだけで、病に対する問題解決を望んでいる内容ではないかも…)

「鬱病」の定義となるところ…わたくしは良く存じませんが、医師が鬱病と認定して、どっかの機関に報告され、集計された人数+αが患者数なんだろうなぁと思っております。

この現象の反面として、ここ2~3ヶ月以内に見た記事では、抗鬱薬を処方するために鬱病と認定しているケースが多々あり、明らかに過剰服用の案件が多いと、警鐘を鳴らしておりましたが、わたくしも同感です。

わたくし、社長様の会社在籍中に
「鬱病」と近い病を患っている方2名と接する機会がありました。

その時に感じたのは、世に「鬱病」と診断されている患者の中でも、真性の「鬱病」患者は少ないのではなかろうか?との疑念です。

「病は気から」ではありませんが、わたくしから見て1名の方は明らかに「鬱病」ではありませんでしたし、あなたは「鬱病」にはならない性格でしょ?と、感じていたからです。

その方(Oさんとします)には「相談がある」と称して何度か呼び出され お話を伺ったのですが、自分で鬱病だと判断して病院で受診したものの…
「あなたは鬱病ではありませんよ。」
と、診断されて…
また違う病院へ行き受診…
またまた違う病院へ行き受診…
これを繰り返していたそうです。

「鬱病」に関しては、全く素養の無い内科医を訪ね、ようやく
「鬱病」
と、認定してもらい、お薬を処方して頂き抗鬱剤を服用なされていたのでした。
(全く素養の無い内科医様ですが、わたくしも存じ上げている方で、社長様のご友人です。
「トモダチ」じゃありませんよ、本当のご友人ですから たかが知れております。
診察は普段着で行ないますし、己れのバンドライブに薬材の営業マン他 弱い立場の人間を呼びつけては、自費出版のCDを売り付けてご満悦な、全く高邁な意志の無い、医師としての素養が欠落したヤクザなヤブ医者でございます…)

さて、このOさん…
「鬱病」と認定され、嬉々として処方されたお薬を飲んでいらっしゃいましたが、おかげさまで「躁鬱」のお薬の恐ろしさを目の当たりにさせて頂きました。

健康な人間でも、薬を服用する事により、逆に激しい躁鬱状態が現出してしまい、常軌を逸する行動に及んでおりましたので、健常者が服用するべきモノではないのだなぁ~と、実際に学ばせて頂いたのでありました。
(作業中、急にケケケケケと笑い出したり…
トイレに長時間籠って出てこなかったり…
薬の服用を知らない頃から、最近Oさん変だなぁと、感じておりました。)

結局のところOさんみたいな方の場合は、「鬱病」アピールすることにより、自分に対する注目を集めたい…との意志が感じられるわけで、正直関わり合いにはなりたくないなぁ…と、思いました。

ですので、わたくしからは特別な処方箋をお出しして、薬を断ち切らせることに成功いたしました。
え~どのような処方箋なのこは内緒です
わたくし、硬軟両面の薬を存じておりますので、この方には社会の恐ろしさを耳打ちした程度でございます


さて もうお一人(Yさん)は、若干「鬱病」とは異なるのですが、
「パニック障害」による様々な症状と、わたくしの眼前にて闘っておられた方です。

症状が現れたのは、仕事の最中に急に過呼吸を起こしたのが始まりでした。

ご本人含め、誰もがその後 長い闘いになるとは想像も出来ませんでした。
そのくらい、元気一杯に見えていた若者でした。

Yさんの性格、わたくしから評するにいたって真面目な心配性、発病当時は20歳そこそこの女性でした。。

若くして将来の年金を心配し、
派遣社員を潰そうとする正社員…
同じ派遣社員でありながら、Yさんたちを貶めようとする同僚…
こんな人間たちが大手を振って存在しているこの世の不条理を怒り、逆らうことの出来ない時代に負けぬようにとガムシャラでありました。

Yさんは ご自身の病状(過呼吸・めまい・鬱症状)に関しても貪欲に学び、思考回路を変えようと努力もしているのですが、なかなか脱する事が出来ずに今現在に至り、そんな中でも三人の子育てをしながら病状と闘っている日々であるようです。
(本当に幼い頃に母親とは病気により死別しており、母親の記憶がなく 心の中のかなり深い部分に誰にも埋めようのない感情の存在を感じました。)

発病後の約1年間ほど、毎週メールをやりとりして、月に一度くらい電話かけて話しを聞いていた感じでした。

こちらからどうこうした方が良いと指摘するのは、難しい問題でしたね。

昨年くらいに、地元から現在お住まいの地域(関東圏)に移り住み、前の病院から紹介状を出してもらって新しい病院で受診したところ…

新しい医師
「あの~あなたさぁ、薬飲み過ぎだね。
このままだと、本当の薬物中毒になるよ。」
「ホラ、紹介状には『薬物中毒患者』と、書かれているよ。」

と、教えてもらったそうです。

『薬物中毒患者』…
この文字を見て、Yさんは愕然としたそうです。

病が始まった当初より、薬の名前を調べて効力について勉強していて、当時服用していた薬が強いことは充分に認識していたそうです。

しかし、前の医師から医療方針として勧められていたので、薬のせいで多少具合いが悪くなろうとも、我慢して服用を続けていたのでした。

ですから…Yさんからすると、薬を出していたお前が「薬物中毒」とか言うな!って話です。

恐らく前の医師は…
Yさんの根本治療を目指していた訳ではなく、薬代を稼いでいたのかなぁ~と、勘繰ってしまう訳ですね。

このような病の場合、患者と医師との信頼関係がとても重要な治療の要素となりますから、単刀直入に言ってヤブ医者でありますわな。

さて、新しい医師は…
「どおしますか?同じ薬を飲み続けますか?それとも?」

Yさんは、ここに至り躊躇うことなくこの医師を信じて、薬を軽いモノに変えてもらい、出来るだけ薬に頼らず生活出来るように切り替え、今現在も子育てと共に病いと格闘を続けているのです。


さて、何故このように「鬱病」の話を持ち出したのか?

そこについては次回に回させて頂き、本日はこれにて失礼致します。

社訓の合唱 その2

2013-11-20 15:31:18 | 日記
大変ご無沙汰致しておりました、気が付けば2ヶ月も過ぎていたのですねぇ~

わたくし、先日まで とある講習会を受講させて頂いておりました。

そのお話しの中で、ひじょうに印象的と云うか、そんな見方もあるのかっ!と、驚いた教えがございましたので、この場で紹介させて頂きます。

この講習会の講師様は、欧州や中国に海外工場がある会社にお勤めだった方で、海外工場における社長を務めた経験もおありでした。

まぁどっかの社長様とは比すべきところのないような お方でございます。

そんな講師様が講義の中で余談として紹介してくれたのが、これまでに国内から海外かけて沢山の企業を訪問して感じたこと、「企業理念」や「社是・社訓」についての持論でございました。

わたくしは、お話しを伺っていて、
「目から鱗が落ちるとはこのことかっ!」
と、全く以て今まで考えついたこともない眺め方でしたので、ホトホト感服仕りました


講師様曰わく…

「良く社是や社訓なんてのを、恭しく派手な額縁に入れて会社の壁に飾り付けて、工場見学の最中に、
『これが弊社の社是でございます…』
なぁ~んて自慢してる重役が居るけどさぁ、馬鹿言うなよって思いますね!」

えっどう云うことかなぁ?ハテナ…?

「これまでに色んな会社を見てきたけど、あんなものは会社で出来ていないからこそ わざわざ従業員に見せつけて
『お前らちゃんとやれよっ!』
と、宣言している訳で、逆に言えば
『弊社ではこのようなことができておりません』
って、世間様に対して公表しているようなもんだわな。」

うおぉ~ナットク…

「そもそも、品質第一や誠実・勤勉・礼節…馬鹿言ってんじゃないよ。
この程度のことは、一々書かなくともやって当たり前でしょ?」

「まぁどこの会社でも たいそう立派な言葉を並べてるけども、額縁に入れて客人に見せて自慢するようなもんじゃあないね!」

「逆に社訓がこの程度のレベルなんです…
と、恥じ入るくらいじゃないとダメだわな!」

ザッと書きますと、こんな感じでした。

確かに…「企業理念」なんてのは、従業員行動規範の目標とするところを書いてあるのでしょうから、その通りかも…


好奇心旺盛なわたくしは、帰宅して早速いろんな会社の「社是・社訓」を探してみました。

教えの通りに見方を変えて、改めて読んでみますと…
「えっこんなの当たり前じゃん?出来てない訳?」
と、思わず吹き出してしまう作品が沢山見つかりました。

「我が社は従業員の幸せを第一に考え…」
なんてのは 良く見かけましたが、そんな会社に限ってブラック認定企業だったりしますね。
従業員を大切に思う余りに、厳しく接してしまうのかしらん…?
なぁ~んて、思っちまいますね。
お前はライオンかっ!これは寅

また、白斑問題で評判となった某化粧品メーカーでは、
「美しさの先に、笑顔を。」
なぁ~んて、言葉を 企業の使命 として、いまだにホームページに掲載しておりますが、被害に会われた方が目にしたらば どのように感じるか、考えていないんでしょうか?

少々毒を吐きますれば…
「美しさを求める先に、絶望を。」
が、現状でございます。

まだ隠忍自重すべき時節では?
被害者の治療が済んでから、能書きを垂れるべきじゃあございませぬか?ん?どだ?コノコノ


わたくしが過去 実際に出入りし、社内の実情を拝見してきた会社の社是なんかも眺めてみましたが、なかなかのもんでした。

社是
「創意みなぎる技術を集結し、
未来の夢へと挑んでいきます。」
(みたいな感じです)

そこの会社の実態は?
「設計はお客様に任せ、部品を集めて製作するのみ」
(そこに創意はあるのかい?)

「作業員は、薄給のため将来の夢を描けぬ若い派遣社員ばかりをこき使い…」

「そんな若人たちから詐取して恥じることのない、無能なる管理者たちが多勢いるよ~…管理者多過ぎ…」
(まさか…定年後の夢に挑戦てか?)

なんか年金の構図を見ているみたい…
いやはや…
すでに笑えねぇ…

役職者たちは、外車やレクサスを平気なツラして乗り回し…
その役職者たちの収入を支える若人たちは、飾りっ気のない軽自動車に乗り…
(あっでも、たま~に元気なハイソ系の方はおりますよ~

ま、こんな会社は当たり前のように沢山ありますねぇ~…
どんだけ恥知らずが多いんだろ…

以前に伺った関東圏内T県のある工場では、エンブレムを全て金色に交換した成金仕様セルシオが、これ見よがしに駐車場に数台停められ、その工場の中はと言いますと、外国語が飛び交っている…そんな会社もございました。

日本人の人件費では贅沢が出来なくなり、東南アジアから大量に雇い入れて己の贅沢を維持していらっしゃる社長さんでしたね

そこは会社の名前すら忘れたので社是を見ることはかないませんが、見てみたかったな…

ぜひ皆様も自分の会社の理念やら社是やらを見直して見るコトをお勧め致します。

経営者の人間的な厚みを計る指標とすることが出来るハズですよ。
プププ

「てめぇの話は嘘ばっかりだな!」
と、社長様と同じセリフが頭に浮かんだ方は、教えて頂けると大変参考になりますので、ぜひよろしくお願い致します


さて~当ブログの主役たる社長様の社訓を見直すとしますか…

「会社とは、人が作り」
「また人は、心が作る」

ん~深い…
ようで浅い…
改めて読みますと、遠浅の海を眺めているような気分に浸れました…
はぁ…絶景ナリヤ…

さて、「会社を作る人」は誰なんだろう…
数々の、従業員・お客様・仕入先の問屋さん…
などなどに、アホさ加減に愛想を尽かされ呆れられ、沢山の人が去って行き、その都度 口から出るのは負け惜しみのみ。
ま、会社は社長様 お一人で作っているとして終わり。
(ところでアンタ人なのかい?

次に、「人とは心である」と言いながら、心よりも大切なモノ「拝金主義」が隙あらば前面に出てしまい、いつも自分だけは損をしないようにと、せこく立ち回っているのがミエミエな社長様…

度々…
「誠意ってなんじゃろうね!」
と、菅原文太さんに質問させてみたくなりましたね。

「心」を大事と仰るならば、万民に対する愛情を指し示すべきじゃね?

己の損得で物事を判断している時点で、「心」よりも「我欲」が勝っていることは明らかな訳で、

「会社は俺が作り」
「俺は我欲で作られている」

これが、実態かな?

ご立派な社訓を達成することは…到底無理だろうねぇ~


あっそうそう、社長様ご自慢の社訓を納めた額縁ですが、震災時に壁から落ちてガラスが木っ端微塵となり、社長夫人様に
「そんなの壁に掛けておくから、こうなったんでしょ!」
と、お叱りを受けていたのはウケました。
社長様ションボリ…

しかし、毎朝こんな小っ恥ずかしい社訓を合唱させて…
嬉しいんかなぁ?従属させてる感が堪らないのかしらん

鼻息荒い わたくしとしては、そんな下らん社訓よりも、社長様の経営者としての ありがたいお言葉や意気込みが聞きたかったんですが、たまに朝礼で話す内容はと云うと、前日のスポーツのことばかり…
(教養あんのか~オメ~はよ~)

まぁ、経営者としては なぁ~んにも考えてねぇ~んだろうな~

人生において師と仰げるような、ためになる話なんか、一切聞かされたことねえもんな~


終わりに…
今後、起業を目指す方がおりましたならば、この「社是・社訓」の読み解き方を参考にして頂き、他人から嘲笑されることのないような、身の丈に合った
「社是・社訓」
を、作られますように…

そして社是なんてモノは決して自慢なさらずに、
「目標に掲げ、その達成に向けて努力しているんだ!」
との意識だけは決してお忘れにならぬこと、これをお薦めして、本日は お別れとさせて頂きます

怪獣育成のコツ 後編の完結(全四話④)

2013-09-20 16:43:25 | 日記

さて、長々と続けてしまいましたが、今回こそは社長様の怪獣育成のコツが那辺にあるのか迫ってみたい…
さて、どこなのかな~?


では、必須であろう素養より…

その一
「この世で一番偉いのは自分。」

この自負、これを隠さぬ事。

その為の日課として、
「事あらば他人の批判」
を吐き出して、その姿を部下の面々に見せつける。

するってぇと、従業員一同もこれが当たり前となり、頭がおかしいのは相手(お客様?…)であると云う感じに洗脳が完了、これが社風となります。

ま、社長様にとっては、これを真似た下僕達が社長様に逆らうようになるのは想定外で~す
弱過ぎ~…

しかし、世の中には意味なく威張り口調で虚勢を張りたがる「えばりんぼう」な方々が、呆れる位に沢山いらっしゃいますね~。

大別すると2種類位かな?

①物事を理解した上で、周りの動きの遅さに対してイライラしてしまうお方…
もしくは私がやらねば!的な人間で、ツイツイ厳しい口調となり、まぁ良く言えば勘違いされてしまうような能力の高いお方。

②物事を理解出来ないからこそ、己の能力が低レベルである事にすら気付かずに、
「物事は長くやってる人間が偉い」
とばかりに、全く論拠の無いトコにすがりついて威張り口調で話すヤツ。

町内会に進んで入ってるような体育会系に多いかな~と、勝手な憶測…

特徴
あわよくば、人を呼び捨てにしたがり、立場的に上に立つ機会を伺っている。
一度呼び捨てが始まると、ドンドン高圧的に変身するので、要注意

偉そうな上司には、なんら恥じる事なく媚びまくり、その腹いせ?と思われる程に部下に当たり散らす…

まぁ、わたくしはこのような方々がすこぶる苦手なので、関わらないように心掛けております。

向こうもわたくしが発するオーラを感じ取り、近寄ってきません

大人になったら年下にでも敬称を忘れないようにしよう!

年下と判った途端に呼び捨てする様な下らない人間にはなりませぬように



その二
「自分の過ちは認めない。」

本ブログでも度々ご紹介しましたが、この行為は外せません。

良く言う所の、
「言った言わないの議論」
なんぞ不毛で不要な訳であります。

人間であれば自らが「過ち」をおかした…と気付けば、同じ行為を繰り返さぬように工夫をするものです。

しかし「怪獣」は過ちを犯す以前に、
「いかにして責任を回避するか?」
と云う、難題を察知する嗅覚が人間より長けております。

ですから結局は、全ての責任を他人に転嫁する事に注力致します。
(何故、嫁の字を当てるんだろう…?)

その様な訳で、改めるべき
「過ち」
なんぞはこの世に存在しないのであります。

そもそも「怪獣」は、脳内に自分の発言を記憶する領域を確保しておりませんから、その度に都合良く意見を変えても恥じる事も出来ません。

ですから、「過ち」に気付かない、ここは間違いありません!

なんで傍観して…観察するのは面白くもあります。

さて、この辺りも部下はシッカリと見ており、あわよくば見習う機会を伺っておりますよ~


その三
「自分の無能さを自覚しない。」

これも重要な能力です。

わたくしがこれまでに接してきた「怪獣」たる方々は、薄々…
「自分って仕事出来ないのか?…」
と、たまに動揺している素振りが見られました。

しかし、そこを相手に気取られてはなるまいとばかりに、立場が危うくなる前に居丈高な態度に豹変…ガオ~
若しくは突っ込まれる前に面倒を他人に押し付けてしまい、気付かれないように強硬な態度をとりますガオ~

この辺の間の取り方や空気を読み取る才能は、卓越していると感心します。
(わたくしは構わず返り討ちにしますので、良く嫌われます。)

この辺に至りますと、「怪獣」同志が互いにけなし合う光景も見られまして、内ゲバの様相を呈してまいります。

ん~おもせ~


その四
「自分の感性を大切に」

相手の気持ちを慮る事はありません。

自分の感性が第一です。

自分が
「嫌だな…やりたくねぇ…」
と、感じるモノは全て他人に預けます。

そして、そこに付随する責任も一緒に預けちゃいます。

「怪獣」達にとって、「責任」こそが一番関わりたくない部分だからであります。
(簡単に言えば、無責任なんすね~

そんな社長様を皆が見習い始め、嫌な作業は新人任せ、責任も新人任せの社内体制が堅牢に構築されてまいります。

わたくしのように出来た人間は、相手に申し訳なくて、なかなか預ける事が出来ません…
(なんちゃってナハナハ…

また、自分のつまらぬ価値観を他人に押し付けるので、自然体のままで頑張る人間からモチベーションを奪い去ります。

クタクタになり、
「自分頑張ったな~!」
なぁ~んて、本人が浸っている所へわざわざ近寄り…

社長様
「何やってんだそれ?」

と、聞き…内容はろくに聞かずに知ったかぶりをかまし…
「そんな事はやらなくていい」
「あぁ簡単だよな、そんなの」

と、他人が苦労の末に到達した事柄に対して、自分なら簡単に出来るよアピールをなさるので、より大きな脱力感を堪能する事となります。

「あんなヤツの為に頑張るのは止めよう…」

と、その都度 思わされる訳ですが、わたくしみたいな善人は懲りずに頑張ってしまう訳ですね~
(ジョウダンデスヨ…


そろそろ、まとめに…

仕事をやっていて…
大変だなぁ… 嫌だなぁ…
と感じるのには何らかの理由がある訳で、手を出さない口先人間がそれを理解もせずに否定するのは、信用を失うのみです。

日々の言葉のやり取りの中に思いやりの気持ちが介在しない場合、慣れが生じるていくに従って、互いの我をぶつけ合う事態へ発展し、悪い面での本音の応酬そして関係性の悪化へと進んでしまいます。

安い人間が立場だけ偉くなった場合、部下への理解や尊重など微塵もありませんから、当然 部下から尊敬や信頼の対象とされる事もありません。
(小男は、その辺りがまた悔しい

そうそう社長様の中で、
「思いやり=お金」
である事を思い出しました。

「この位の金を払っているんだから、やって当たり前!」
「給料を払ってやってるのに生意気だ!」
と、ウッカリ本音を吐きますが、このお金至上主義にならざる得ない教養の無さ加減も、社長様の人間性が如何程なのかと云う
「安さの証明」
へと繋がります。
(角川映画に売り込もうかしらん?)


さて、ここまでネチネチと書き連ねてきて、ようやく「怪獣」育成の要諦に触れたような感覚が感じられました。

「怪獣」と呼ぶに相応しい方々は、人間が集団で社会活動を送るに当たり必要とする「理性」「配慮」が欠落するに至り、己の本能の赴くままに行動している存在であるかと考えます。


立派な「怪獣」を育成するには、

普通の人間に対して己の理不尽なる要求をぶつけ、また そのような行為を周囲に見せつけて、人間の心の中に「小鬼」を住まわせます。

そうならば、しめたモノ…更に手綱を緩める事なく、心に住み着いた「小鬼」を真の「鬼」への覚醒へと導いていくのだと感じました。

『疑心暗鬼を生ずる』
なんてぇ諺がありますが、心の内に生じた「鬼」ほど手強くなかなか退治出来ないモノはないのではなかろうか。

皆様におかれましては「鬼」をてなづけて仲良くなさり、くれぐれも「怪獣」とはならずに 人間であり続ける事をお勧め致します。

今の世の中は各所に、
「モンスターなんちゃら」
なんてぇのが出現致しておりますが、あの方々の姿を丑三つ時に見ますれば、額から角が突き出て口が耳元まで裂け上がっている事でしょう。

特に、妬み嫉みから生まれた「鬼」は最終的に、住み着いた人間を喰らい尽くしますよ~…

オソロシヤ…

こんな粗末な終わり方で良いのだろうか…