金沢文庫蔵の真言立川流聖教の和訳紹介

皆さんは立川流に関する通説が全く間違っている事をご存知ですか?鎌倉時代の史料を使ってその事を明らかにします。柴田賢龍

瑜伽瑜祇理潅頂について

2010-12-10 19:39:21 | Weblog
瑜伽瑜祇理潅頂について
〈1〉瑜祇潅頂とは?
初めに「瑜祇潅頂」の事について少し説明しましょう。鎌倉時代に於いては特に中期以降、瑜祇潅頂は小野流を中心に大変な人気があって、現存の諸史料から各種の「瑜祇の印信」が製作発給されていた事が分かります。しかし近世になると瑜祇潅頂に対する関心は薄れ、現在では真言宗僧侶の間でも話題になる事は少なくて伝法潅頂と較べると何となく「雲を掴(つか)むような」趣きが無いでもありません。
『瑜祇経』所説の印真言を用いて潅頂印信を作成する例としては「阿闍利位印信」が最も有名で亦権威もありました。天長年間(824―834)に弘法大師が弟子の実恵(786―847)と真雅(801―879)に授けたとされる「天長印信」と称する一連の潅頂印信が伝わっていますが、此の中にも阿闍利位印信はあります。是は金剛界に『瑜祇経』の「阿闍利位品第三」の印言、胎蔵印明には同経「金剛吉祥品第九」出る「胎蔵八字真言」と法界定印を用いています。亦是は慈猛が審海に授けた立川流印信中では和訳紹介分の第1No. 6226「両部阿闍利位印」に当たります。
しかし『密教大辞典』等を参照すると普通に瑜祇潅頂と云う時は同経序品に説く「卒都婆法界普賢一字心密言」すなわち「バン(梵字:vam)」一字明と「大羯磨印」(今の場合は外五股印)を以って潅頂印言とします。前回の記事で紹介した宝篋上人の伝と云う「一心潅頂印信」に於いては、印に無所不至(むしょふじ)印を用いていた点が異なりますが、潅頂に関係するときは外五股印も無所不至印も共に塔印と称されます。
又「瑜祇切文(きりもん)の大事」と称する「若凡若聖」で始まる五十二句の偈頌(げじゅ)を記した印信があります。此の偈頌を「切文」「即身成仏義言」「秘密偈頌」等と言い慣わしていますが、実には是は『瑜祇経』の文ではありません。但口伝に依って『瑜祇経』から秘密に切り出されたとされているのですが、是に付いても異説があり、出典は不明としか言いようがありません。此の印信は平安時代後期の鳥羽院政期には既に相当普及していたようであり、又是に付いても多くの口伝があります。
例えば、此の偈頌は『瑜祇経』から切り出された文では無く弘法大師の師匠である唐の恵果(けいか、746―805)和尚の作であると云い、又堀河天皇(1079―1107)崩御の際には此の文を身に着けていたとも言います。
〈2〉瑜祇理潅頂
さて前回の記事で現代語訳して紹介した「一心潅頂印信相承」の中で、当文書の発給者である慈猛は此の潅頂の事を「瑜伽瑜祇の理潅頂」と称していました。ところが慈猛が審海に授けた仁寛方印信中には他にも斯く称する例があります。それは和訳紹介分の第19No. 6251「瑜祇潅頂密印」であり、印信冒頭に「許可(こか)金剛弟子審海瑜伽瑜祇理潅頂密印」と題されています。是は後で現代語訳して解説しますが、非内非外縛印を両部不二の印として示すところに特徴があり、真言は一心潅頂と同じく「バン」一字です。
それでは「理潅頂」とは何か特別な意味があるのでしょうか。瑜祇潅頂は両部不二の位とされていますから、言葉を変えれば理智不二であり、今の「理」潅頂が「理智」に対して言われている事では無いと思われます。一般的に考えれば、普通潅頂儀礼は各種の道具と所作(作業/さごう)次第から構成されていますから、そうした作業潅頂に対して道具と所作を用いないから理潅頂と云うのかとも考えられます。又『瑜祇経』の「内作業潅頂品」第十一の所説に基づいて所作を行う瑜祇の「内作業潅頂」もありますから、是に対して理潅頂と云っているのかも知れません。よく分からないと言わざるを得ませんが、それでは和訳紹介分の第19No. 6251「瑜祇潅頂密印」を現代語訳で示し、簡単にコメントを記します。
〈3〉現代語訳:瑜祇潅頂密印
許可金剛弟子審海(金剛弟子審海に許可する)瑜伽瑜祇理潅頂密印
 無相法身位〔一印一字〕
非内非外縛印 両手の八戸(尸/し/指)を鉤の形にして向かい合わせとし、そのまま互いに交える。各指の首(さき)を以って、左は右指の根(指の付け根の間)を拄(さ)し、右は左指の根を拄す。八戸(尸/指)は同様に内側に入れず、又外側にも出さないようにして、虚円(こえん)の形に作る(丸くする)。二大指は相交えて少し内側に入れる。明(みょう/真言)に曰く、
バン(梵字:vam、以下同じ)〔帰命の句は無し〕 若しくはア(梵字:a、以下同じ)〔帰命の句無し〕
伝(口伝)に云く、心法を門として(心の世界に立って)此の位に入る時はバンの明であり、若し色法を門として(事物の世界に立って)此の位に入る時はアの明とすべきである〔云々〕。
口(く/口伝)に云く、金剛界法の五相成身(ごそうじょうじん)、次に胎蔵法の五輪成身、その次に此の真言を用いるべきである〔云々〕。
 正嘉元年(1257)七月廿五日 弟子審海
伝授阿闍利伝燈大法師位慈猛 」
コメント 標題の「理潅頂」という言葉と共に此の印信で注目すべきは何と言っても「非内非外縛印」であると云えるでしょう。此の印は『瑜祇経』に説かれている訳では無く、確かな経軌の本説は無いようです。金剛界法は外縛を印母(いんも/基本の印)とし、胎蔵法は内縛を印母としますから、両部不二の印として誰か日本の阿闍利が此の印(虚円合掌とも言います)を案出したのでしょう。此の印信は立川流/醍醐寺仁寛方の相承と解されますが、同種の印信は野沢諸流に相伝されています。『密教大辞典』の「非内非外縛印」「非内非外大事」「虚円合掌」等の項目を参照して下さい。
○此の印信はその後も審海が開山となった称名寺に於いて相伝継承されていたらしく、『金沢文庫古文書』第九輯には、正中二年(1325)五月二十八日付の権大僧都成瑜が定教に授けたNo.6603「瑜伽瑜祇理潅頂密印」が掲載されています。
補説
金剛界法には此の「非内非外縛印」とやゝ似通った印があります。それは金剛界大供養会の「十七雑供養」の最後第十七番目の印であり、経軌には名称が付されていませんが、醍醐寺や勧修寺の小野流に於いて金剛界法を修す時の基本テキストとされた延命院僧都元杲(げんごう 914―995)作『金剛界念誦私記』では「説法」と云います。
その印相は金剛界法の本軌である不空三蔵訳『金剛頂蓮華部心念誦儀軌』には、
次に応(まさ)に指爪を合わすべし
とだけ説かれていますが、元杲の『私記』では是を、
十指の爪を一処に聚集(しゅじゅう)して心に当つ。
と書き改めています。即ち左右の十本の指の先を集めて、両手を丸く球状にします。そうすると此の供養会の「説法」の印は「虚円合掌」の一種であると云う事も出来るでしょう。