金沢文庫蔵の真言立川流聖教の和訳紹介

皆さんは立川流に関する通説が全く間違っている事をご存知ですか?鎌倉時代の史料を使ってその事を明らかにします。柴田賢龍

金沢文庫蔵真言立川流聖教の和訳紹介

2008-02-18 14:55:24 | Weblog
金沢文庫蔵真言立川流聖教の和訳紹介
(「金沢文庫蔵」とあるのは正確には「金沢文庫保管重文称名寺聖教」の事です)


真言立川流は平安時代白河院政期の醍醐寺僧仁寛阿闍梨を流祖とする真言法流であり、従って醍醐流仁寛方と称する事もできるであろう。此の法流が現今の如く性的儀礼を伴う邪教の一派などと解されるに至った理由と経緯は単純なものでは無い。
鎌倉時代中後期の誓願房心定が書き記した『受法用心集』なる二巻の書によって、当時異様な性的儀礼を伴う真言法門を信奉する人達が存在していた事が知られる。私はその法流を仮に「内三部経流」と名付けているが、その理由は後の<結語>で説明する。
一方、南北朝時代の著名な高野の学僧宥快はその著『宝鏡鈔』に於いて、仁寛より受法した武蔵国立川の陰陽師が『受法用心集』に記されたいかがわしい真言一流を始めたのであると主張した。
かくして何時の頃からか仁寛阿闍梨と「内三部経流」とを直接結びつける説が平然と行われるようになった。それが間違いである事は『受法用心集』と『宝鏡鈔』を少しく丁寧精確に読めば誰でも理解できる筈であるが、今や立川流イコール邪教とする通説が強すぎて思考力を妨げるようである。
立川流すなわち真言の邪教とする説に近年最初に疑問を呈したのは大正大学の櫛田良洪教授である。昭和39年に刊行された『真言密教成立過程の研究』に於いて氏は金沢文庫に蔵される鎌倉時代写の仁寛方印信に着目し、従来の立川流に関する通説を再検討する必要がある事を主張した(第四章「邪流思想の展開」)。しかしながら氏の所説は、立川流に関する複雑な誤解の連鎖を解明するには、史料の分析とその方法論に於いて未だ十分とは云えないものであった。その後、金沢文庫が主催して此れ等立川流印信の展観も行われたが、その詳細な研究はほとんど行われないまま現在に至っていると云えよう。
そこで私は『金沢文庫古文書』の第九輯『仏事篇下』に収載されている三十余通の鎌倉時代写仁寛方(立川流)印信を、此のブログの字数制限内で出来るだけ多く和訳紹介し、最後に立川流に関する理解が果てしなく混乱した経緯と理由を簡潔に説明する事とした。

1.No.6226「両部阿闍梨位印」
金剛界伝法灌頂密印
摂一切如来大阿闍梨行位印真言
バザラ ソキシマ マカサトバ ウン ウン(原漢字) 
 (印文を略す)
大悲胎蔵界伝法灌頂密印
阿闍梨行位大印の真言に曰く
アクビラウンケン ウン キリク アク
 (印文を略す)
故和尚(恵果)云く、義明供奉に両部大阿闍梨法を授くと雖も未だ此の印を授けず。唯だ一人に在り。好々、吾が恩に報ずべし。写瓶は実恵に在り。又た入壇授法の弟子は頗る多しと雖も唯だ汝一人に之を授く。云何が汝は吾が恩に尽報すべきや。穴賢こ、々々。入室と雖も器量に随いて之を授くべし。
右、天長二年三月五日、東寺に於いて貞観寺真雅阿闍梨に授け畢んぬ。
伝授阿闍梨遍照金剛空海
  建長三年八月七日 弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:是は三宝院流意教方の名僧空阿上人慈猛(じみょう 1212~1277)が、後に金沢称名寺長老となる妙性房審海( ~1304)に授けた一群の灌頂印信中の最初のものに見える。但し「建長三」は実には「建長六」の誤読である。上の印信の内容については『密教大辞典』の「天長印信」の項を参照して下さい。

2. No.6227「伝法灌頂血脈」
真言宗伝法灌頂相承
大日如来 金剛薩埵 龍猛菩薩 龍智菩薩 大弘教三蔵〔法諱金剛智〕 大弁正三蔵〔法諱不空〕 青龍阿闍梨〔法諱恵和〕 弘法大師〔法諱空海〕 貞観寺僧正〔真雅〕 南池僧都〔源仁〕 醍醐根本僧正〔聖宝、世に尊師と号す〕 般若寺僧正〔観賢〕 石山内供〔淳祐〕 延命院大僧都〔元杲〕 曼荼羅寺僧正〔仁海〕 御在所僧正〔覚源〕 醍醐寺法印〔定賢〕 三宝院僧正〔勝覚〕 阿闍梨蓮念 見蓮聖人 覚印大法師 覚秀大法師 浄月上人 空阿大法師
  建長六年八月四日 金剛弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師慈猛示

コメント:上の阿闍梨蓮念は仁寛、空阿大法師は慈猛でその師浄月上人は三井寺の慶政上人のことです。此の血脈は仁海から覚源、定賢と相承された所に特徴があり、醍醐座主方と称することも出来る。

3. No.6229「授与印信許可(こか)文」
印信許可を授与する文
夫れ両部大法相伝して尚お久し。大日如来は西天の肇祖たり。弘法和尚は日域の大師なり。師資相承して伝燈大法師慈猛、審海に授与す。而して今ま金剛仏子(審海)は早く密門に入り、久しく両部の道に遊ぶ。仍りて両部密印を授与すること已に畢んぬ。故に弟子本名の上に金剛法名を加え畢んぬ。
  建長六年八月四日 弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:慈猛が審海に授けた伝法許可潅頂の印信。是は次の印真言を記したものに対して紹文(じょうもん)と云う。

4. No.6230「伝法許可秘印」
伝法許可秘印
ム(胎)大師  大日剣印
  (印文を略す)
 アバラカキャ(原梵字)
金大帀(師) 智拳印 四処を加持して頂に散ず
オン バザラダト バン (原梵字)
蘓悉地印 右拳を以て左拳に覆い臍下に置け
オン バザラサンジ バン (原梵字)
  建長六年八月四日 弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

5. No.6231「伝法灌頂阿闍梨位印」
最極秘密法界体伝法灌頂阿闍梨位印
 先師誡め云く、秘惜するは罪あり。善人にも惜むが故なり。伝授するは罪あり。非器にも授くるが故に〔云々〕。
在昔大日如来、大悲胎蔵・金剛秘密の両部界会を開いて金剛薩埵に授く。数百歳の後、龍猛菩薩に授く。是の如く金剛秘密の道を伝授すること祖師根本大阿闍梨弘法大師に迄(いたるま)で即ち八葉を経、今ま余身に至り二十四代なるが、大悲胎蔵の道に拠らば二十三代に当る。伝授の次第と師資の血脈相承は明鏡なり。方に今ま小僧早く俗塵を遁れて専ら仏道に帰し、数年心を励まして真言の道を求法す。多日剋念して師を尋ね、密教の家にて適(たまた)ま引摂に遇い幸いに伝授を得。爰に審海大法師は永く名利の二門を捨て、深く三密の教法を信ず。之に因って密印の許可を授くること既に畢んぬ。宿因多厚にして五智の瓶水に沐し、骨肉の哀み深くして密室の智燈を得たり。是れ則ち三世の仏恩に酬い一世の師徳に答う。吾が願いは此の如し。余念すべからず。
  建長六年八月七日 弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:是は定型を踏襲した伝法灌頂の印信(紹文)。慈猛は先に許可灌頂を授け、今伝法灌頂を授けたのである。

6. No.6233「伝法灌頂秘印」
伝法灌頂秘印
 大阿闍梨云く、灌頂に多種あり。
 普通の大(師)門徒の様 外五股印
 アビラウンケン(原梵字)
大帀(師)の伝。口決に云く、 外五股印。
 ア アー アン アク アーンク (原梵字)
 普通の大門徒の様 智拳印
 バザラ ダト バン (原梵字)
大帀の伝。口決に云く、卒都婆印。
  (印文を略す)
 バン ウン タラク キリク アク (原梵字)
  建長六年八月七日 弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:先に胎蔵、後に金剛界、それぞれ二種の印明を示している。慈猛は此の八月七日に最初のNo.6226「両部阿闍梨位印」(瑜祇印信)と合わせて、都合三通の灌頂印信を審海に授与した。血脈は許可灌頂と同じであるから授けなかったのであろう。

7. No.6234「三衣法」 (本文和訳を略す)
是は五条・七条・九条の各袈裟につき、印明を結誦し観想を成してから身に着けるべき事を説いた印信(折紙)。建長六年12月28日に慈猛が審海に授けた。印は三宝院流では塔印を用いるが、ここでは剱印(二中指剱形)の一種を用いている。又た通途の印信に比して広範な口決を書き記している。中でも口決中に五条袈裟は胎蔵大日理法身、七条は金界大日智法身、九条は蘇悉地大日不二法身と云うから台密教理の影響を受けている。又た不二大日は「首に理智冥合の五仏宝冠を戴く」とも云う。
元来此の種の口伝は折紙、或いは切紙と称して灌頂印信とは異なるカテゴリーに属するものであるが、鎌倉中期以降は特に地方寺院に於いて灌頂印信と折紙類をない交ぜに授ける事が盛行したようである。
猶お『密教大辞典』の「三衣印言」と「三衣法」の項目を参照して下さい。

8. No.6235「光明潅頂印信」
光明潅頂印信〔又た阿字潅頂トモ云うなり。又た金色泥塔トモ云うなり。〕
 印は口伝
 明 ア(原梵字)
  建長七年二月三日、之を示す。
伝燈大法師位慈猛、資審海大法師に授け了んぬ。
  秘中の深秘なり。他見すべからざる者なり。「慈猛」(花押)
月輪観に云く、印を結べば我身は月輪と成る。月輪とは光にて有るなり。体相は無し。口に阿とは本不生の理をヨブナリ。意に本不生の理を思う。本不生の理とは、我が念念の心は常に発るとも色形はなし。来ること無く、去ること無し。不思議の心性の妙理なり。身口意の三業にカク思えば妄想の止むを菩提心と云うなり。身は光と成って空なり。口に空の名(阿字)をヨベバ其の語は空なり。意に亦た空の理を思う。サレバ我が三業は共に空なり。罪障は、妄想顛倒の諸法の実に有ると思うに有るなり。サレバ此の如く思いに静かなる時、無量無辺の罪は滅するなり。能々観想すべし〔云々〕。

コメント:是は鎌倉時代中期以降に多数製作された新案の印信の一種と考えられる。『密教大辞典』の「光明潅頂印信」の項によれば口伝の印は「虚円月輪印」である。同書「光明潅頂(三)」と「光明潅頂印言」の項も参照して下さい。

9. No.6236「潅頂最秘密印」
授与伝法潅頂最秘密印
胎蔵界
 印は卒覩婆〔無所不至〕 明〔口伝に在り〕
ア アー アン アク アーンク (原梵字)
金剛界
 印は卒都婆〔同印〕 明〔口伝に在り〕
バン ウン タラク キリク アク (原梵字)
理智冥合
 印は卒覩婆〔同印〕 明〔口伝に在り〕
ア バン ラン カン ケン 〔原梵字〕
  建長七年二月三日 弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:注によれば是は切紙の印信である。潅頂印信は本来竪紙に記すべきもので、此の印信の正統性を低めている。端裏書に「三重」と注しているが、初めの胎金一印二明は醍醐の第二重、後の「理智冥合」が第三重で所謂「霊託印信(託宣印信)」である。

10. No.6237「伝法潅頂密印」
許可金剛弟子審海両部伝法潅頂密印
金剛界伝法潅頂密印
 加持諸仏行者、無上菩提最勝決定の記を授くる印〔智拳〕
 真言に曰く
 バザラ ダト バン
胎蔵界伝法潅頂密印
 毗盧遮那大妙智五大印〔外五股印、口伝に在り〕
 真言に曰く
 アビラウンケン
  建長七年二月三日  弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:是も切紙の印信。端裏書に「第二重」と云う。以上三通の切紙印信が同日に授与されたのである。

11. No.6238「密印潅頂」
最極秘密即身成仏潅頂密印
法界空中の純浄大円明なる本覚月輪は理智を正悟して自行化他・内証外用は十界同位なる即身成仏の印〔亦た内縛月輪印と云う〕
内縛して二大(指)の面を相い合わせ、八指の面を各の二大に付く。是れ八識会して第九識に入る意なり。明に曰く
ア(原梵字)〔(帰命)句無し〕
  建長七年二月十三日 弟子審海
阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:是も切紙の印信。端裏書に「台」即ち胎蔵と注す。印信タイトルに「即身成仏」と云うのも興味を引く。

12. No.6239「秘密灌頂血脈」
真言宗秘密潅頂血脈相承
大日如来  金剛薩埵  龍猛菩薩  龍智菩薩  金剛智三蔵〔胎蔵界に拠るときは金剛智を除くべし〕  不空三蔵  恵果阿闍梨  空海和尚  真雅僧正  源仁僧都  聖宝僧正  観賢僧正  淳祐内供  元杲大僧都  仁海僧正  成尊僧都  範俊権僧正  勝覚僧正  蓮念阿闍梨  見蓮聖人  覚印大法師  覚秀大法師  浄月大法師  空阿大法師〔金剛智を除き已上二十三人は両部に亘る〕
  建長七年二月十三日 金剛弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛示す

コメント:此の血脈は大旨No.6227に同じであるが、成尊・範俊から勝覚に次第する事に特徴がある。慈猛から審海が相承した血脈は、勝覚の伝法三師定賢・義範・範俊の中、義範方を欠く。前述したように蓮念は仁寛のことである。

13. No.6241「胎蔵界秘密潅頂密印」  建長七年二月十三日に慈猛が審海に授けた切紙の印信。師伝の印を記した新案の潅頂印信である。初めに「許可金剛弟子審海胎蔵界秘密潅頂密印」と題し、次に中台八葉の五仏四菩薩と不動明王につき総印と別印各三品を説く。最後に「法界不至」以下の塔印五種(無所不至遍法界塔印)を示して終わる。

14. No.6242「金剛界秘密潅頂密印」  上と一対の印信。初めに「許可金剛弟子審海金剛界秘密潅頂密印」と題し、金剛界五仏・八供養菩薩と一印会大日に付きやはり総・別各三品の印明を説き、最後に無所不至一印に五明を示す。

15. No.6243「秘密灌頂印信」
最極秘密自受法楽秘密潅頂印信相承
夫れ以るに秘密潅頂は是れ自受法楽の深法、至極究竟の仏位にして毗廬遮那法王の髻珠、金剛薩埵の心府なり。 (中略) 小僧数年の間、求法の誠を尽し、幸いに浄月上人に随いて秘密潅頂職位の印可を蒙ること既に畢んぬ。爰に審海は深く三密の教を信じ、四(威)儀の観行怠らず。寔に宿因多厚にして五智の瓶水に沐し、骨肉の哀み深く、密室の智燈を得。是れ則ち三世の仏恩に酬い、一世の師徳に答う。我が願は既に満つ。余念すべからず。
 建長七年二月十三日 弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:切紙の印信(紹文)。師匠の浄月上人に言及しているのが注目される。

16. No.6245「即身成仏潅頂印」  建長七年二月十三日に慈猛が審海に授けた切紙の印信でNo. 6238と一対に成っている。大旨同じであり金界の「法界内縛日輪印」を記す。血脈を含めて同日に六通の印信を授けている。

17. No.6249「至極灌頂密印」
至極潅頂大日阿闍梨位密印
摂一切如来大阿闍梨行位印
 (印文を略す)
オン バザラ ソキシマ マカサトバ ウン ウン
師資相承の口伝に云く、金剛胎蔵両部大教は此の印中に摂在す。是れ三部総印なり。ソキシマとは法性大日の密号なり。ウン・ウンとは両界の種子なり。此の故に大日印鑰印と名け、亦た飛行自在印と名け〔具には口伝に在り〕、又た即身成仏印と云う。多種なりと雖も極位の菩提決定すること、彼の密力に依るなり。設い眼肝渡すと雖も、輙く此の位を授くべからず。能々機を撰んで授与すべし。
 正嘉元年七月廿五日 弟子審海
伝授伝燈阿闍梨位慈猛

コメント:阿闍梨位潅頂印信の一種。是も切紙。口伝の自由な言葉の中に時代の移り変わりが感じられる。

18. No.6250「一心灌頂印信相承」
最極秘密瑜伽瑜祇一心潅頂印信相承
夫れ以るに瑜伽瑜祇の理潅頂は是れ無相法身の至極究竟、本覚覚王の遠寿(久遠寿命)、金剛薩埵の心肝なり。然れば則ち大持金剛、理智不二の大教を開きて金剛薩埵に授け、金剛薩埵は龍猛菩薩に授く。是の如く一心潅頂の道を伝授すること祖師根本大阿闍梨弘法大師に迄で即ち八葉を経、今ま愚身に至り第二十四代にして、伝授の次第と師資の血脈相承とは明鏡なり。方に今ま小僧初は慈覚(大師円仁)の門徒に烈して顕密の学業に励み、後に弘法の門家に入りて醍醐の清流を掌に酌み、浄月上人の所に於て重々の潅頂を伝受す。爰に沙門審海は宿運の催す所、一心潅頂の職位の印可を伝うること既に畢んぬ。不二の法水に沐して一智の尊容を得たり。是れ則ち仏恩に酬い、師徳に答うなり。我が願い既に満つ。余念すべからず。
 正嘉元年七月廿五日  審海
阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:やはり竪紙では無く切紙に記された印信(紹文)。慈猛自ら天台より東寺に転じた事を述べている。醍醐の血脈中に何故三井寺の浄月上人が登場するのかは又た別篇(ブログ)で検討する。

19. No.6251「瑜祇灌頂密印」
許可金剛弟子審海瑜伽瑜祇理潅頂密印
 無相法身位〔一印一字〕
非内非外縛印 (印文を略す)
明に曰く、
バン(原梵字)〔句無し〕 若しはア(原梵字)〔句無し〕
伝に云く、心法を門と為して此の位に入る時はバンの明。若し色法を門と為して此の位に入る時はアの明なるべし〔云々〕。
口に云く、金(剛界)の五相成身、次に胎の五輪成身、次に之を用うべし〔云々〕。
  正嘉元年七月廿五日 弟子審海
伝授阿闍梨伝燈大法師位慈猛

コメント:前と一対の切紙の印信。以上此の日に三通の印信が授与されたが血脈を欠く。


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