ヨナは嘘つきという結果になった。
「あと40日もすればこの町は滅びる」と叫んでいたからである。ヨナには初めからこうなることがわかっていたからタルシシュに逃れようとしたのだ。
そうして、ヨナの信仰の通りにニネベに成った。
主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。(ヨナ書4:2)
イエスさまは神様を父と呼んでおられたことで「嘘つきだ。神を冒涜している」と十字架へ追い詰められて行った。
このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。(ヨハネ5:18)
処女マリヤからイエスさまがお生まれになったこと、再び雲に乗って再臨されること、永遠のいのちの約束、そのどれも人には真実を証明することができない。
しかも、これらこそが救いの根幹を成していることなので、このことを恐れて語らないなら救いには至らない。イエス・キリストからこれらの事実を抜きにして何が残ろう・・。
主はヨナを選ばれた。ニネベの救いの為にはヨナの信仰が必要であったので、ヨナに執着されたのだ。
死者は傷つくことはなから、「嘘つき」と言われることを恐れる必要はない。だからヨナは海に放り込まれて一度死ななければならなかった。
それにしても、ヨナが魚に飲み込まれて運ばれる・・。このことにも信仰のトラップが仕掛けられている。
十字架のことばは信じない者には愚かである。
聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。(Ⅰコリント12:3)
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