あなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである。死人のために自分の身を傷つけたり、また額を剃り上げたりしてはならない。(1)
漫然と世の風習に倣って、神のものである身を傷つけてはならず、世のために命をすり減らしてはならない。その命はキリストに在って生きるためにあり、キリストに在って死ぬためのものである。
世に従順して同じように生きることは、神の子のアイデンティティを喪失していることを現わしている。それは主に拠り頼む生き方ではなく滅びゆく世の生き方である。
あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。(2)
自分がなにものであるかを忘れるなら、世の出来ごとのすべてが罠となる。良いことがあれば自分を誇り、悪いことがあれば絶望して望みを失ってしまうのは、キリストに根ざした平安がないからである。
あなたは、忌み嫌うべきものは、どのようなものも食べてはならない。(3)
此処には、律法による多くの汚れた食べ物の名が列挙されている。すべては神の子であることを覚えているためのものである。
しかし、キリストは十字架で律法を成就して神の命令を完了された。人には完成出来ないことをご存じだからである。
空腹なペテロの夢に律法で禁じられている汚れた食べ物が与えられ、彼はそれらを拒んだとき、聞えた御声は「屠って食べなさい」であった。
「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」(使徒10:15)
此処では汚れたものとは異邦人を現わしていて、異邦人に救いを宣べ伝えることを命じられたのであり、キリストが十字架の血潮によって罪の代価を支払い、すべての信じる者をきよめられたからである。
イエスは人を汚すものとは口から入る食べ物ではなく、心に在って口から出る言葉であると教えられた。
口に入る物はみな、腹に入り、排泄されて外に出されることが分からないのですか。
しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。(マタイ15:17~18)
うちにおられる主のお交わりにあるなら、自ずとみことばが出て来るであろうし、世に倣って生きているなら、世と同じ言葉を語り語る者と聞く者を汚すのだ。
あなたがたは自然に死んだものをいっさい食べてはならない。あなたの町囲みの中にいる寄留者にそれを与えて、彼がそれを食べるのはよい。あるいは異国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。(21)
神の子は自然に拠って養われているのではなく、すべてにおいて神の備えによって生かされている者であり、これが神の子のプライドである。
朝は起き夜は寝て世と同じように生きるために働いていても、それらの日々のすべては主のみこころの中にあって、生きている間も死んでからも神と共に生きる者なのである。