石ころ

幼子のように聞く (マタイ18章)




「あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。」そこでモーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりにした。(出エジプト17:6)

モーセは主に命じられた通りに「岩を打つ」ことで、イスラエルの民に水を飲ませた。
二度目は「岩に命じ」と主は言われたが、彼は経験によって岩を打ったことで、主は「あなたはわたしを信ぜず」と言われた。
此処まで主に従って来たモーセなのに、民を引き連れてカナンに入る事は叶わなくなった。

しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。(民数記20:12)

過去の経験に拠ることに今日の信仰はいらない。どれほど献身的な過去があっても、今日の信仰がなければ、今日という日が主のお喜びとはならない。

 みことばはどれほど繰り返し読んでも日々新しい。それは霊の書物の証拠である。このような本は他には無い。
聖霊の導きによって、いつも新鮮に絶妙なタイミングで、その人に向かって語られる神のことばを、幼子が母の声を聞くときのように目を輝かせて聴き入るのである。

まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。(マタイ18:3)

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