バプテスマのヨハネが殺された後、イエスさまは群衆を憐れみパンを与えると共に、救いの為に弟子の成長を急がれる。弟子が成長しなければ、ヨハネが命をかけて伝えた福音は実を結ばないのだ。
ペテロは荒れる舟の中で、暗やみの水の上を歩いて来られるイエスさまを見て、他の弟子と同じように「あれは幽霊だ」と怯えていた。
イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」(マタイ14:27~28)と願った。
そのペテロの変化に驚いたけれど、実は私も不安になったり恐れに囚われる時に、聖霊の導くみことばを聞いて「勇気百倍恐いもの無し」になることを思い出した。
みことばに従ったペテロは、安全な舟から出て波立つ水の上を歩きみことばの権威を体験した。それは体に焼き付けられた事実として残るのだ。
彼が我に返って叫んだ時、イエスさまは直ぐに彼を掴んでくださった。主の手は短くはないから・・。(イザヤ50:2)。
誰だって強い風、荒い波の現実に気付くと動けなくなる。必ず沈ませる風波の現実と、水の上を歩くことができる信仰の狭間を行き来する者を、イエスさまは忍耐強く信仰の深みへと導いて行ってくださるお方である。
イエスさまは強いて弟子たちだけで舟に乗せられ、暗い風波の中に放り出された。そうして「確かにあなたは神の子です」と、主を知る経験をさせてくださるのだ。
みことばを聴き続ける日々の中で、水の上を歩いているような自分にハッとすることがある。その時は平安を失ってうろたえるけれど、ペテロを育ててくださった主は私にも同じ主である。
暗やみは主に出会う場所、風波はみことばを経験する備え。今イエスさまはペテロの時よりずっと近しく私たちの霊の内にいてくださる。
失敗の中で叫ぶ時すばやく助け出してくださる。ご真実な主は、私たちが塵に過ぎないことをご存じだから、必ず脱出の道を備えていてくださっている。
ペテロのようにイエスさまの力強い御手を経験したいから、水の上を歩き続けるためにみことばに耳を傾け、命じられる言葉を待っている。
「信仰の薄い人だな、なぜ疑うのか」という叱責さえ嬉しいのは、お言葉と共にキリストの信仰の分け前に与ることを知って居るからなのだ。
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Miku
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