石ころ

なに一つ不自由のない備え(申命記8章)

 

あなたの神、主の命令を守って主の道に歩み、主を恐れなさい。
あなたの神、主があなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、谷間と山に湧き出る水の流れや、泉と深い淵のある地、
小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろのある地、オリーブ油と蜜のある地である。
そこは、あなたが不自由なくパンを食べ、何一つ足りないものがない地であり、そこの石は鉄で、その山々からは銅を掘り出すことのできる地である。(6~9)

 

イスラエルは40年間荒野で主の備えを味わった。

試練の年月にみことばがご真実であることを経験して、主が備えてくださる豊かさを味わうことがある。
キリスト者の試練の日々には、ぴったりと寄り添ってくださる助け主聖霊が居てくださる。世の嵐の中でみことばに在るキリストの平安を指し示して、騒ぐ心に安息をたまわるのだ。

試練がなければ主を知ることがあるだろうか・・。刹那的な世の物に満ち足りている時に、どのようにして主を知ることが出来るだろう。

 

あなたが食べて満ち足りたとき、主がお与えくださった良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。(10)

 

みことばに記されている豊かな良きもの、良き備え、小麦、大麦、葡萄にいちじく、オリーブ油・・それらはみことばから受け取るものである。永遠を生かすいのちのパン、なに一つ足りないものはない永遠の住まいも。

 

気をつけなさい。私が今日あなたに命じる、主の命令と主の定めと主の掟を守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。
あなたが食べて満ち足り、立派な家を建てて住み、
あなたの牛や羊の群れが増え、銀や金が増し、あなたの所有物がみな豊かになって、
あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れることがないように。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、(11~14)

 

このみことばは、1991年7月18日に主が示して下さった。二人の息子の教育費や生活費もギリギリの不安の中で、子供たちの前途に不安を抱いているときに示されたみことばであった。

 

当初は意味が分からずに「いやいや、今すぐに必要なのですが・・。」という思いであったけれど、みことばを思い巡らせていて、示されている将来に確信を得て落ち着いて彼らの進学の準備することが出来た。

金銀は主を経験たことによって知った無限の豊かであり、生きて働くみことばは、霊も魂も体も決して飢えることなく、永遠まで満たすものである。

立派な家は、世では主が居場所を守る備えの中で平安に住まわせてくださり、世を去ってのちには永遠の住まいが備えられている。このような恵みの中に生かされている者が、どうして主を忘れることがあろう。

折々の主の助けと備えは世に生きる間いつも変わらず、愚かさや、罪深さによって負い切れない重荷をも、キリストが負ってくださっていることを経験し続ける。

 

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11:30)

 

そんな時、「あなたはなぜ、こんな私に良くしてくださるのですか」と尋ねてしまうけれど・・答えは知っている。
主はご真実な方ゆえに、ご自身を否むことがお出来にならないのだ。イエス・キリストに身を避ける者には誰に対しても・・。


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