石ころ

大淫婦の末路(黙示録17章)

 

また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。」
地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。(1~2)

 

御使いは鉢を持っていて、場面はぶちまける前に戻っていた。
聖書の言葉の「淫行」「不品行」とは、神に養われている神のものが神に仕えず、目的のために信仰を売る行為である。
ユダはキリストを金のために売ったが、この女といわれる大きな都は金だけではなく、すべての繁栄や権利や権力であり、惑わされて魂を売った地の王たちを支配していた。

 

大淫婦と例えられているものが手にしたのは、世のあらゆる栄耀栄華や権力や能力であり、その悪は神を冒涜して、聖徒を迫害し多くの殉教者の血が流された。
しかし神のご計画の通りに、後にこれは、自分の支配したものによって滅びるとある。

 

それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。(3)

 

「御霊によって荒野に連れて行った・・」(新改訳2017)イエスも荒野でサタンの試みを受けられたように、聖霊によって荒野に導かれる時がある。そこではサタンを知り神の権威を学ぶ大切な時である。

荒野を通ることによって、信仰をもって大局的に出来事を判断できるようになり、みことばへの確信が与えられるようになる。痛みも経験するが・・。
ヨハネは御使いの導きによって、キリストに反抗するものの姿と、神の計画の全体像を見せられる。

 

この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。
その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」という名であった。
そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。(4~6)

 

これまで驚かざるを得ないものばかり見て来たヨハネが、此処で何にそれほど驚いたのか・・。
ヨハネは驚くというよりも恐怖を感じ、敵の姿に威圧されたのではないだろうか。


人は見た目に心を折られる。それゆえ敵は圧倒する装いを演出するのだ。見たこともない華麗な衣を纏い、金や宝石を身に付けて近寄りがたい威厳を装う。しかし、それが誇って掲げている金の杯の中身はおぞましく、その名は汚らわしいものの正体を現している。

 

すると、御使いは私にこう言った。「なぜ驚くのですか。私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。(7)

 

「なぜ驚くのですか」はヨハネの無知を暴露する。新しいことを知る時はいつも此処を通過させられる。特に霊のことにおいては・・、この時はへりくだって留まることが必要である。

もったいぶった女の「秘義」は、御使いにはすべてわかっていて少しも秘められたことではない。何ものであろうと神の前には秘められたものはなく、ことの初めからその末路まですべて知られているのだ。

 

あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。(8)

 

彼らは朝もやのように、朝早く消え去る露のように、打ち場から吹き散らされるもみがらのように、また、窓から出て行く煙のようになる。(ホセア13:3)

 

入れ替わり立ち代わり、キリストに立ち向かうものに加担する王が現れるが、それらはしょせん神のご計画の前には、草の露のようなものである。


世の終わりに神に立ち向かうそれらが、何ものであろうとも仮に何度よみがえろうとも、キリストに逆らってサタンのわざを行うものの末路を、神はあらかじめ此処に知らせて下さる。

 

この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。(13~14)

 

小羊は永遠であり、共にいる者たちも永遠である。
今も、私たちの前に様々な偽の教えや、サタンの嘘や脅し、成功や権力への誘惑や、怪しい教えが蔓延る中でも、それらの正体はすべて神には隠れておらず、聖霊の導きによって導かれるみことばは、初めから私たちに備えられているのである。

 

私たちの真に恐れるべきは天地創造の主おひとりであり、キリストが私たちに遣わしてくださった聖霊に導かれて、今日という日にみことばを経験しつつ歩み、救いの感謝が絶えない心を守ることである。


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