ニュースにT-BOLANのインタビューが掲載されていました!
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以下は文章のみのコピペです。
T-BOLAN、FIELD OF VIEW、B.B.クィーンズ、そしてDEENという往年のラインナップでツアーを敢行するという10月4日スタートの<“BEING LEGEND”Live Tour 2012>を目前に、T-BOLANのオリジナルメンバーが揃って現在の姿を現した。
森友嵐士(Vo)、五味孝氏(G)、上野博文(B)、青木和義(Dr)…T-BOLANメンバー4人が揃って姿を見せたのは、1999年の解散以来13年振りのことだ。T-BOLANはこの日、都内のスタジオでツアーの最終リハーサルを行い、「離したくはない」「Bye For Now」をはじめとした1990年代に発表した多くのヒット曲を演奏。森友嵐士にドクター・ストップがかかる中で敢行された1995年3月26日の大阪厚生年金会館大ホール公演以来のライブということもあり、メンバーそれぞれに気合の入った姿を見せた。
リハーサル前には、メンバー4人へのインタビューが行われた。心因性発声障害により森友嵐士が歌えなくなってから、再び声を取り戻すまでの長い時間のなかで、五味孝氏がスタジオに誘ったことをきっかけに、1年かけて「上を向いて歩こう」を歌えるようになるまでの経緯や、ソロとして復活前の森友が全国で50本のサプライズライブを行っていたこと、1年前にT-BOLAN再結成を決意した“4人でスタジオにこもった3日間”などが明かされた。
アルバムをリリースしないまま敢行されたライブツアー<LIVE HEAVEN '94~'95>のファイナル公演が、1995年3月26日大阪厚生年金会館だった。ついに森友の喉は悲鳴を上げ、このライブを最後にバンドは活動休止状態に入る。その後もシングル「SHAKE IT」「愛のために 愛の中で」「Be Myself/Heart of Gold 1996」、シングルベストアルバム『SINGLES』、『BALLADS』とリリースを重ねミリオンヒットを記録するも、森友の喉の不調は回復の兆しを見せず、バンドは1999年12月に解散という決断を下すことになる。
後に判明した森友の病名は心因性発声障害だった。彼はその後10年以上にわたってこの病気と闘うことになる。
──13年振りの再結成にあたっての想い、ツアーへの意気込みを教えてください。
上野博文:懐かしい気持ちと楽しい気持ちが入り混じって、少し新鮮でもあります。だけど、変わっていないところが、すごく嬉しい。ツアーは悔いのないよう、全部出して楽しみたいと思います。
青木和義:再結成は不可能だと思っていたので、待ち遠しくて仕方ないです。楽しんでやろう、と。それしかないです。
五味孝氏:解散から長い時間が経っているので、音を出すまでは不安がありました。だけど、音を出した途端、何も変わっていなかったことがわかった。いいライブになると思うので、楽しみにしています。
森友嵐士:今回、4人で楽器を持って集まったときに改めて感じたのが、「4人であることの意味」。音を出して数時間で、解散前最後に行った1995年3月のライブの「音触り」みたいなものが変わっていないことが確かめられた。いまは、ツアーを楽しみたいというのが一番。ステージ上でメンバーと目があった瞬間、嬉しい気持ちになって、それがどんな風に広がるのか…。ファンのみんなの前でステージに立てるということを感じたいし、ありのままを楽しみたいです。
──森友さんの心因性発声障害によりT-BOLAN解散に至ったわけですが、歌えなかった頃の心境を教えてください。
森友:歌えなかった時期は、時間が止まっていたような気がします。生きてはいるんだけど、どこか自分の時間が進んでいないような感じ。「もう一度歌を取り戻さないと、何も始められない」、そんな思いでした。当時、リアルタイムで作った曲をどんどんリリースしていく中で、自分自身で自由度を狭めて、ストイックに、とにかくこだわりを強くして生きていました。体重も50kgを切っていたり、研ぎ澄まされていた。…今思うと、声が出なかったのは、「もっと楽に生きろ」というメッセージだったのかもしれない。
──解散後の13年間、森友さん以外の3人の心境はどうでしたか?
五味:(T-BOLAN復活という)こういう日はこないだろうな、と思っていました。
青木:五味が森友のリハビリに協力しているということも、俺たちは知らなかったし。
森友:10年間くらいは誰にも力を借りたくなかったし、歌えない自分を誰にも見られたくなかったんです。どこの病院に行っても、前例がなく、ドクターにも答えがなかった。そもそも病名がわかるまでに長い時間がかかりました。ドクターに「10年後も治っていないかもしれない」とも言われたり。そんな中、ある映画の音楽制作に携わることになって、そこでひさしぶりに五味のギターを弾いてもらいたくて連絡しました。それがきっかけで、五味が俺のリハビリに付き合ってくれて、週に2回くらいスタジオに入るようになって。それまではずっと、自分の昔の歌に戻すためにT-BOLANを歌っていたのを一度やめて、まったく違う歌を歌うことにしました。T-BOLANを封印して、自分自身が「歌うこと」を楽しむために、「上を向いて歩こう」を選んで歌ってみた。最初は「歌」でさえなかったけれど、1年くらいたった頃、ようやく「自分の歌をまた誰かに聞いてもらいたい」と思えました。それまでは、五味さえも俺の復活を期待していなかったと思う。いいタイミングで五味と会って、「動き出そう」と思うことができた。今の自分ができることと向き合ってみようと思って、音楽制作の仕事で五味に声を掛けて、再会することができた。ここをゼロにして、一歩一歩やっていこうという始まりになりました。そこから復活を決意して、50本くらいサプライズライブをやりました。青木にも聴かせたいと思って連絡したら、実家の近くでライブハウスに客を用意して、司会までやってくれたりして(笑)。
──T-BOLAN再結成のきっかけは?
森友:今回のT-BOLANの復活については、震災を経験したことが大きいです。震災によって、「生きる」ことについて考えたり、「すべては永遠ではない」ということを感じて。さらに、ボランティアで訪れた被災地や、ソロツアーで各地を回る中で、「T-BOLANの復活はないの?」という声をかけられたことが、きっかけになった。自分の中で決着はついているのか、メンバーの中でも答えを出してこの形なのか、自分の中で疑問に思ってしまったんです。一度そう思ってしまったからには、放っておけない。「いつか」なんてことを少しでも思うのであれば、それは「今」だ。そういう思いでした。メンバーの気持ちを確かめたくて、1年前3人に電話をかけ、理由は言わず、「3日間時間をくれ」と連絡しました。山中湖のスタジオで3日間、それぞれ楽器を持ち、音を出しながら、食事をともにしながら、一緒に過ごして、それで答えを見つけようと。できるかできないか、ではなく、やりたいかやりたくないか。…その3日間を経た結果、思いが重なって、この4人の音を再びステージで出そう、と決めました。だから、10月4日のツアー初日のステージは、1995年3月26日の続きのステージが始まる、そういう意識です。
──バンドリハーサルで13年振りに音を合わせての感想は?
森友:変化がないですね(笑)。こんなに同じなんだとビックリした。音もそうだし、それだけでなく関係性も変わらない。現場に集まる順番も一緒だった(笑)。
──森友さんとB.B.クィーンズの近藤房之助さんとのコラボ曲「声なき声がきこえる」誕生について教えてください。
森友:もともと俺は近藤さんが大好きなので、今回のB.B.クィーンズのアルバムで「コラボの企画が持ち上がっているけど、どう?」と言われて、「近藤さんとコラボできるなら、ぜひやってみたい」と。近藤さんは、僕の中で、歌を誰よりも嬉しそうに歌う人なんです。リハビリ中、人のライブなんてとてもいける状態じゃなかったんですが、近藤さんのライブだけは行っていました。歌うことが喜びであるということを忘れてしまいそうになっている中で、僕が唯一通うことができたライブが、近藤さんのライブなんです。近藤さんの歌う姿を見ることで、歌うことが好きだった自分を思い出させてくれました。で、復活する前にも、目黒のライブに遊びに行って、その時に近藤さんからサインをもらって。いまでもピアノの上に置いてあるんですけど。で、今回のコラボの話を近藤さんも受けてくれて、近藤さんが「森友とコラボだったら、そうだな…頑張って帰ってきたんだから、森友のことを歌にしたいな。“声なき声がきこえる”って感じだな」と言ったというのを聴いて、すぐに曲を作ったんです。そこから、何度かやりとりしながら、歌詞を書いてもらって、曲を作っていきました。アレンジもアマチュア時代からお世話になっているB.B.クィーンズの増崎孝司さん、ピアノもこれまた長くお世話になっている小野塚晃さんに入ってもらって。同じ屋根の下、90年代のビーイングっていう同じ匂いを感じあえている仲間が自然と集まってできた作品で、最高にいいものができたと思っています。
──この曲はライブでも聞けますよね?
森友:どうなんですかね?まだ近藤さんとはそんな話をしていないんですよね。ファンが期待しているというのであれば、これから近藤さんと話してみます。
──<“BEING LEGEND”Live Tour 2012>以降は、どのようにT-BOLANは展開していきますか?
森友:<“BEING LEGEND”Live Tour 2012>以外の未来について決めていることは、現時点では一切ありません。僕たちがいま思っているのは、まずは「ステージに上がること」だけ。<“BEING LEGEND”Live Tour 2012>を完全燃焼するということに全力を注いでいるので、いまのところその先は考えていない。いまはとにかく4人でやるということに純粋でありたい。だけど、余裕ができて、これから浮かんでくるものや生まれてくるものがあるかもしれません。ここから何か芽生えて始まることも期待しています。
──最後に改めて、いろんな支えや出会いがあり、T-BOLANメンバー4人が揃ったことへの心境を教えてください。
森友:声が出なくなることなんて、まったくもって望んでいなかったし、その頃は「なんで俺が」と思っていたけれど、いま思うのは、「なるべくしてなっているんだな」ということ。こうして4人が揃っていることも、1年前までは想像もしていなかった。自分たちが「今どうしたいのか」という思い、自分たちの本当の気持ちを確かめながら、その先の一歩をちゃんと踏みしめていきたいと思う。それに気づかされた10数年だったと思う。
──T-BOLANとしての単独ライブを期待している人もいるのでは?
森友:俺たちもやりたいと思っていることなので、<“BEING LEGEND”Live Tour 2012>を追い風にして、そういったところにつながっていけばいいなと思う。こればっかりは、4人だけでできる話でもないので、いろんな人を巻き込んでいって…、形になれば、立ちますよ、俺たちは。
元PAMELAHのメンバーも同じ気持ちになって復活してほしいですね…