goo blog サービス終了のお知らせ 

乙骨太郎左衛門尉安利

   
http://blog.goo.ne.jp/b_b_c

領地由緒書

2003-09-29 | Weblog



大御所より拝領した領地は、天正10年、甲斐塚河と村山を拝領。御朱印御書付は、左衛門尉殿へ本田正信、大久保忠秦と署名、花押。天正17年、甲斐比野を拝領。御朱印御書付は、左衛門尉殿へ伊奈忠次と署名、花押とがある。天正18年、八王子に7650坪の下屋敷を賜わる。天正20年、3000石を賜る内示を頂く。当時、幕政を牛耳り権勢強大であった総代官大久保十兵衛長安の奸言に乗せられ、拝領の御朱印御書付3000石を預けたのが不覚であった。長安が忠輝、政宗の反乱に連座した事と、不正蓄財に関与した罪に問われ失脚。元和2年家康の他界と初代左衛門の死去と不運が重なり、結局所領は返して貰えずに終わった。八王子下屋敷と僅かな扶持が残る計りである。幕府へ2代目と7代目が、綿々と上申書を出したが認められる事はなかった。将軍秀忠と幕閣の意向で、人員削減と家康側近の解体があったためだろう。まことに不運な成り行きであった。拝領の下屋敷は初代代官所となったが一代限りで終わり、下級旗本としては珍しい下屋敷として幕末まで残った。今は中央高速道路の下で、僅かに屋敷守のお稲荷様が残るのみとなる。