クレジットのマルイは、開店が10時30分…一般の百貨店が10時なので30分ほど余裕があるが、出勤時間はおそらく百貨店より早い。
フロア別の訓示・唱和は 軍隊並み…毎朝指名された人が前に出て、唱和の言葉を大声で叫び 同じ言葉を全員で叫ぶのだ。何だこりゃ…あっけにとられた。
その後は、部門別に朝礼…その後はショップ別にミーティングがある。
なので、掃除は一連の集合前に終わらせる必要がある。が、最終的な掃除は改めてミーティングの後に再度行うのがしきたりだ。
とにかく厳しい…マルイでは「三日続けば御の字」らしい。
私のショップには 部下というか仲間が3人ほどいたが、皆新人で最初から全てを教えなければならなかった。
とはいえ、私も新人に等しい…
幸い 営業部の事務の女性に一冊の本をもらっていた…生地の写真や名称、織り方やその種類などが詳しく掲載されていた。
通勤時の勉強にうってつけで、数か月間で完全にマスターしていたことは助かっていた。しかし、写真だけなので現物を見たことがない。
だが、当該商品を扱う売り場に行けば現物があり、休憩時間や食事の時間は覚えている知識と現物の照合に必死だった。
(これが勉強熱心に映ったのは言うまでもないが…)
私が必死にやったことは、「掃除」だ。
マルイの1階の通路…明治通りだが、向かいは新宿伊勢丹本店 そのマルイの前の道を毎朝掃除していた。
伊勢丹に向かって一番右側は、地下鉄の入り口…こちら側の対面は三菱銀行が交差点の端になる。
毎朝 三菱銀行前までホウキで掃除してから自分のショップの4階に上がっていた。売名行為ではないが、どうで「クビ」になるのか「根を上げて逃げる」くらいしか会社は思っていないのだろうから、自分で考えて何が優先なのかをやり遂げる事にしたのだ。
当然マルイの一階から 私の姿は見える…誰だろうと。
その内、腕章をしたお偉いさんに話しかけられた…「君 誰?」 「私は、4階の〇〇ショップの者です」
すぐに名が知れ渡った。お店の前を一人で清掃している者がいる…メーカーの人間らしい…と。
ショップ担当の若い社員とも気があった…よく相談に乗ってもらったり、色々と教えてもらった事は忘れられない。
何故マルイに来たのか…経緯も話した。「いっそ 見返してやろうぜ」と励まされた。
5歳年上のマルイの社員だったが、事情を知った以上 私の見方になってくれてたり、売り上げを上げるための施策を様々講じてくれた。
マルイには、面白い隠語がある。要は、お客様の前で売り上げを報告できないので数字を替えて言うのだ。
「1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 」を「マイニチフクキタル ダイ(0)」で表現するのだ。
例えば 129,000円は 「マーイールーダイ」となる訳だ。売り上げを聞くので、時間的に12,900円はあり得ない時間に聞くので合点がいくようになっている。
今でも この隠語は使われている。
最初は指を折りながら返答していた頃が懐かしい…
売上は どんどん上がっていき、本社側も勝手が違うと思ったのか しょっちゅう店に来た。
「まだ 根を上げずにいるのか」と思ったと思う。
ショップ担当者の社員は、事情を知っている訳で 商品の少なさやデリバリーの悪さを怒り、本社の課長 次長へ怒りをぶつけていたのだ。
私はその光景を いたく冷静に眺める事が多かった。
売れるという事は、半端ではない忙しが付いて回るという事だ。まさに嬉しい地獄だ。
とんと忘れていたが、ある時 例の専務が来て 来週の月曜日の販売会議に出るように指示された。
いきなり月曜日に店に来ないで 会社へ直行というのは、私だけの判断で返事ができないために担当社員へ了承をもらうことにした。
「行ってこい! 行って今の現状を全て語ってこい。」と意気込みながら快諾してくれた。
目の回るような週末を終え 月曜日に本社へ行った時…驚きの光景があったのだ。
何十人も集まる会議だが 私の座る場所がないのだ。椅子に店舗名が貼ってあるが 何処にも見当たらないのだ…
専務が 「おい お前はここだ」
な なんと社長と専務の目の前…要は一番前の中央だ。確かに椅子の背もたれに自分の店舗名が貼ってあった。
専務が 紹介してくれた…「今 都内 いや全国で一番売れているショップ・チーフだ」と。 耳を疑ったが、渡された土日の売上表を見ると「桁違いに」違った。
何だろう…この感覚は。。。
しかし、体重は減り 頬も少しこけてきた事は間違いない。このままこの仕事を続けると死ぬんじゃないのか?という不安もよぎったものだ。
ここでギブアップすれば、会社の思うつぼだ。
寝て起きて マルイ 遅く帰って 寝て起きて…の生活がどのくらい続いたろうか。きつかった…
まだ寮生活が続いている…中学校時代に将来を誓い合った子からは 未だ連絡はない。
毎月給料日には 決まって1,000円~2,000円分を10円玉に替えて、上野駅の近くの公衆電話へ駆け込む。
上野は東北の玄関口だけあって、貴重な黄色い電話があったのだ。あと渋谷にもあったかな…
電話しても つながらない…決して相手の門限や電話できない時間帯でもないのに…だ。要は 電話に出た人が取り次いでくれないのだ。
いつもうなだれて寮に戻る途中の焼鳥屋で やけ酒…そして10円玉で払う事をその店のオヤジがからかったものだ。「今日も ダメか…そのうち話せるよ」って。
そうこうしていると、さすがの自分も東京の殺伐とした生活に慣れてくる頃だ…
一大決心に迫られる事が起きたのだ。