硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れずに暮らす「頑固なボス」の痛快辛口日記

誰かがやらなければならない社会貢献がある。利他主義を貫く信条を主張するボスの独り言!

開き直り…

2017-07-31 18:39:23 | 自叙伝

 

クレジットのマルイは、開店が10時30分…一般の百貨店が10時なので30分ほど余裕があるが、出勤時間はおそらく百貨店より早い。

 

フロア別の訓示・唱和は 軍隊並み…毎朝指名された人が前に出て、唱和の言葉を大声で叫び 同じ言葉を全員で叫ぶのだ。何だこりゃ…あっけにとられた。

その後は、部門別に朝礼…その後はショップ別にミーティングがある。

なので、掃除は一連の集合前に終わらせる必要がある。が、最終的な掃除は改めてミーティングの後に再度行うのがしきたりだ。

 

とにかく厳しい…マルイでは「三日続けば御の字」らしい。

私のショップには 部下というか仲間が3人ほどいたが、皆新人で最初から全てを教えなければならなかった。

とはいえ、私も新人に等しい…

幸い 営業部の事務の女性に一冊の本をもらっていた…生地の写真や名称、織り方やその種類などが詳しく掲載されていた。

通勤時の勉強にうってつけで、数か月間で完全にマスターしていたことは助かっていた。しかし、写真だけなので現物を見たことがない。

 

だが、当該商品を扱う売り場に行けば現物があり、休憩時間や食事の時間は覚えている知識と現物の照合に必死だった。

(これが勉強熱心に映ったのは言うまでもないが…)

 

私が必死にやったことは、「掃除」だ。

マルイの1階の通路…明治通りだが、向かいは新宿伊勢丹本店 そのマルイの前の道を毎朝掃除していた。

伊勢丹に向かって一番右側は、地下鉄の入り口…こちら側の対面は三菱銀行が交差点の端になる。

毎朝 三菱銀行前までホウキで掃除してから自分のショップの4階に上がっていた。売名行為ではないが、どうで「クビ」になるのか「根を上げて逃げる」くらいしか会社は思っていないのだろうから、自分で考えて何が優先なのかをやり遂げる事にしたのだ。

 

当然マルイの一階から 私の姿は見える…誰だろうと。

その内、腕章をしたお偉いさんに話しかけられた…「君 誰?」 「私は、4階の〇〇ショップの者です」

すぐに名が知れ渡った。お店の前を一人で清掃している者がいる…メーカーの人間らしい…と。

 

ショップ担当の若い社員とも気があった…よく相談に乗ってもらったり、色々と教えてもらった事は忘れられない。

何故マルイに来たのか…経緯も話した。「いっそ 見返してやろうぜ」と励まされた。

5歳年上のマルイの社員だったが、事情を知った以上 私の見方になってくれてたり、売り上げを上げるための施策を様々講じてくれた。

 

マルイには、面白い隠語がある。要は、お客様の前で売り上げを報告できないので数字を替えて言うのだ。

「1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 」を「マイニチフクキタル ダイ(0)」で表現するのだ。

 

例えば 129,000円は 「マーイールーダイ」となる訳だ。売り上げを聞くので、時間的に12,900円はあり得ない時間に聞くので合点がいくようになっている。

今でも この隠語は使われている。

最初は指を折りながら返答していた頃が懐かしい…

 

売上は どんどん上がっていき、本社側も勝手が違うと思ったのか しょっちゅう店に来た。

「まだ 根を上げずにいるのか」と思ったと思う。

ショップ担当者の社員は、事情を知っている訳で 商品の少なさやデリバリーの悪さを怒り、本社の課長 次長へ怒りをぶつけていたのだ。

 

私はその光景を いたく冷静に眺める事が多かった。

 

売れるという事は、半端ではない忙しが付いて回るという事だ。まさに嬉しい地獄だ。

 

とんと忘れていたが、ある時 例の専務が来て 来週の月曜日の販売会議に出るように指示された。

いきなり月曜日に店に来ないで 会社へ直行というのは、私だけの判断で返事ができないために担当社員へ了承をもらうことにした。

 

「行ってこい! 行って今の現状を全て語ってこい。」と意気込みながら快諾してくれた。

 

 

目の回るような週末を終え 月曜日に本社へ行った時…驚きの光景があったのだ。

何十人も集まる会議だが 私の座る場所がないのだ。椅子に店舗名が貼ってあるが 何処にも見当たらないのだ…

 

専務が 「おい お前はここだ」

な なんと社長と専務の目の前…要は一番前の中央だ。確かに椅子の背もたれに自分の店舗名が貼ってあった。

 

専務が 紹介してくれた…「今 都内 いや全国で一番売れているショップ・チーフだ」と。 耳を疑ったが、渡された土日の売上表を見ると「桁違いに」違った。

 

何だろう…この感覚は。。。

しかし、体重は減り 頬も少しこけてきた事は間違いない。このままこの仕事を続けると死ぬんじゃないのか?という不安もよぎったものだ。

ここでギブアップすれば、会社の思うつぼだ。

 

寝て起きて マルイ 遅く帰って 寝て起きて…の生活がどのくらい続いたろうか。きつかった…

 

まだ寮生活が続いている…中学校時代に将来を誓い合った子からは 未だ連絡はない。

毎月給料日には 決まって1,000円~2,000円分を10円玉に替えて、上野駅の近くの公衆電話へ駆け込む。

上野は東北の玄関口だけあって、貴重な黄色い電話があったのだ。あと渋谷にもあったかな…

電話しても つながらない…決して相手の門限や電話できない時間帯でもないのに…だ。要は 電話に出た人が取り次いでくれないのだ。

 

いつもうなだれて寮に戻る途中の焼鳥屋で やけ酒…そして10円玉で払う事をその店のオヤジがからかったものだ。「今日も ダメか…そのうち話せるよ」って。

 

そうこうしていると、さすがの自分も東京の殺伐とした生活に慣れてくる頃だ…

 

一大決心に迫られる事が起きたのだ。

 

 


新空間…

2017-07-30 21:23:19 | 自叙伝

寮長…一癖も二癖もある得体の知れない人だ。

 

顔にはこまかみから頬 そして口の下あたりまで刃物の傷があり、さしずめ仁侠映画のメイクを地でいったような人だ。

勿論独身で素性は誰も知らないが、すごみはそれなりにある。


私自身 寮内をくまなく歩いたこともなく、食堂とロビーと風呂しか知らない。

寮長の部屋へ呼ばれたときは 驚いた…部屋へ行くまでに部屋を通過するのだ。 なんと贅沢で広い間取りを使っているのか…


説教か…と思ったが、意外にも私のやったことに賛同の意を感じたのだ。

先日のコバヤシの部屋での一件も 既に知っている。

何とか寮を出たい旨を懇願したが、規則がある以上期限を経過しなければ出られないのだ。だから「タコ部屋」と呼ばれる所以がここにある。


寮長は、「この部屋を使ってもいいぞ」…と通り過ぎてきた部屋を指さした。

それでも8畳間で4つの二段ベッドよりは天国だ。即返事した…すぐに来ますのでよろしくお願いします…と。


荷物は少量だったこともあり、その晩に越してきた。

ガランとして場がもたないというか 今までの事を思うと妙に広すぎる。いずれ慣れるだろうとは思うが、慣れたころはここにはいない。



販売員をクビになってから2か月が過ぎたころ、またもや販売員の面接話が舞い込んできたのだ。

渋谷西武百貨店…ここのショップは都内でも1位 2位を争うほど大きなショップで、皆の憧れのショップらしいが 残念ながら私には何の魅力も感じない。

所詮 販売は向かないのだ。

またもや履歴書を作って営業の先輩に連れていかれた。


渋谷センター街…その頃は角に大きな「VAN]のショップがあり、そちらの方が興味があった。

何とか回避する方法はないだろうか…ない知恵を絞り出した。

そうだ…面接で気にいられなければ良いのだ。同行の先輩には申し訳ないが、ワルぶった態度で臨んだ…ハイ 渋谷西武 落選!に成功。


怒られたが、致し方ないのだ。

詳しい情報を聞くと、専務の口添えらしい…「あいつを店頭に出した方がイイ」と。大きなお世話だが…

そんな裏話もあり、そこそこ大きな店舗に配属させたい営業部の思惑がある。

それだけじゃない…本社へ置いておくと大なり小なり 小競り合いがあるからだ。

クビにしようにも 何せ一生懸命に人の2倍も3倍も いやな仕事もやるのでやみくもに解雇もできない訳だ。


こちらからすれば、日大にも行かせてもらう融通を聞いてもらっている以上 何倍の仕事も喜んでやっている。(稼ぎが必要だし…)


そんな時だった…これは「勤まらなければクビ」という状況になったのだ。

当時 昭和50年代前半は、百貨店よりクレジットの「緑屋」と「マルイ」が群を抜いていたのだ。


ただし、鬼の緑屋 地獄のマルイという呼ばれ方は業界に知れ渡っており、誰もが配属を嫌ったものだ。

百貨店は6時閉店だが、緑屋とマルイは7時でのちに8時閉店を実行する過酷な職場だ。



新宿のマルイ…に新しい自社ショップがオープンすることになった。

この店は 全国的に注目されていたが、「マルイ」という事で配属を敬遠する者が多かったので、新人を配属するメーカーが目立った。

既に新宿には「ニューマルイ」があったが、店舗の大きさは比較にならず3倍以上はあったと思う。要は、今の伊勢丹の前にあるのがそうだ。


何となく嫌な予感がしたが、当たっていた…

マルイへ配属が決まった。

全ショップが新店舗という事もあり、「面接」もないので例の方法は使えない…


相当考えた…

仕事を辞めようか…





モデル…③

2017-07-29 21:44:55 | 自叙伝

毎年行われる品川プリンスホテルでのファッションショーを 初めて見たが、盛大な催しだった。

 

本格的なモデルは、身長185~195センチほどある白人男性で 男が見てもカッコいい。

裏方の仕事は目が回るほどの忙しさで、疲労した服はそこら中に脱ぎ捨て状態で、一気にヤマになっていく。

 

なんて事はない…その片付け要員だ。

通称「タタミ」と言われる商品のたたみ直しの人員確保だった訳だ。モデル…なんて話はどこからも出てくるはずがない。

 

それでも裏方の仕事ができた事は素晴らしい経験だった。

 

モデルの話は、だいたい尾ひれ葉ひれがついて話が大きくなっただけなのだろう。

 

身長が176センチしかない私には、到底かなうはずもないし 恥ずかしいだけだ。

 

平穏な日々が過ぎ、仕事も馴染んできた。(ピラニア軍団だが…)

会社は当然販売部隊がある…専門店や百貨店内の自社ショップでの販売活動だ。

私には縁のない職場だし、朝から晩までの立ち仕事は苦痛の何物でもない。よく販売会議などで、店頭から販売員が本社へ来ていたが 皆スタイリストでカッコいいし、女性は美しかった。


Tシャツに綿パンの私から見ると、まさに「月とスッポン」とでも言おうか…


毎週月曜日に会議が開催される…土日の売り上げ状況や売れ筋商品の確認が主な主旨だ。

ある日 バーゲン商品の確認で「ピラニア軍団」のビルへ横浜三越のショップ・チーフがやってきた。

近々バーゲンを開催するようで、在庫の確認と確保が目的だったようだ。その頃は、大きな室内にある未処理の数百箱の商品と出番待ちの商品を全て把握していたこともあって、福島出身の女の子に代わって説明していた。


「君、うちに来ないか?」…「はい?」当然 唐突な質問に疑問符になった。

販売…? とんでもない。すぐに断った。


仕事を終えて本社へタイムカードを押しに戻った時、セクションの課長が待っていた。「明日 履歴書作って待っててくれ。あと明日はスーツで来い。」…???

嫌な予感がしたが、スーツで来いって急に言われても…


ヨレヨレのスーツを着て出勤した。

やはり横浜だ…余計なことをしてくれたものだ。

初めて行ったのだが、大きな自社のショップに案内された。あのチーフがいた…

何の説明も無く、即お店(百貨店)の担当者と面接だ。一応の社会常識をもって対応していたが、何がなんだか呑み込めない状況に変わりはない。

明日から横浜の店に直行することになる。


ウソだろ…俺が販売員?

正直眠れなかった。やったことがない上に想像ができない世界だ。


出勤二日目の出来事…チーフからは「他社の販売員からは、何かしらのイジメや暴言があるけど、洗礼だと思って軽く流してくれ…」。


いきなり起きたのだ。

それはトイレに行った時だ…良いタイミングだと思ったのか、他社の販売員が数名トイレに遅れて入ってきた。

いきなり胸ぐらをつかまれて数発殴られたのだ。突発的な出来事に面食らったが、これが洗礼かと悟った瞬間 こちらも手が出た。

理由もなく殴られる筋合いはない。

相手が何人だろうと関係ない…訳もなく売られたケンカは高値で買う主義だ。


つまらない勝利に酔いしれる暇もなく、事務所へ呼ばれた。

相手のケガが思った以上にひどかったらしい…が、相手が仕掛けた事…の理由は全く聞いてもらえずに「クビ」だ。

横浜三越『二日」でクビ…


すぐに本社で知れ渡った。当然 寮内にも…

その晩 寮長から呼ばれたのだ。




モデル…②

2017-07-28 21:29:38 | 自叙伝

品プリに呼ばれた噂は すぐに社内にも寮内にも知れ渡った。

 

バツが悪いとはこういう時に使うものだな…

自分の性格とは逆行するように 目立たないように生活することは叶わず、陰口ばかり叩かれる。

昼飯の時も 休憩の時もだ。何となく言っている事がわかるものだ。。。「何であいつが…」「ピラニア軍団のあいつが何故?」 概ねこんなものだろう。

 

寮でも ツッパッた先輩が夕飯に誘ってくれた…いつもの餃子屋だ。

何気なく聞きたい素振りも ぎこちなさから目的を察知できる。


コバヤシ…たしかこの名前だった。

会社の配送部に所属し、私の8人部屋の6人が配送部で この先輩の「子飼い」のようなものだった。

いつも この餃子屋で一杯飲みながら門限までグダを撒いているいけ好かない奴だ。


その日は、餃子屋からディスコへ行こうと誘われた。

ディスコ? 言ってくれるじゃないの…悪いけどディスコは高校3年の時に札幌に通い 訓練?を積んできた。

しばし忘れていたが、体は曲と同時に反応するほど敏感だ。


上野駅の近くに「汚いディスコ」があるのを初めて知った…彼らは行きつけらしい。

渋谷・池袋・六本木と比較すると 上野は「ど田舎」なので聞こえる曲は全部知っていた。

小さなステージがあり、下手くそな外人バンドが演奏している…コバヤシが動き出した というよりフロアーの皆が躍り出したのだ。

当然「子飼い」も踊る…


その子飼いの一人が大声で呼んだ…踊れってか?

その曲は独特なステップがあって、いわば札幌はリトル東京…その中でも一番人気のディスコで学んだステップを踊っていた。


徐々に周りの人が減っていく…

曲はまだまだ続きがあるのに 途中で私一人になったのだ。

スペースが広くなり、思いっきり「流行り」のステップを披露することができた。ステップは、パターンがあるのでじっと見ていればわかってくる…

同年代と思われるカップルが 私の横で踊り出した…少し様子を見て、口で誘導してあげる。「右に4歩…はい ターン」のように…


お互い笑顔で1曲を終えた。


テーブルに戻ったが、怪訝な顔が並んでいる。

そろそろ門限時間も迫ってきたこともあり、全員店を出て寮へ向かった。そのあとだ…


寮に帰ると 子飼いの一人が呼びに来た…コバヤシの部屋で飲もうと。

断ったが、再度違う子飼いが来た…「コバヤシさん 怒ってるから来た方がイイよ」と。


仕方なくコバヤシの部屋へ行くと、違う先輩(コバヤシの上司)も飲んでいた。総勢8人…部屋が広い事に驚いた…これで一人部屋か と。


やっと彼らの言いたい事を言う機会が来たのだろう…コバヤシが口火を切った。

「お前 モデルやるんだって?」

「はっ? モデルですか? 何ですかそれ…」 いきなり掴みかかってきた。

晴天の霹靂…とは まさにこのことだろう。モデル? 聞いてないし 何のことかさっぱりわからない。

「てめぇ ふざけんなよ…」と殴られた瞬間 何かの回路が切れた。

意味がわからない事で殴られる筋合いはないのだ。妙に冷静な自分が怖かった…スイッチが入り エンジン全開という気持ちを脳が指示したのだ。

 

今までの寮生活のウップンが加わったのかも知れない。

部屋の全員が「コバヤシ勝利」と思っていたのか 誰も止めない事もあり、思う存分やってやった。

この時の思い出は、右手の薬指と小指の関節がへこんでいる事が証拠だ。こぶしを握ると 今でも2本がへこんだままだ…

相当ダメージがあったと思う…相手が。 売られた喧嘩は『買う』主義だが、自分からは絶対に売らないのも信条だ。

 

上野寮は、社内でもガラの悪さで有名だが その筆頭株のコバヤシをノシてしまった私は、翌日から何か違った目で見られるようになったのは言うまでもない。

 

ただ、「モデル」で品プリに呼ばれることは聞いてないので、当日は裏方の格好で行くことにした。

 

 




モデル…①

2017-07-26 20:55:13 | 自叙伝

職場では、極力目立たないようにしていた…

 

オイルショックの時代でもあり、入社してくる人は少なかった…そうした時代背景もあって、職に就けるだけ幸せだったと言っていい。

 

私が最初勤めていた会社は、ヤングファッションのトップメーカーであり 田舎に住んでいた時代でも知っていたほどだ。

当時は潮流が二つあり、ヨーロピアンスタイルとアイビーファッションの時代。

サッカーをやっていた私は、当然アイビー派だ。本来 この会社には全く合わないのだ。

何故なら、ライバル企業の服しか着ていないし 持っていないのだ。

 

朝 ロッカーへ行くと、鍵が壊されており、ライバル企業の私の服(トレーナーやジャンパーなど)は 刃物でズタズタにされている事は日常茶飯事だ。

 

ヘアスタイルも、サッカーマン独特の「GIカット」だ。

 

社員の大半は、肩までかそれ以上のロングヘア…いつも吐き気がした。男はGI(ジーアイ)だろう…とね。

 

そんな社風に馴染めず 馴染む気もなく 目立たないように、人の嫌がる作業を好んでやっていた。

しかし、社会とは「誰かが見ているものだ」という事を知ったのも そんな時だ。

 

私の主な職場は、本社から歩いて3分ほどの別ビルの3階…エアコンもたいして効かず、猛烈な暑さの中で店舗から返品されてくるバーゲン用の商品を再生する仕事だ。

社内では「ピラニア軍団」と称され、いわば 使い物にならない人間の作業場を意味する。

壁に積まれたパッキン(返品商品の箱)は、常時2,000個…1日に処理できる箱数は、処理人数にもよるが100個前後だ。

値札を外し、たたみ直して商品別・品番別に棚に並べる作業が伴うので、100個が限界なのだ。

 

地獄なのは、店舗からバーゲンの依頼が入ると 商品数で3,000~5,000枚の準備が必要になる。

パッキン1個で商品数が30~40枚なので、バラしながら 整理しながら 値札を入れ替えながら、オーダー店舗の品揃えをしなければならない。

 

唯一救いだったのは、ピラニア軍団の作業場には音楽があった。

と言っても、古いカセットだったが スピーカーはなかなかしっかりしていたので心地よい音質で聞くことができた。

ただし、ビートルズだけ…聴きなれた曲ばかりだが、毎日朝から残業終了まで聞いてると 曲の順番だけでなく、英語の歌詞まで全て頭に入っていた。

 

作業場には、スタッフが3人…たしか福島県から来ていた女の子2人がいたが、とてつもない方言で 会話が繋がらなかった…笑

もう一人は、アル中の先輩だ。ヒトの良さで好きになれたが、仕事の雑さは天下一品だった。

 

ある日、軍団の作業場へ品の良い男性が入ってきた…私の知る限り社長ではない。

ロン毛でイタリアンカラーのシャツ バギーパンツで、見るからにオシャレでカッコいい。

 

返品の状況やバーゲン用のクタクタになった商品をチェックしに来たらしい…福島の女の子が小声で、男性の名前を教えてくれたが訛りが強く聞き取れなかった。

 

商品棚をじっと見ている…怒られるのかな と体と気持ちがこわばった。

 

すると、「ここの棚の商品担当は誰だ!」…と大声で叫んだ。

やばっ…俺だ。「はい 自分です」と応えて、近づいて行った。まさか殴られはしないだろう…と。

 

その人が何枚かシャツやニットを取り出して 台の上にバサッと置いた…当然のように せっかくたたんだものがばらけている。

「これ もう一度たたみ直してみろ」…怒ったような言い方だったので、言われたようにたたみ直したのだ。

余談だが、私の場合 買ってきた服は「袋から出した状態」に保管することが一番長持ちするだろうと、癖になっているルーティーンだ。

そうそういつも買えないので、保存状態をよくするための知恵だったのかもしれないが…

 

どこで習ったのか?と聞かれたが、自分で考えた事だし正直に答えるしかなかった。

「名前は? 所属は?…」色々聞かれたが、覚えているのはこの二つ。

 

その日の作業は終わった…珍しく軍団の職場にベルさんが来たのだ。「また 酒かな?」と思ったが 目的は違うようだ。

「お前 今日専務と話したのか?」 ギョ…専務だったのか。「はい、あの方専務だったんですか」

何か対応に問題がなかったか 回想してみたが、今となってはどうでもいいか…と思った。

 

「月曜日に、専務室へ行け」…? クビか? と思ったが、ベルさんの顔はそういうニュアンスでもない。

「私 何かしましたでしょうか?」 「知らんわ…わしゃその場におらんやろ」 確かに…

 

ベッドに入り あの人が専務か…と思いながらも、そんな事よりも月曜日の話って何だろう の方が頭を何度もよぎり、良くない事ばかりが浮かんだ。

 

 

月曜日 10時…専務室をノックした。  「入れ」 生唾を飲んでドアを開けた。

 

カッコいい…葉巻を加えている。

「来週 品プリでファッションショー開催するから、お前も来い」 「は?」 

「以上だ、詳しい事は このあと企画室へ行け」 で終わった。

 

品プリって品川プリンスホテルだよな…とブツブツ考えながら、企画室へ行った。

室長から聞いたのは、 毎年行う恒例のショーらしい。

 

何で俺が?