硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れずに暮らす「頑固なボス」の痛快辛口日記

誰かがやらなければならない社会貢献がある。利他主義を貫く信条を主張するボスの独り言!

紳介問題…

2011-08-28 12:19:07 | 日記
納得のいかない記者会見は、あっという間に終えて「フツーのひと」に戻ったように見える。



しかい、事態はそう簡単なものではない。



そもそも、記者会見で言っていた「手紙や、写真の事実」が出て来た事。



紳介自身…今回の対象である山口組最高幹部(実質はナンバー4)を、「会長」とまで崇拝した呼称で表現していた。



番組で口がすべった右翼団体への中傷誹謗が発端とはいえ、暴力団が動いて「金」が動かないことは考えられない。



ワタナベ 二郎もしかりで、若い頃から(引退後)暴力団との関係は周知の如くだ。



その彼を、Aさんと表現していたが、その先の展開を紳介が予想できないはずがないからだ。




同じように、吉本興業とて暴力団との関係話しが後を断たない。



一族の後継者問題では、暴力団との関係が露呈され 骨肉の争いになった事は そう昔でもない。






最高幹部の別件逮捕…たしか2005年の不動産売買の入札妨害だったと記憶。。。。で、家宅捜査の際に紳介のお礼の手紙や押収した携帯電話の通話記録、写真などが出てきた。



しかし、警察の中の押収物はそう簡単に一般の目にさらされる訳がない。




外部の人間の「リーク」で済ました吉本興業は、確証の無い(現物を見た)中で紳介の吐露にこぎつけた。



これはどう見ても納得のいく話ではない。




会社としても何らかの「負い目」があり、紳介自身も記者会見では「今度はフツーの人ですから、週刊誌に書かれれば訴えます」とけん制している。




叩けばホコリが出ることを恐れての「マスコミけん制」が見て取れる。



ここは、紳介が潔さを露わにして「引退」を宣言させた吉本興業の「厳しい対応」という両方のパフォーマンスが容易に考えられるのではないだろうか。




いずれにしても、芸能界と暴力団との関係は、かの相撲界と同様に「持ちつ持たれる」であったことは、歴史が語っている。





襲名式や各種の儀式、新年会や地方の公演など、キップの売買やダフ屋をはじめとした収入源の綱引きは、昔からの商慣習みたいなもの。



年間収入数十億円を一人で稼ぐ紳介を手放すことは、吉本興業にとっても「イタイ話」である。






同じ年齢の私にとっても、ひと時代を築いてきた紳介の引退は寂しい…の一言に尽きる!




紳介に 言いたい。



君の芸能界での活躍や影響力は、他人をもって代えられない能力を発揮してくれた。


地道な努力と研究の賜物だと思っている。


生放送であれ、収録であれアドリブを効かせたトークや、ツッコミ、機転の良さは他に類を見ない「神業」と言っても過言ではない。


芸能界復帰・・・は、自分自身のケジメからいってもあり得ない事は解る。


若手や世話になった人たちのため、あるいは広域な社会の貢献に生きて行ってもらいたい。




漫才を引退した時の、ダウンタウンの台頭を忘れないで欲しい。



新たなパフォーマンスやTVなどのマスコミの変化に対応できる人間を育てて欲しいものだ。





お疲れさん!  紳介・・・



久しぶりの「東京」…第2弾

2011-08-26 09:52:02 | 日記
新しい仕事の準備で、久しぶりに「東京」へ行っておりました。


と言っても、今年は5回目になります。


旧友との再会も目的であり、VIPを紹介してもらったり、旨い酒を飲んだりで充実した3日間でした。


目まぐるしく変化する東京の街並みの観察や、ヒトのファッションも大いに気になりますが、これは一種の「癖」でもあります。




暑さ凌ぎに潜り込む喫茶店では、携帯電話やアイパッド、ノートPCを見つめるビジネスマンや主婦らしき姿をみていると、時代の変化に納得します。



システムノート持参…の数が圧倒的に減った光景。



私もアイパッドを片手に、これから会う人との待ち合わせ場所や、会社のマップを調べたり、電車経路を確認したりでアイパッドは欠かせません。



アイパッド用の携帯バッテリーも大変重宝しており、最低でも4時間は使用可能です。



遠路 静岡県の会社の社長とも、Skypeで通信しながらの情報交換も、喫茶店や居酒屋、新幹線や電車の中でも平然と行える訳でして、非常にリアルタイムに役立っています。



そんな中、新規事業の「姿 形」が見えてきました。



大変面白く、画期的な事業を始めます。



システムの概要は、今現在は見かけないものですが、これからはスタンダードになる気配を感じます。



ローカルには、打って付けのシステムで社会貢献としては優位性を発揮する優れものです。



完成は、9月の上旬ですので私の処へリリースされて実稼働は、9月半ばあたりかと思います。



当然皆様へご覧いただけるようにしますので、今しばらくお待ちください。





東京の旧友(北海道美唄市の中学校の同級生)も、別の仕事をしておりますが、この私の事業には大変興味を持っており、近い将来参画してもらいたいものです。



ローカル…と書きましたが、都市圏で通用しない訳ではなく、商圏が大きければ相当の機動性を発揮することは間違いありません。





今から、その準備に追われますが、やっと目鼻がついてきた感じでして、大きな期待ができそうです。





9月・・・全国どこからでもネットで見られますので、乞うご期待!

55歳…

2011-08-17 07:57:27 | 日記

アラウンド 55です。


本日、誕生日を迎えた私は、「55歳」になりました。



若い頃から、諸先輩や上司を見てくる中、「55歳」という年齢にどうも馴染めず、また感覚を理解できなかった。



当然と言えば当然なのですが・・・・



いわゆる「中年」を意識し出したのは、40歳を迎えた頃なのは記憶にあります。



30歳代と40歳代の微妙な違いだった客観性も、当事者になってみると愕然と違いが理解できたからです。




年齢・・・ではなく、体力の衰えや世間からの見られ方、重み…様々ですが、明らかに39歳とは違う何かを感じました。



49歳と50歳…大した違いがないか…と思いきや、これまたグッと落ち込む体力に愕然となります。



モノの考え方やとらえ方も変化が現れます。  価値観の変化でしょうね。。。





歴史愛好家の私としては、やはり織田信長の「敦盛」を思い浮かべます。




人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり


一度生を享け、滅せぬもののあるべきか


これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ



(本文の化天は、正式な本文を引用しています。現代になり「下天」と表したようです)




人間五十年、下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり。


これは人の寿命がたった五十年という意味でなく、下天(天界の最下層)では一日が人間世界で五十年に相当する。という意味です。

だから、そこの視点で考えると夢や幻のようなもんだ。ということですね。



一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか。


命あるものは全てかならず滅びる運命にあるんだよ、と。

要するに「人の世界は天界感覚から一日程度のことなんだから、死を恐れずに精一杯がんばろう」というような意味です。




映画などに、特に桶狭間の合戦前の、織田信長の舞が有名ですね・・・



しかし、ここでウンチクを・・・




当時舞っていた「敦盛」は、どの映画を見ても 暗く 悲壮感溢れる節回しです。



これは、実はあの節回しは江戸時代になって付けられたもので、実際はもう少しテンポが速かったようです。



これから合戦…それも今川 義元の奇襲作戦という場面において、あのリズムでは士気が上がるはずがありません。







さて本題の「55歳」です。


あっという間…が実感ですね。ここ数年間の「時の流れ」の速さは、とてつもない感覚で進みました。




これから悠々自適な時間を過ごされる方・・・


定年までの時間をセーフティに生きようとする方・・・


一念発起、何か新しい趣味に没頭しようとする方・・・


あるいは、残念ながら健康ではない方・・・


自営業で「55歳」なんてものは、途中経過と思う方・・・


これから何か節目 区切りを付けようと思われる方・・・





55歳・・・様々な思惑をお持ちの皆様がいらっしゃるかと思います。



私も その一人で、55歳からの「本格 起業」です。。。それも、「IT業界」で…





そもそも我々の年代は、世界のコンピューターの進化とともに歩んできたようなものです。



幸い私が20歳代の頃、猛勉強していた事が大きな障壁と感じさせないのかも知れません。




エポカルク

エポバインド

エポエース

MS-DOS


今の世代には想像がつかないような、遅れた技術でしたから…懐かしいでしょ? 上記の用語。



自論としては、「3歩進んだ感性」より、「1歩進んだ感性」です。


3歩進んだ…は、若い頃にアパレルで経験しました。当時は、先のファッション傾向や世の中のトレンドを語っている事が楽しかった時代ですし、説得力があった訳です。


大手アパレルの開発や企画チームが、世界中から集めたトレンド情報を耳にできる機会が、ほぼ毎日だった訳ですから。




これからは、「1歩」先の提案を根気よくやっていくだけです。




業界の日進月歩のスピードについていけない事も理由のひとつですが・・・



この一年…「激動」という言葉が正しい時間でした。





ゆるり・・・ゆるり・・・生きませんか?




NHK…

2011-08-08 19:24:07 | 日記
歴史番組は多く放映されています。



「今」を再現し、インタビューを交えたものや、「if」を仮説としたもの…等々。



今回で30回目を迎えたNHK「江」を観ています。



歴史ファン…と言うか、自称研究家である私には、どうにも このNHKの番組展開と構成に不満だ。



かなり省略が多い事と、やや詳細に伝えるべき処の少なさ、時系列の矛盾などが随所にあることだ。








昨日の内容は、伏見の徳川邸での火災。。。




中でも秀忠のキャラがなってない事。




実際の秀忠は、病弱であり父である徳川 家康に対して、番組にあるような反抗はしていない。



というか、できない…が正しいだろう。



江と婚姻前には、側室との間に子さえ存在するのである。





長男は自刃させられ、二男は結城家へ養子、必然的に自分に「お鉢」が回ってくることを元服したのであれば理解していて当然。




あのような態度は、時代が当時であればこそ あり得ないのである。







江…も、同様であり 重要な評定(会議)の場面や、呼ばれてもいない席に居られる事はまずない。





まして、太閤殿下へ小言を言うなんて事は 素人でもわかる。






作者は、女性で仕方ないと思うが、もう少し勉強をしてほしかった。






学校では習わない場面やいきさつ…背景や人間模様などを番組を通して伝えることが「視聴率アップ」に貢献するはずなのだが・・・











石田三成…必ず登場する人物だが、千利休の切腹時に介錯したのは、「福島 正則」であることも無視された。






石田 三成や福島 正則  加藤 清正は同世代であり、長浜城において秀吉の妻である「ねね」に幼少の頃から面倒をみてもらっていた、豊富恩顧の武将だ。




ところが、石田 三成ばかりが登場するのはおかしい。




朝鮮閲兵の時も、福島 正則や加藤 清正の奮闘は凄まじいものであった。



秀勝の病死も、済州島であり朝鮮本土ではない。







この二人の名前や場面を今のうちに出しておかなければ、「関ヶ原」の勃発背景や人間関係が見えにくくなるはずだ。





そう・・・福島や加藤は、何故にして東軍へ加担したのか・・・が見えない。







秀吉の嫡男(秀頼)が生まれるまでは、小早川 秀秋が養子になって跡目を継ぐ予定だった。




その小早川 秀秋は、秀勝とともに双頭竜の大将として朝鮮閲兵に参加している。




後の太閤の座をいとも簡単に明け渡した小早川の気持ちは、関ヶ原の裏切りの引き金になっても不思議ではない。







秀次の切腹もしかり・・・





たしかに「殺生関白」と言われた時もあったが、執政は領民の心をとらえた素晴らしいものであったのだ。






史実は、朝鮮閲兵で浪費した大名は秀次に相談した訳で、秀次は亡き秀吉の弟…秀長の遺言でもある「朝鮮閲兵の中止」を唱えていただけに、浪費した大名への支援を快諾した。






ただ、秀吉の指が6本あったことへの出生の疑惑を調査していた事は事実で、秀吉はこれを大変恐れていた訳です。




いくら実姉の子とはいえ、自分の出生の秘密は知られたくない一心で自刃へ追い込んだ訳です。









このような史実をナレーターでも語ってくれたり、人物名をスーパーで告知するなどの配慮が欲しい。





さあ、次週の「江」はどんな展開か?






太閤殿下の死・・・そして、関ヶ原・・・・へ。

田舎暮らし…辟易。

2011-08-07 12:34:19 | 日記
田舎に住んで、「5年」…



と言う私も、育ちは北国の「ド田舎」ですが…



若い頃には、二度と帰らぬ決心で「花の東京」へ出てきました。



紆余曲折、多大な数の失敗や数少ない成功を人生の糧として、生きてきた訳です。






訳あって、田舎へ移住…ここから地獄の人生の始まりです。





地方、特に外との交流が無いような地域では、大人でも年相応の物腰や態度を身につけていない場合が非常に多い事が問題だと思う。



価値観や考え方の違う人間を苛めて、徹底的に排除する子供社会に近い気がする。



そういった人間がある程度の立場になったり、親になったりすると、確実に閉鎖的なコミュニティを形成してしまう訳です。



例えば、定年退職して暇なご老人たちは、畑を耕したり自宅で何かをしながら、隣人の様子に目を光らす。



最近家から出て来ない、病気になった、車が変わった、見たことない客をつれてきたなど、変化のある家がターゲットになる。



狙い定めたら、その家族や隣人に聞きまくる。



真相を知っていても、言わず、わざと隠して、なおかつ心配する振りをして、他人様のプライベートまで知り尽さないと気が済まない。






当の私自身もこのあたりは、大変苦労させられています。




愛車を売却した途端に、ご主人が会社辞めたから始まり、別居…



果ては、今はご家族が住んでいないとか、家を競売にかけている…などの噂が「光通信」で広がる訳です。





基本的に、べったり寄りかかります。


依存と傷の舐めあい社会であり、あと他人に同情するのが失礼だという高尚な礼儀が理解されていない場合が多く、平気で「同情」する訳です。






学歴や仕事先も「人間評価」「家庭評価」の要因としてあげられます。




田舎では、私立は「ダメ」意識が大変強く、何が何でも公立を指示されることが多い。



これらは全て、親や一族のメンツに他ならない。




まして、公務員崇拝の過剰な意識は驚愕に値します。







どんな生き方をして、どのような人間形成をしていくかが重要であり、一時のメンツにこだわる風潮が「田舎離れ」につながっている事を知らないし知ろうとしない訳です。




人の生活に干渉、プライバシーに顔突っ込んだり、悪口、あら捜し、噂、嫌がらせ…は、生活のルーティンになっています。



とにかく他人に関わったり頼みもしないのに世話やくことを全て人情だと思っている事は、はなはだ迷惑千万である。






権威や権力を平気で批判しながら、権威や権力に異常な執着心を持つ習性には辟易としますね。








それでも、ここで生きて行かなければなりません。。。。。。。。。





音をたてずに、息をひそめて…なんて生き方は、まっぴらゴメンですが貼られたレッテルは、なかなか剥がれません。






ため息の中に、わずかな気概を持ちながら生きていきます。