3月16日、匠オーケストラのエキストラに行ってきた。
このオーケストラは、岩手にゆかりのある若手アマチュア奏者で結成されたオーケストラであった。
周囲の期待も大きかったようで、会場は超満員!
やっぱり、お客さんがたくさんいると、奏者の気持ちも10倍になりますよね。
運営委員の方々の熱い思いが伝わる、とても良い演奏だった。
1年の練習期間はあったようだが、それにしても、その場限りとは思えない団結力のある音だったと思う。
しかも、演奏曲目が、食事で言うところの「肉・肉・肉っ!!!!」というかんじで、聴き応えもやり応えも凄かった。
せっかくやるならこうでなくっちゃ♪
モルダウは、リハの時にバストロさんとわしの間でトラブル?があった(たぶんわしが悪い…)が、本番では難なくクリア!
問題の「sempre ppp possible」の箇所は、今回一番練習した。
本番で1度も成功したことがなかったこの場所、今回はとりあえず全部テューバの音色で鳴らすことができた。
1812年は、課題は多く残ったが、学生の時やったときよりは、ffffで吹けたし、ソロのところもテューバの音で出せた。
しかし、やっぱり、トランペットとの音だし競争に参戦してしまい、自爆…。
いつでも冷静な心。
これが大きな課題だね。
って言っても大好きなチャイコの曲を吹くのに冷静ではいられない。
大人の心と熱い思い。
共存できるよう、日ごろか訓練しなくっちゃ。
とにかくこの2曲は長年、心の傷だったのでまた2つ傷が癒えたのでよかった♪
今回のトロンボーンは、岩大オケのWくんと、一緒にアンサンブルをやっている静岡県在住のNくん、一関市民オーケストラのMさんの3人だった。
特にWくんとNくんは気心知れた仲だったので、本当に楽しく演奏することができた。
運営委員の方々はたぶん、私と同じ位の歳。
私も割と熱い思いを持っている方だと思っていたが、…負けた…。
あの実行力と強い意志は頭が下がる。
この歳になっても、一緒に何かを成し遂げる仲間がいるって本当にうらやましいな。
今回のオケで吹くに当たり、演奏とは別に個人的な思い入れがあった。
それは5年間ずっと一緒に演奏していた、岩手大学オケのWくんとたぶん最後の演奏だったのだ。
Wくんは、私が岩手大学オケでお世話になり出した時は大学2年生だった。
初めて見たときは、とても攻撃的な音だったけど、大学出たての当時の私は、どうアドヴァイスしてあげたら良いのかわからなくてとてもせつない思いをした。
しかし、3年になったら私の心配をよそに、本当に素敵なトロンボーン奏者へと成長していた。
一緒に乗っていると、『よっしゃ!いくぞ~!!!』とテレパシーを感じて吹き始めている。(←思い込み…?)
1812年を吹き終わったとき、達成感もあったが、それ以上にこれでWくんとの演奏は終わりだ…と思ったら泣きそうになった。
今年、大学院を晴れて修了したため、関東へ就職していく。
Wくんは、私が公私ともに、相当辛かった時期に只々話しを聞いてくれたし、私も聞いてあげた。
わしはタダのトラだから、練習に行く時間も短かったから、時間にしたら相当短いはずなのだが、密度の濃い時間を過ごした気がする。
匠オケの打ち上げの帰りに、Wくんのお家まで送っていった。
もう一生会えないような気がして、本当に悲しくなった。
Wくんを車から降ろした後、何年かぶりに声を上げて泣いた。
岩手に帰ってきて5年。
いつも私はみんなを送り出してばかり。
私だけ取り残されている気がする。
だから春は大嫌い。
岩手を離れたみんな!私はいつでも岩手で待ってるからね。
いつでも帰ってくるんだよ。
Wくん、そして同じく岩手大学オケのFちゃん。
今までありがとう。
こんなわしだったのにいやな顔せず一緒に演奏してくれてありがとう。
これからもがんばって生きていこうね。
また一緒に演奏しようね。
最後に良いステージを作ってくださった匠オーケストラ運営委員の皆様、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
☆追記☆
1812年で大砲パートのバスドラムをぶっ放した白百合学園高校の生徒さんたち♪
おじさんおばさんの中で相当緊張しただろう。
そう思ったら、なんだかいてもたってもいられなくなって、つい一緒に写真を撮ってしまった…。
若くしてあれだけできればたいしたもんだ!
ってか、よく考えたら、教えに行ってるからまた学校で会えるかも~。
また超個人的な話しだらけのダラダラした、意味のわからない投稿になってしまった…。
文章が下手で本当にごめんなさい…。
このオーケストラは、岩手にゆかりのある若手アマチュア奏者で結成されたオーケストラであった。
周囲の期待も大きかったようで、会場は超満員!
やっぱり、お客さんがたくさんいると、奏者の気持ちも10倍になりますよね。
運営委員の方々の熱い思いが伝わる、とても良い演奏だった。
1年の練習期間はあったようだが、それにしても、その場限りとは思えない団結力のある音だったと思う。
しかも、演奏曲目が、食事で言うところの「肉・肉・肉っ!!!!」というかんじで、聴き応えもやり応えも凄かった。
せっかくやるならこうでなくっちゃ♪
モルダウは、リハの時にバストロさんとわしの間でトラブル?があった(たぶんわしが悪い…)が、本番では難なくクリア!
問題の「sempre ppp possible」の箇所は、今回一番練習した。
本番で1度も成功したことがなかったこの場所、今回はとりあえず全部テューバの音色で鳴らすことができた。
1812年は、課題は多く残ったが、学生の時やったときよりは、ffffで吹けたし、ソロのところもテューバの音で出せた。
しかし、やっぱり、トランペットとの音だし競争に参戦してしまい、自爆…。
いつでも冷静な心。
これが大きな課題だね。
って言っても大好きなチャイコの曲を吹くのに冷静ではいられない。
大人の心と熱い思い。
共存できるよう、日ごろか訓練しなくっちゃ。
とにかくこの2曲は長年、心の傷だったのでまた2つ傷が癒えたのでよかった♪
今回のトロンボーンは、岩大オケのWくんと、一緒にアンサンブルをやっている静岡県在住のNくん、一関市民オーケストラのMさんの3人だった。
特にWくんとNくんは気心知れた仲だったので、本当に楽しく演奏することができた。
運営委員の方々はたぶん、私と同じ位の歳。
私も割と熱い思いを持っている方だと思っていたが、…負けた…。
あの実行力と強い意志は頭が下がる。
この歳になっても、一緒に何かを成し遂げる仲間がいるって本当にうらやましいな。
今回のオケで吹くに当たり、演奏とは別に個人的な思い入れがあった。
それは5年間ずっと一緒に演奏していた、岩手大学オケのWくんとたぶん最後の演奏だったのだ。
Wくんは、私が岩手大学オケでお世話になり出した時は大学2年生だった。
初めて見たときは、とても攻撃的な音だったけど、大学出たての当時の私は、どうアドヴァイスしてあげたら良いのかわからなくてとてもせつない思いをした。
しかし、3年になったら私の心配をよそに、本当に素敵なトロンボーン奏者へと成長していた。
一緒に乗っていると、『よっしゃ!いくぞ~!!!』とテレパシーを感じて吹き始めている。(←思い込み…?)
1812年を吹き終わったとき、達成感もあったが、それ以上にこれでWくんとの演奏は終わりだ…と思ったら泣きそうになった。
今年、大学院を晴れて修了したため、関東へ就職していく。
Wくんは、私が公私ともに、相当辛かった時期に只々話しを聞いてくれたし、私も聞いてあげた。
わしはタダのトラだから、練習に行く時間も短かったから、時間にしたら相当短いはずなのだが、密度の濃い時間を過ごした気がする。
匠オケの打ち上げの帰りに、Wくんのお家まで送っていった。
もう一生会えないような気がして、本当に悲しくなった。
Wくんを車から降ろした後、何年かぶりに声を上げて泣いた。
岩手に帰ってきて5年。
いつも私はみんなを送り出してばかり。
私だけ取り残されている気がする。
だから春は大嫌い。
岩手を離れたみんな!私はいつでも岩手で待ってるからね。
いつでも帰ってくるんだよ。
Wくん、そして同じく岩手大学オケのFちゃん。
今までありがとう。
こんなわしだったのにいやな顔せず一緒に演奏してくれてありがとう。
これからもがんばって生きていこうね。
また一緒に演奏しようね。
最後に良いステージを作ってくださった匠オーケストラ運営委員の皆様、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
☆追記☆
1812年で大砲パートのバスドラムをぶっ放した白百合学園高校の生徒さんたち♪
おじさんおばさんの中で相当緊張しただろう。
そう思ったら、なんだかいてもたってもいられなくなって、つい一緒に写真を撮ってしまった…。
若くしてあれだけできればたいしたもんだ!
ってか、よく考えたら、教えに行ってるからまた学校で会えるかも~。
また超個人的な話しだらけのダラダラした、意味のわからない投稿になってしまった…。
文章が下手で本当にごめんなさい…。
4月は東京??
もし演奏会来られたら、来てください!!
12日と、23日にあるので。
お元気ですか?
谷藤は元気です。
谷藤、4月20日に東京(確か国立だったかな?)で演奏会に参加します。
東京滞在は、16日~21日です…。
前後、きゅーきゅーのスケジュールで動いています。
23日、BLOWの演奏会なのですね…。
谷藤は何故、こうもタイミングが悪いのだろう…。
とてもとても行きたかったです…。
いつもいつもごめんなさい…。
体を壊さぬよう、休み休み、がんばってくださいませ!
それではまた☆