II - 「Elephant」の手法
ガス・ヴァン・サント(Gus Van Sant)は,この世界を震撼させた事件を,高校生の実生活(日常)と,そこに忍び込む破壊衝動を独自の手法で織り込んで見せた.人物を演じる俳優は全員現役の高校生(2003年当時)で,基本的に台詞の台本は用意していない.アウトラインのみを設定して,あとは全て演者のアドリブに委ねられている.その理由は,シーンを意図的につないでいくための言い回しや展開説明は,この映画では不要だったから,とサントは説明している.
その代わりに,通常の映画ではカットされるようなシーンをあえて入れ,観客に考えさせる時間をたっぷり与えた,と語る.例えば,高校生の存在する同一空間を軸に,一度登場人物それぞれの時系列をばらばらにし,ザッピングにより個別に追っていく.それほど斬新な手法ではないが,その表現方法が変わっている.
III - 2つの映画「Elephant」
「エレファント」とは,北アイルランド紛争でのIRA(Irish Republican Army)の悲劇を扱ったアラン・クラーク(Alan Clark)のフィルム,「Elephant」(1989)に由来する.アイルランドの宗教対立を扱いながら,特定の指導者に焦点を当てることなく,強い問題提起がされていることをサントは感じ取った.さらに,クラークと自分のアプローチには類似性があると確信したサントは,撮る映画を同名にして,手法を模すことを躊躇わなかった.
「Elephant」(1989)は男の背中を映し出すことから始まり,男が無差別に殺戮を繰り返す情景を視点が追う構成となっている.人物の背後を映し出すショットの多用は,サントの「エレファント」の原型となっていることは明らかだ.しかも,その背中に何を読み取るかを映画から誘導しない点までもが同じなのだ.
クラーク自身,「It’s the elephant in your living room(居間にいる象)」といっている.居間にいる象,つまり直視すべき問題に誰も向き合わず,素知らぬふりをする意である.そして問題が巨大であればあるほど,誰も対処することが出来ない.クラークは民族と宗教問題の拡がりを巨象に喩えたのである.
紀元前2世紀頃,中国の経書『菩薩処胎経』『北本涅槃経』に,盲目の僧侶たちが集い,めいめい象に触れてみた寓話が記されている.ある者は耳を,ある者は鼻を,ある者は牙を,またある者は尻尾に触れ,自分の触れた部分こそが象の正しい姿だと主張して譲らなかった.しかし象の本質を知り得た者は一人もいなかった.これが世にいう古諺「群盲象を評す(撫でる)」である.
IV - 悲劇『マクベス』
銃を乱射しながら,少年は学校の廊下を移動し続ける.その時に呟いた一言,“こんな嫌なめでたい日もない”.この台詞の出所が,イギリスの文豪に求められると気づいた方が,どれほどいるだろうか.この台詞は,シェイクスピア(William Shakespeare)4大悲劇の一,『マクベス』第1幕第4場,マクベス登場時の台詞である.これは一体,何を意味しているのだろうか.
Ich sage Fickt Du !(I say Fuck You !)町中に爆弾を仕掛けて,神経質な態度を装っている金持ちの鼻持ちならぬ母親がたくさんいるところを無差別に撃ちまくり,仕掛けた爆弾を一つ,一つ爆破する.その銃撃戦でおれが死んでも生きても,どうでもいい.おれがやりたいのは,おまえらくだらないくそ野郎どもをできるだけたくさん殺したり,負傷させたりすることだ *3
V - 結び
上述のように,サントは事件に対する安易な答えを出すことを,自ら戒めている.自他ともに認めるその意思は,フィルムを通して観る者に伝わってくる.しかし,サント自身に答えがないまま映画を監督したと判断するのは早計である.少なくとも,題意に含まれる要素と,映画に散りばめられた特定の材料を接合して解釈することができれば,推し測ることは不可能ではない.
そのための1つのメソッドを,どのような形で示すことが出来たにせよ,それは光の射さぬ暗黒大陸の航路図を作成したことにしかならない.そこから先は,この映画の題名が示すだけの世界が茫洋として広がっているのみである.いわば解のない問いを,各自で問い続けるほかないのである.
++++++++++++++++++++++++++++++
Title:ELEPHANT
Director:Gus Van Sant
Cast:
John Robinson
Alex Frost
Elias McConnell
Eric Deulen
Nathan Tyson
▽81分 / アメリカ / 2003年