goo blog サービス終了のお知らせ 
 
Augustrait





 イギリスの有能な官僚にして中国文化を高く評価する学者であったジョンストン(1874‐1938)は,1919年清朝最後の皇帝宣統帝溥儀の家庭教師として紫禁城に迎えられ5年余りそこで暮した.宦官に支配される「小宮廷」の実態をつぶさに書きとめたこのインサイド・ストーリーは,清朝末から「満州国」にかけての中国理解に欠かせない1冊.図版多数――.

 帝の宮城とみなされていた星座「紫微垣」から出た語「紫禁」は,皇帝の居所を意味する.レジナルド・ジョンストン(Reginald Fleming Johnston)が13歳の皇帝溥儀の帝師(家庭教師)となったのは1919年.北の新武門を通って北京の中央から東西約750メートル,南北約960メートルの城壁に囲まれた約72万平方メートルの一区画に,想像を絶する空間世界が広がっていた.紫禁城の清室に仕えた5年余り,ジョンストンは小宮廷に巣食う宦官と遺臣,大官らの政争を見聞する.1911年の辛亥革命後,孫文が中華民国の臨時大統領となり皇帝の政治力は剥奪された.しかし溥儀の身分は紫禁城に縛られ,1924年馮玉祥のクーデターによって北京を追われるまで維持されたのである.このような経緯を英国殖民省の官吏が記した本書は,第一級史料であるといってよい.

 溥儀が政情に翻弄されたように,本書の真偽をめぐる評価も流転の渦に巻き込まれる.満州事変に乗じて満州国「皇帝」に即位させられた溥儀は,満州国の崩壊とともにハバロフスクに抑留され,極東国際軍事裁判(東京裁判)に出廷した.検察側は溥儀が日本の帝国主義侵略の犠牲者である証言を引き出そうとしたのであるが,溥儀は北京における受難はジョンストンの著(本書)に述べてあると発言した.本書の序文に,溥儀はジョンストンの個人的経験と観察の真実の記録は,計り知れない価値をもつと書いて印章を捺している.裁判当時,ジョンストンはすでに死亡しており,本書の内容に溥儀が責任を持つものではないと裁判長ウィリアム・ウェブ(William Flood Webb)は判断した.

 結果,溥儀は特赦によって北京に帰され,数奇な運命を追った自伝『わが半生』を著すのである.満州においては日本軍閥の傀儡に過ぎなかった,とする溥儀の態度は,日本軍の満州侵略を仇視するソ連軍部の意に沿ったものである.中国政府が認定する満州国の傀儡(偽国)という評価は,真実と断定することはできない.溥儀の弟・溥傑が「日本軍閥はわれわれを利用したかもしれないが,われわれも彼らを利用したということを,どうして証言しないのか」と憤ったのは,漢民族と異なるルーツをもつ満州族を祖にもつ「愛新覚羅氏」の家系からみて当然の矜持だった.本書の岩波版は,原著の第一~十章と第十六章「王政復古派の希望と夢」,さらに序章の一部を削除している.

 著者の「主観的な色彩の強い前史部分」であるから,と訳者は弁じているが,辛亥革命後に天帝の宮城が温存された理由,帝位を追われた溥儀と日本の関係,王政復古派とそれ以外の勢力にとっての清朝評価は等閑に付された形である.無論意図的な作為であり,本書の告げようとする真実を「ジョンストンの夢の装置」と断じて歪曲した出版関係者の責任は大きい.全26章と注釈を完訳した版は,祥伝社版(全2巻,中山理訳・渡部昇一監修)から,またジョンストンの誤記,地名等の修正を施した「新版」は本の風景社(岩倉光輝訳)から出されている.北京に遷都した1420年に造営された紫禁城は,1987年「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された.

紫禁城の栄光―明・清全史 (講談社学術文庫)
岡田 英弘,神田 信夫,松村 潤
講談社

++++++++++++++++++++++++++++++
Title: TWILIGHT IN THE FORBIDDEN CITY
Author: Reginald Fleming Johnston

ISBN: 9784003344811
  • 『紫禁城の黄昏』R. F. ジョンストン ; 入江曜子, 春名徹訳
    --岩波書店,1989.2, , 507p, 15cm
    (C) lapse