ミネソタ州の「チャーター・スクール法」成立後,同州セントポールに第1号チャータースクールが誕生したのは1991年.ポール・ウィリス(Paul E. Willis)は,かつてイギリスのセカンダリー・モダン・スクールの問題点を指摘し,発達した資本主義社会の公教育制度の内部に,労働階級の対抗文化は現れることを論じた.ところが,教育現場の落ちこぼれ,校内暴力,動物虐待,モンスターペアレント,生徒の自死などは,独自的な教育的配慮を備えたチャータースクール,あるいはセカンダリー・モダン・スクール特有の問題現象ではない.
学力・所得・地域性の各面から脱スクリーニングされた子どもの「集積場」でヘンリーが論じるのは古典文学だが,教養を知の武具とするよう説く弁舌は弱い.彼の個人生活史としての幼少期のトラウマ,老人ホームで暮らす祖父との関係,自宅に転がり込んできた幼い娼婦エリカとの親密さもそれぞれが浅いエピソードでしかないのが惜しい.そして,風化していく教室の教卓に彼が佇み,エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)『アッシャー家の崩壊』を朗読することは,孤独のキャプション以上の意味をもちえていない.要するに,学校教育現場での諦観は,社会のほころびが端的に現れるパブリック・スクールの根底に横たわっていることを描きたい意図は分かるが,それぞれが噛み合っていないのである.