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Augustrait





ミステリーの系譜


 初めて松本清張と格闘したのは、『点と線』でも『日本の黒い霧』でもない。『小説帝銀事件』は、今もってわが部屋の一角を占める“未読本コーナー”に眠っている。だからまだ対戦したことはない。近いうち、これを揺さぶり起こしてやらねばなあと思っている。『点と線』は読んだ。これが当時、社会派とされた小説かと鼻白んだ。とんでもないことだった。
 強固なアリバイを崩してゆく刑事たちの執念の物語としても、世相を映し出したと高く評価されたアリバイの内容にしても、今となっては鮮度の低下は著しく、逆に骨董的な匂いすら漂わせている。ところが、ミステリーの系譜につながる、さらなるルーツが沿革として含まれていることに気づいて再評価せざるを得なくなったのだ。



 古くからの知り合いに、ミステリーにまるで目のないやつがいて、わたしなどはこの分野にかけては、今でも彼にかなわない。なにしろ、横溝正史、久生十蘭、夢野久作、小栗虫太郎、江戸川乱歩など戦前の推理小説(探偵小説というほうが一般的だったかもしれない)、さらに怪奇妖美の類本はあらかた食い尽くしているのではないか。当時、阿刀田高にも熱を上げていた彼に、「これはおすすめだぜ」と紹介して、実際に喜んでもらえた作家というのが、乱歩だった。それも『人間椅子』や『心理試験』『月と手袋』あたりの短編。
 実は、乱歩は長編よりも短編の旗手としてのほうが高く評価されるべきなんだ、単なるポオ(Edgar Allan Poe)の二番煎じというだけではないはずだから、と水を向けたところ、読むわ読むわで、「乱歩の文体が渓流のせせらぎとしたら、阿刀田ってば、……水たまり!?」とおどけてみせたものだった。

 なぜそんなことを思い出したかといえば、彼のもっともお気に入りの清張本というのが、本書なのだ。それまで松本清張という巨人の名は聞き及んでいても、どういうわけだかまだ手に取っていなかった時代(それもはるか昔のような気がする)、その大切な本をわたしに貸し出してくれたのだった。無論、わたしも乱歩やジッド(André Paul Guillaume Gide)や中島敦や、キング(Stephen Edwin King)など、古今東西の文学作品を中心に紹介させてもらった。その都度、喜んでもらえた記憶が懐かしく思い返される。
 そんなわけで、これがわたしにとって初の松本清張だった。今となっては、清張の作品を初めて読んだその処女的体験が本書で、心からよかったと思っている。

 松本清張が社会派として筆のスタイルを確立したことを評価されるべき点としては、3点に収斂することができる。それは、社会的な事実を正面からとらえ、反権威的な姿勢を背骨としながら、平凡な日常生活に潜む犯罪の動機を、社会病理として作品に織り込んでいったということだ。ある作品ではそこに推理のロジックの巧みさや意外性を盛り込んでみせ、彼の推理小説と社会小説の接点を設けることに成功した。歴史もの、王朝ものといわれる作品群においては、権威というものが常に意識されていた。したがって、清張の筆致はやはり、挙げた3点がさまざまに共鳴しあう中で展開されているといえるだろう。
 『点と線』において、肉体的ハンディキャップを背負った犯罪者が、自分ではほとんど動き回ることなしに犯罪を成就させてゆく、という理解で千街晶之が面白い指摘をしたことがある。
 <近年はこの小説が、犯人像という角度から論じられることが多いのは、この共犯者が、…中略…世界において小さな居場所しか占めていない存在であるにもかかわらず、実は事件全体をその意志によって支配していた――という、その落差の大きさが余りにも強烈な印象を残すからではないだろうか>*1

www.yomiuri.co.jp
《松本清張記念館》 全著作約700作品の表紙

 千街のいうように、事件の重要な共犯者は、肉体的な不利を抱えるがゆえ、事件が重大であるほど意外性を強く読者に印象付けることができるというものだろう。わたしはここに、清張の斬新な社会的なまなざしを見出したいと思った。というのは、屈強で物理的な力を要する犯罪に虚弱体質の者は加わることはできないだろう。となれば、知能犯としてしか彼らは活躍できない。その知力をねじふせ、犯罪を白日の下にさらすためには、膨大な情報量から証拠を積み上げ、物的にも状況的にも犯人を追い込んでいく推理力が必要となる。つまり相手の知力を上回る知が必要ということになる。
 <わざわざ生まれつきの肉体的ハンディキャップが設定されている事実からは、黒幕としての知性と肉体的な完璧さとは相容れないものである>*2

 人間は犯罪を犯す。少なくともそういう人間がいるという前提で、しかもそれを間接的にせよ、告発する目的で社会派小説は興隆してきた。そこに清張は「犯罪の意外性」を読者に発見させることに成功させたのではなかったか。これは1つに、「このような犯罪の手段があったのか」という驚きであり、もう1つは「犯罪人がこのような姿をしているのか」ならびに「犯罪の動機がこんなものだったのか」といったものであって、いわば、“犯罪者の意外なる姿の再発見”ということができる。



 権田萬治は、推理小説における犯罪動機を、江戸川乱歩の「探偵小説における異様な犯罪動機」の分類と清張の対比を行い、清張の作品にみられる犯罪動機は乱歩の分類よりも進んだものだった、とした。
 乱歩は、カロライン・ウェルズ(Caroline Wells)やフランソア・フォスカ(Francois Fosca)の研究を踏まえて、次の4つに犯罪の動機を分類したのだった。

 1. 感情の犯罪(恋愛、怨恨、復讐、優越感、劣等感、逃避、利他)
 2. 私欲の犯罪(物欲、遺産問題、自己保全、秘密保持)
 3. 異常心理の犯罪(殺人狂、変態心理、犯罪のための犯罪、
  遊戯的犯罪)
 4. 信念の犯罪(思想、政治、宗教などの信念にもとづく
  犯罪、迷信による犯罪)

 権田は、『点と線』で取り上げられた官庁の汚職、『眼の壁』で描かれた手形詐欺などは戦前の探偵小説ではまったく取り上げられたことがなかったことを指摘し、つまり、清張の作品の犯罪動機には、乱歩の分類に欠けていた時代認識を超克した面があった、と評価しているように思われる*3。
 しかし、清張の作品には社会派小説の流れと、もう1つの大きな流れがある。それが、本書で主題とされる「日常生活に潜む恐怖」であり、それは犯罪につながる恐怖ということである。

 本書に収録されている戦慄の実話は、3篇である。「闇に駆ける猟銃」は、横溝正史『八つ墓村』のモデルともなった、1938年5月21日未明に岡山県苫田郡で起きた「津山事件(30人殺し)」のルポ。17歳の継子の娘を殺して肉鍋にした「肉鍋を食う女」。権力による冤罪のでっちあげを描いた「二人の真犯人」。
 前2篇に比べて、最後の物語はいささかインパクトが弱いが、それは収録されているなかで、この話だけは事件の性質がやや違うからである。政治力による暗部としての犯罪よりも、一般的な小市民の起こした犯罪のほうがよほど身近でおそろしい。しかもそれが考えられぬほど猟奇的なのだから、人間の異常行動の例証としてはすさまじい。「闇」と「肉鍋」で果たされている、非現実的な猟奇的事件の真実味は、政治的な暗黒面を払拭するほどインパクトがある。それに比して、清張の筆は乾いている。その陰湿ではない文体が、不可解な人間の条理を描き出すことにもコントラストがあるように感じられた。

 清張の作家生活は遅くに始まったことはよく知られている。彼自身もそのことによる影響を熟知していて、自分は作家としてのスタートが遅かったのだから、多筆でなければならないと考えていた。清張が死んだのは1992年だったが、全集は66巻にもなった。長編・短編あわせて1,000を数える。
 清張の初期作品(短編)には、「倒叙法」が多く用いられているという。これは、オースティン・フリーマン(Richard Austin Freeman)が『歌う白骨』(1912年)に初めて採用した手法、と権田は紹介しているが、要するにこれは「刑事コロンボ」方式だ。
 <まず、前半では犯人がどのような動機と方法で完全犯罪を計画、実行するかを描き、次いで、後半では、その犯罪が捜査側に暴かれていく、という形式を取る。…中略…最初から犯人も殺人計画も明らかになっているので、倒叙というわけである>*4

www10.plala.or.jpapoe cache.eb.com www.jlife.jal.co.jp
左 《松本清張》
中 《オースティン・フリーマン》
右 《権田萬治》


 一般的な推理小説と違い、この方式では犯人を探し当てるスリルはない。そんなものは初めから明かされているからだ。しかし、犯罪の起こった経緯とは、事実の積み重ねということもいえるので、倒叙の方が事実に即していることがわかる。それにより、犯罪者の内部を鋭くえぐることができる。
 犯罪者の行動の選択が、どのような判断においてなされていったか。そこに人間的な感情がわずかでも認められるか。人はそこに共感しうるのか。こういったことを、犯罪行為を論理的に追うのが刑事コロンボ方式といえるだろう。本書の「闇」「肉鍋」においては、そのような共感を呼ぶ余地は少なく、むしろ意味不明な部分が多い。そこに恐怖が介在して、推理による論理的帰結などより鳥肌をたてるものが、ここにあるではないかといわんばかりに、われわれの前に姿を現した。それは恐怖である。そして、抑えがたい恐怖が現実であるという畏れである。
 <事件自体の謎よりも、ありふれた人間がなぜあのように残酷な血まみれの惨劇を引き起こしたのか、という人間存在の不可解さに向けられている>*5

www.kid.ne.jpseicho
《清張の書斎と書庫》



 彼はまだ、キヨハルと呼ばれていた。清張と書く。朝鮮戦争が始まる前のことだった。貧しい家の出だったが、本を読むのが好きだった。父、峯太郎は理論化肌の人物だったが、特に名をなすことはない人物だった。母、タニとしても同じだったろう。
 清張にきょうだいはいない。しかし彼は1人っ子ではない。上に2人の姉がいたのだが、早くに死んでしまったため、両親の愛情は、残された清張に注がれることになった。
 
『幼き日、夜ごと父の手枕で聞きし、その郷里矢戸、いまわが目の前に在り』

 これは、中国地方の日南町矢戸にたたずむ成長の文学碑に記された言葉である。清張は慕う父が愛していた故郷に、帰ることを夢見ていた。生まれは山陰でも、後に山口の下関に移り住み、極貧生活に耐えなければならなかったからだ。父は理屈好きだが、現実的にものごとを考えることに欠けているところがあって、職業を転々とする気質だった。
 勉強は嫌いではなかった。しかし、高等小学校を出ても旧制中学に進学することをあきらめざるを得ず、働きに出ることになる。川北電気株式会社小倉出張所の給仕になり、また19歳には石版印刷見習となった。手に職をつけたいと考えたからだったが、本心からそう思っていたのかはわからない。本好きだった父の影響もあって、できれば新聞社に勤めたかった。しかし、地元の地方紙が相手をしてくれず、図案を書く仕事も続けながら零細業を続けていた。

 清張は故郷の思い出を大切にする人だった。石碑にはそのことが現れているし、晩年には母校の小学校にピアノを寄贈したこともある。しかし、脇の甘いところもあった。1929年ごろ、文学仲間が発行しているプロレタリア雑誌『戦旗』を購読していたところ、コミュニストとされて小倉署に十数日間拘留されたこともある。もっとも、共産活動をした素振りがないことがすぐに判明して開放されたのだが。
 転機が訪れたのは28歳のとき。ナヲと結婚して1年がたとうとしていた。朝日新聞が新しい西部支社を小倉に開くと聞きつけた清張は、図案担当の仕事をしたいと考えて応募したら、通った。正社員として採用されたのは32歳だった。憧れの新聞社で働く喜びは、ひとしおだったのではないか。

www.daisenking.net (C)戦旗社
左 『戦旗』 1929年3月号 
右 《松本清張文学碑》


 しかし、厳しい現実の壁が立ちはだかっていた。小学校卒で図案担当の清張と、華々しく活躍する記者の間は疎隔されていた。この頃には2人の子を抱え、家族を養うため、図案を黙々と作る日々だった。福岡県34連隊に衛生兵として従軍したのは、34歳の時だった。終戦は朝鮮全羅北道井邑で迎えた後、帰国して家族を支える大黒柱に戻った。家族は8人になっていた。
 新聞社に勤めながら、低い給料をカバーするため、藁箒を卸す商売をアルバイトとして始めた。しかし、じきにその商売もたちゆかなくなり、彼は虚しかった。
<家族がひしめく狭い家にいても、出世の当てのない新聞社にいても、彼は終始いらいらしていた。線路を歩いて通勤していた日々を、彼はのちに自伝の中でこう書いている。
「草の生えた線路みちの途中には、炭坑があり、鉄橋があり、長屋があり、豚小屋があった。それが、そのころの私の道であった」
 そんな中でふと、閉塞した息苦しさから逃げるように思い立ったのが懸賞小説を書いてみることだった>*6

 1950年、41歳で処女作「西郷札」が『週刊朝日』で三等入選、第25回直木賞候補となった。43歳にして「或る『小倉日記』伝」を『三田文学』に発表、翌年、第28回(昭和27年度下半期)芥川賞を受賞してから、清張の快進撃は幕を開ける。
 人間の行為の矛盾を明らかにしていく清張のミステリー観は、彼の社会観と合一して社会派推理小説ブームを起こした。清張の多作さと綿密な取材力、犯罪の動機と密接に関連する社会の動向をたくみに取り入れた点などは、特筆してさかんに論じられることになる。だが、高い能力と才能を抱きかかえながら、現実社会の不条理な壁に阻まれ続けてきた彼の下積み時代の長さ、人生の苦汁ということを考えると、―無論、甘い想像の域を出ることはありえないのだが―冷厳な社会には冷徹な眼差しを向けるしかないというある種の達観が感じられる。

www1.u-netsurf.ne.jp~sirakawa
《西郷札》

 本書に「ミステリー」の「系譜」と名づけられていることは、とても興味深い。原義のMysticというのは、ギリシャ宗教の秘儀に由来する言葉だ。エレウシスやディオニシスの秘儀といった風に伝わるとおり、人智では計り知れない、神秘的な世界をさしている。
 本書で清張が取り上げ、提示したのは、日常に起きた非日常的な恐怖の体験であった。その猟奇性が異常なのであるが、平凡な日常の均衡を破る犯罪の影、そういったものを作品からわれわれに発見させるということに一番大きな価値があるように思えてならない。

www.athensguide.com
《エレウシスの秘儀》

 けれど、どのような犯罪であっても、それは日常を侵すのだ。動機の社会性、トリックの面白さ、それらを超越したところに累々とミステリーにつながる「系譜」があって、そのすべては人間から発せられている、というのが本書の白眉となっているといえるだろう。


点と線 日本の黒い霧〈上〉 砂の器

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▽ 『ミステリーの系譜』松本清張
-- 中央公論社, 1975年
(C) Matsumoto Seicho 1968

*1 『水面の星座水底の宝石』千街晶之
-- 光文社, 2003年、p.130
*2 千街晶之、前掲書、p.133
*3 『松本清張の世界』文藝春秋編
-- 文藝春秋, 2003年、p.589-590
*4 文藝春秋編、前掲書、p.586
*5 本書、p.234
*6 松本清張 四十歳。未だ世に出ず。